ゲルハルト・ティベン
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| ゲルハルト・ティベン Gerhard Thyben | |
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| 渾名 | ゲルト |
| 生誕 |
1922年2月24日 キール |
| 死没 |
2006年9月4日 サンティアゴ・デ・カリ |
| 所属組織 |
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| 軍歴 | 1940–45 |
| 最終階級 | 中尉 |
| 除隊後 | コロンビア空軍教官 |
ゲルハルト・ティベン(ドイツ語: Gerhard Thyben、1922年2月24日 - 2006年9月4日)は、ドイツの軍人。最終階級は空軍中尉。第二次世界大戦では総出撃数385回、総撃墜数157機(うち152機は東部戦線で、5機は西部戦線である)を記録したエース・パイロットであり[1]、その戦功から柏葉付騎士鉄十字章を受章した。
1922年2月24日、ヴァイマル共和国プロイセン自由州キールに生まれる。1940年後半にドイツ国防軍空軍へ志願し、1941年夏頃までに空軍パイロットとしての許可が下りた。第二次世界大戦では空軍第3戦闘航空団や第54戦闘航空団に所属し、主に独ソ戦に参戦した。1944年9月30日には総撃墜数が100機を記録した。
1945年5月8日、ティベンはクールラント・ポケットから逃げるドイツ難民輸送船を狙うソ連の爆撃機Pe-2を撃墜したが、これが彼の大戦最後の撃墜記録となった。また同時に、これがドイツの戦闘機フォッケウルフ Fw190最後の活躍でもあった。着陸後、イギリス軍に包囲され投降、1946年までイギリスに抑留された。戦後はスペインやアルゼンチンを旅した後、コロンビア空軍の教官を務めた。