オサダ
From Wikipedia, the free encyclopedia
歴史・概要
1964年(昭和39年)10月に長田龍夫が、展示会販売のスタイルで、家庭日用雑貨品の移動販売を行ったのが始まりである。
雑貨品販売の常設店舗としてバラエティーストア業態の店舗の開設を目指して調査したところ、米国ではディスカウントストア業態がバラエティーストアを凌駕し始めていることを知ったため、ディスカウントストアの出店を目指すようになった。 しかし、資金面の問題に加えて大規模小売店舗法の規制の問題もあり、当初は150坪から300坪規模の店舗の出店を進めた。
そして、1972年(昭和47年)4月4日に株式会社リビングチェンオサダを設立して法人化し、1982年(昭和57年)10月に本部を開設して組織整備を進めた。
1987年(昭和62年)にウォルマートのスーパーセンター1号店を見学してその業態を参考にして、1995年(平成7年)12月1日にハイパーマートオサダ小戸マリーナ店を開店し、スーパーセンター業態の店舗の出店を開始した。
1994年(平成6年)12月9日に地元スーパーのマミーと共に「いちやショッピングセンター」の核店舗として出店して山口県に進出した。
1995年(平成7年)12月に国内信販と提携して「オサダKCマスターカード」の発行を開始した。
2000年(平成12年)2月1日にハイパーセンターオサダ伊集院店を開店して鹿児島県に進出した。
しかし、店舗拡大路線が裏目に出て、負債総額348億4900万円を抱えて、2001年(平成13年)に全従業員に周知後、7月17日に佐賀地方裁判所武雄支部に民事再生法の適用を申請して同年(平成13年)8月11日に民事再生手続の開始が決定した。なお、学生アルバイト以外の社員は全員解雇されたが、代表取締役の公言通り自身の資産も使い、退去作業含め全社員へ給与の支払いを終えた。全正社員の意向で、非正規雇用者の時給は減額されていない。そして、福岡県の店舗の多くは、株式会社トライアルカンパニーへ譲渡され、そのまま営業された。
そして、同年11月8日に玉名店や人吉店など14店舗を閉鎖する再生計画案を提示した。
2004年(平成16年)7月にザ・スーパーカンパニー株式会社が設立され、同年に株式会社オサダから同社に営業を譲渡した[2]。 しかし、同社には小売業に精通した経営陣がいなかったことから業績の低迷が続き、不採算店の閉鎖が進められる形となった[2]。
そして、ザ・スーパーカンパニー株式会社は、2008年(平成20年)に一部の店舗の営業権を譲渡したうえで、同年5月末で従業員を解雇し、同年6月2日に任意整理の方針を打ち出して事実上倒産となった[2]。
一方で、2004年(平成16年)7月に小戸店跡にホームセンターコーナンめいのはま店が開店したのを皮切りに、同年9月にはホームセンターコーナン福岡空港店を開店したが、2005年(平成17年)8月にホームセンターコーナン福岡空港店は閉店となった[3]。
以後数年間再建を続けたが、2004年に経営再建を断念。事実上経営破綻し、長崎県の時津店以外の店舗をすべて閉店、売却した。小戸(福岡市西区)、大塔(長崎県佐世保市)の2店舗はコーナンに売却している。また、空港店(福岡県糟屋郡志免町)の退去した建物は同社がリース入居したが、不振のため異例の短期間で撤退している。[要出典]
2010年(平成22年)には一度閉店していた伊万里店を再開した。 2013年2月には倒産後も継続して営業していた唯一の店舗、時津店を閉店。[要出典] 伊万里店1店舗体制となったが、2014年(平成26年)2月末には伊万里店も閉店した。
年表
- 1963年(昭和38年)5月 - 創業
- 1972年(昭和47年)4月 - 株式会社リビングチェンオサダとして法人設立[4]。
- 1976年(昭和51年) - 武雄市甘九物流センター開設[4]。
- 1981年(昭和56年) - 12月10日-本格的ディスカウントストア甘九店開店[4]。
- 1982年(昭和57年) - 本部・物流センターを武雄市武雄町に移設[4]。
- 1987年(昭和62年) - 台湾に海外事務所開設[4]。
- 1988年(昭和63年) - 沖縄県糸満市にFC1号店を開店[4]、韓国に事務所開設[4]。
- 1993年(平成5年) - 株式会社オサダに社名変更[4]。
- 2001年(平成13年)
- 2004年(平成16年)
- 2006年(平成18年)2月1日 - 食品館姪浜店と伊万里店の名称を「rocco(ロッコ)」に変更[8]。
- 2008年(平成20年)6月2日 - ザ・スーパーカンパニーが任意整理の方針を打ち出して事実上倒産[2]。
- 2010年(平成22年)10月1日[要出典] - 閉店した伊万里店を「ハイパーセンターオサダ伊万里店」として再開[9]。(倒産後の新規店舗は初)[要出典]
- 2013年(平成25年)2月19日 - 時津店閉店、16年の歴史に幕を閉じる。[要出典]
- 2014年(平成26年)2月末 - 伊万里店閉店[9]。
営業中の店舗
過去に存在した店舗

(佐賀県伊万里市・2013年4月29日撮影)
- ×は現在建物が解体された店舗。[要出典]
- 「rocco」(ロッコ)は、ザ・スーパーカンパニーが「オサダ」及び「オサダ食品館」として営業していた店舗の名称変更を行ったもの。旧店舗のイメージを払拭することが店名変更の狙いであったという[8]。
- 「HyC」はハイパーセンター。
福岡県
- 鉄骨造2階建て[11]、延べ床面積約12,797m2[11]、店舗面積約9,413m2[12]
- 店舗跡には2004年(平成16年)7月にホームセンターコーナンめいのはま店が開店した[3]。
- 食品部分は、ザ・スーパーカンパニーオサダ食品館 姪浜店だったものの、2006年(平成18年)2月1日にroccoに店名変更[8]。東京都の『つきぢ田村』で修業した板前監修の和洋総菜を扱った「職人のおかず処 六鼓亭(ろっこてい)」を新設した[8]。
- その後、閉店し生鮮市場ハイマート姪浜店となり、現在はダイソーとなっている。(ハイマート自体はfoodwayとして隣接地の駐車場に移転した)[要出典]
- 下山門店(福岡市西区[13])
- 鉄骨造2階建て[15]、延べ床面積約7,956m2[15]、店舗面積約5,493m2[15]
- 2004年(平成16年)9月にはホームセンターコーナン福岡空港店を開店したが、2005年(平成17年)8月にホームセンターコーナン福岡空港店は閉店となった[3]。
- →メガセンタートライアル福岡空港店[要出典]
佐賀県
- HyC武雄本店(武雄市朝日町大字廿久193-1[26])
- 店舗面積約19,800m2[29]
- 鉄骨造2階建て[30]、延べ床面積約8,004m2[30]、店舗面積約4,925m2[30]
- ザ・スーパーカンパニーが継承して2006年(平成18年)2月1日にroccoに店名変更した[8]。一旦閉店した後、2010年(平成22年)に営業を再開したが、2014年(平成26年)2月末に閉店となった[9]。
- 1996年(平成8年)8月に閉店したジャスコ跡には1999年(平成11年)1月にオサダが出店したが2年4カ月で撤退した[35]。
長崎県
- 店舗面積約9,455m2[37]
- 2004年の本社倒産時、当初は小戸店や大塔店と同様にコーナンの店舗となる方針だったものの、オサダ自体が営業を継続。倒産から伊万里店が再開店を行うまでは当社の唯一の店舗だった。[要出典]
- 2013年2月の閉店後、暫くの間建物は現存していたものの、2015年の9月頃より解体工事が開始され、2016年5月頃より跡地が住宅地「ユーエムヒルズひなみ野」として使用されている。[要出典]
- →ザ・スーパーカンパニーオサダ→閉店[要出典]
- 鉄骨造2階建て[30]、延べ床面積約2,173m2[30]、店舗面積約1,861m2[30][44]
- →オサダ激安ランド宝島。2棟からなっていたが、現在、片方はダイソー、もう片方はマンションとなっている。[要出典]
- 旧・ドゥイングオサダ福江店(五島市籠淵町)→2020年4月に五島店に移転統合する形で閉店。2022年現在はゲオ福江店。[要出典]
熊本県
- 敷地面積約240,000m2[48]、延べ床面積約46,000m2[48]、店舗面積約38,000m2[48](当社店舗面積約8,500m2[51])、駐車台数約5,000台[48]
- リゾート施設併設のセキアヒルズ・オービルパビリオンの核店舗として出店していた[49]オフプライスデパートメントストア業態1号店として開設した[51]。売場がワンフロア構造の店舗で1階は駐車場となっていた[51]。
- セキアヒルズ全体で不採算が続き、オサダとホテルの赤字が少なかったが、オサダの利益率が良い店舗の利益を回していたため、破産する一因となつた。
- 店舗面積約3,489m2[55]
大分県
鹿児島
沖縄県
山口県
滋賀県
- 店舗面積約3,519m2[63]