エルデン・キャンベル
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2008年のキャンベル | |
| 引退 | |
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| 基本情報 | |
| 愛称 |
Big E Big Homie Easy The Janitor |
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1968年7月23日 |
| 没年月日 | 2025年12月1日(57歳没) |
| 出身地 |
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| 死没地 |
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| 身長(現役時) | 211cm (6 ft 11 in) |
| 体重(現役時) | 127kg (280 lb) |
| キャリア情報 | |
| 高校 | モーニングサイド高等学校 |
| 大学 | クレムソン大学 |
| NBAドラフト | 1990年 / 1巡目 / 全体27位 |
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ロサンゼルス・レイカーズから指名 | |
| プロ選手期間 | 1990年–2005年 |
| ポジション | PF / C |
| 背番号歴 | 41, 5 |
| 経歴 | |
| 1990–1999 | ロサンゼルス・レイカーズ |
| 1999–2002 | シャーロット・ホーネッツ |
| 2002–2003 | ニューオーリンズ・ホーネッツ |
| 2003 | シアトル・スーパーソニックス |
| 2003–2005 | デトロイト・ピストンズ |
| 2005 | ニュージャージー・ネッツ |
| 2005 | デトロイト・ピストンズ |
| 受賞歴 | |
| NBA通算成績 | |
| 得点 | 10,805 (10.3 ppg) |
| リバウンド | 6,116 (5.9 rpg) |
| ブロック | 1,602 (1.5 bpg) |
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Stats Basketball-Reference.com | |
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Stats NBA.com | |
エルデン・ジェローム・キャンベル(Elden Jerome Campbell、1968年7月23日 - 2025年12月1日[1]または12月2日[2])は、アメリカ合衆国・カリフォルニア州ロサンゼルス出身の元バスケットボール選手。NBAのロサンゼルス・レイカーズなどで活躍し、2004年にはデトロイト・ピストンズでNBAチャンピオンを経験した。
ロサンゼルス近郊の高校卒業後、クレムゾン大学に進学。4年間で平均15,3得点 6,8リバウンド 2,7ブロックという成績を残し、NCAAトーナメントにも出場するなど、同大学の中心選手として活躍したキャンベルは、1990年のNBAドラフトで、地元のロサンゼルス・レイカーズから27位で指名された。
入団以降ブラデ・ディバッツと共にインサイドで奮闘し、90年代のレイカーズの中心選手として活躍してきたキャンベルだったが[3]、1996年にシャキール・オニールが加入して以降状況が一変。オニールはキャンベルのプレーぶりに不満を持つようになる。結局1999年3月10日にエディー・ジョーンズと共にグレン・ライスとのトレードでシャーロット・ホーネッツに放出された。
2002-2003シーズン途中、ジャマール・マグロアの台頭もあり、シアトル・スーパーソニックスに放出された。
2003年夏、デトロイト・ピストンズと契約。2003-2004シーズンは1990年以来のNBAファイナル進出となり、相手はキャンベルの古巣でもあるロサンゼルス・レイカーズとの対戦となる。キャンベルはベン・ウォーレスと共にレイカーズ時代に因縁が深かったシャキール・オニールとのマッチアップで奮闘。ピストンズは4勝1敗でレイカーズを下し、念願のNBAチャンピオンを経験した。
翌2004-2005シーズンは、ニュージャージー・ネッツなどを渡り歩いた後、最終的にピストンズに復帰。プレーオフのマイアミ・ヒートカンファレンスファイナルでは、再びヒートに移籍してきたシャキール・オニールとのマッチアップとなったが、4勝3敗で勝利し、2年連続でNBAファイナルに進出[4]。サンアントニオ・スパーズとの対戦は、第7戦までもつれたものの74-81で敗退。シーズン終了後、ピストンズから契約を更新されず引退した。
2025年12月1日[1]または2日に死去。57歳没[2]。ブロワード郡の当局者によると、1日、釣りの途中に事故により溺死した[1]。2日レイカーズの元チームメイトや友人らが哀悼の意を表明した[5]。