カリズマティック

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欧字表記 Charismatic[1][2]
性別 [2]
カリズマティック
欧字表記 Charismatic[1][2]
品種 サラブレッド[2]
性別 [2]
毛色 栗毛[2]
生誕 1996年3月13日[1][2]
死没 2017年2月19日(21歳没)[3]
Summer Squall[1][2]
Bali Babe[1][2]
母の父 Drone[1][2]
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ケンタッキー州[1][2]
生産者 Parrish Hill Farm[1]
馬主 Bob and Beverly Lewis[1]
調教師 D. Wayne Lukasアメリカ[1]
競走成績
タイトル エクリプス賞
年度代表馬、最優秀3歳牡馬(1999年)[4]
生涯成績 17戦5勝[1][2]
獲得賞金 2,038,064ドル[1]
勝ち鞍
GIケンタッキーダービー1999年
GIプリークネスステークス1999年
GIIレキシントンステークス1999年
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カリズマティック (Charismatic) [2]は、アメリカ合衆国生産の競走馬種牡馬。主な勝ち鞍に1999年アメリカクラシック二冠ケンタッキーダービープリークネスステークス)。1999年度のエクリプス賞年度代表馬、最優秀3歳牡馬に選出された。

  • 特記事項なき場合、本節の出典はEQIBASE[1]

1998年6月20日、ハリウッドパーク競馬場でのメイドン競走でデビューし、6着。デルマー競馬場で2戦、サンタアニタ競馬場でも2戦して勝てず、11月21日のメイドンクレーミング競走でようやく初勝利を挙げる。その後アローワンス競走を2戦して3着、5着とし、サンタカタリナステークス英語版5着を経て出走のクレーミング競走で2位に入線も、1位入線馬の降着により繰り上がりで2勝目を挙げた。一週後のアローワンス競走2着、エルカミーノレアルダービー英語版でも2着としてサンタアニタダービー4着を挟み出走のレキシントンステークス英語版をレコードタイムで制してケンタッキーダービーに向かうこととなった。ケンタッキーダービーではメニフィーの追撃をおさえて第一冠を制し、プリークネスステークスも制して二冠を得て、ベルモントステークスで三冠獲得を目指す。

8万5千人を超える大観衆に迎えられたレースでは1番人気に支持され、メニフィーとケンタッキーオークスシルヴァービュレットデイの3頭で上位人気を占めていた[5]。シルヴァービュレットデイが牡馬に先んじて馬群の主導権を握り、その背後に取りついてレースを進め、シルヴァービュレットデイが後退していくと代わって先頭に躍り出るが、間もなく後方から進出してきたレモンドロップキッドに交わされて2番手に下がり、ヴィジョンアンドヴァースにも交わされて3着に終わった[6][5][7]。このゴール入線前後、左前脚の管骨種子骨骨折しており、異変を察知した鞍上のクリス・アントレーはゴール入線後即座に下馬して故障した左前脚を支え続けた[4][8]。その光景は「NTRAモーメントオブザイヤー」にも選ばれた[9]。アントレーのとっさの行動もあって大事には至らず、レース翌日にはボルト4本を脚に埋め込む手術が行われ[10]、そのまま引退し、種牡馬入りすることが決まった。引退後のエクリプス賞選考では、年度代表馬と最優秀3歳牡馬に選ばれた[4]

競走成績

以下の内容は、EQIBASE[1]の情報および記載法に基づく。

出走日競馬場競走名距離着順騎手着差1着(2着)馬
1998.06.20ハリウッドメイドンD5f 6着D. フローレス3 1/4馬身O'rey Fantasma
1998.07.25デルマーメイドンD6f 3着C. ナカタニ1 1/2馬身Prized Demon
1998.08.23デルマーメイドンD5.5f 4着C. マッキャロン5馬身Out In Front
1998.10.01サンタアニタメイドンD8f 3着L. ピンカイJr.10馬身Crowning Storm
1998.10.17サンタアニタメイドンD8f 9着C. マッキャロン26馬身Lexington Beach
1998.11.21ハリウッドメイドンD6.5f 1着L. ピンカイJr.5馬身(Wandering)
1998.12.27サンタアニタアローワンスD6.5f 3着L. ピンカイJr.4 1/2馬身Bright Valour
1999.01.16サンタアニタアローワンスD8.5f 5着L. ピンカイJr.4馬身Mr.Broad Blade
1999.01.31サンタアニタサンタカタリナSG2D6.5f 5着L.ピンカイJr.3 1/2馬身General Challenge
1999.02.11サンタアニタクレーミングD8.5f 1着C. マッキャロン繰上(Valley Don)
1999.01.16サンタアニタアローワンスD7f 2着L.ピンカイJr.5馬身Apremont
1999.03.06ベイメドウズエルカミノレアルダービーG3D8.5f 2着J. ウォーレンJr.アタマCliquot
1999.04.03サンタアニタサンタアニタダービーG1D9f 4着L. ピンカイJr.8 1/4馬身General Challenge
1999.04.18キーンランドレキシントンSG2D8.5f 1着J. ベイリー2 1/2馬身(Yankee Victor)
1999.05.01チャーチルダウンズケンタッキーダービーG1D10f 1着C. アントレークビ(Menifee)
1999.05.15ピムリコプリークネスSG1D9.5f 1着C. アントレー1 1/2馬身(Menifee)
1999.06.05ベルモントベルモントSG1D12f 3着C. アントレー1 1/2馬身Lemon Drop Kid

引退後

引退後は、ケンタッキー州レーンズエンドファームで種牡馬として供用され、種付料は最初の3年間は35000ドルに設定されており、2003年度も2万ドルに設定される予定であったが、2002年10月JRAに購買され、翌年から日本軽種馬協会静内種馬場で供用が開始された[11]。17年間供用ののち、2016年の種付けシーズンを最後に種牡馬を引退、種牡馬引退後はアメリカに帰国し、オールドフレンズで余生を送ることが明らかにされる[6][12]。11月30日に日本を離れ[12]、12月4日にオールドフレンズに到着[4]。当時のオールドフレンズには、同じく日本から帰ってきたシルバーチャームウォーエンブレムがおり、帰国後は3頭のケンタッキーダービー優勝馬を所有する唯一の牧場になっていた[6]。しかし、2017年2月19日朝に牧場内で亡くなっているのが発見された[4]。死後の解剖の結果、重度に骨盤を骨折して折れた骨が血管を突き破り、致命的な大量の出血を起こして死亡したと推定された[3]

主な産駒

※重賞勝ち馬のみ

血統表

脚注

外部リンク

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