ウボンラーチャターニー県
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歴史
イサーン地方から中央ラオスにはSi Kottaboon文化が栄えた時期があった。紀元前1500年頃にファターム(泰: ผาแต้ม、英: Pha Taem)の壁画が描かれた。
その後クメール王朝の領土になった時期を経て、タイの民族移動が起こり、タイ族系のアユタヤ王ラーマーティボーディー1世がこの地に住んでいたクメール人を撃退し、この地域をアユタヤ王朝に組み込んだ。アユタヤ王朝が1767年滅びると、カー族やスワイ族が住み着くようになったが、20年後チャクリー王朝(現タイ国)のラーマ1世は、この地の有力者、ターオ・カンポーンを国主に任命し、1786年この地は再びタイに組み込まれた。同時に現在のウボンラーチャーターニー市も建設されている。後の1792年にはウボンラーチャーターニー県が成立。その後ナコーンラーチャシーマー県に組み込まれたこともあったが、1933年再び県として成立した。1972年、1993年には県内の一部がそれぞれ、ヤソートーン県、アムナートチャルーン県として独立した。
2025年7月24日、国境付近の寺院をめぐりタイ軍とカンボジア軍が衝突(タイとカンボジアの国境紛争参照)。双方で死傷者が出た。カンボジア側から重火器とロケット弾の発射が報告されているとし、国境付近の住民の避難が呼びかけられた[1][2]。 紛争は一時停戦が成立したが、同年12月7日には再び戦闘状態となり再び避難命令が発出された[3]。
