サティ・ベク
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生涯
第8代君主オルジェイトゥ・ハンの娘として生まれる。
1304年、チョバンはアブー・サイードに姉のサティ・ベクを妻として賜るよう懇請して、これを許されたため、9月6日に婚礼を挙行した[1]。
1327年、アブー・サイード・ハンがチョバンを殺害することを諸将に命ずると、それを知ったチョバンは挙兵した。しかし、チョバン派のアミールたちが逃亡したのでチョバンも妻子を連れて逃走した。そのとき、妻のケルドチンとサティ・ベクは随行を拒んだため、サティ・ベクはチョバンから離れて息子のソルカン・シラとともにアブー・サイードのもとへ投降した[2]。
1335年、アブー・サイード・ハンが崩御すると、アルパ・ケウンが第10代ハンに即位した。サティ・ベクはアルパ・ケウンと結婚した[3]。
1338年、チョバンの孫のシャイフ・ハサン(小ハサン)はカイロに投獄された父のティムール・タシュに代わり、彼そっくりのテュルク人を偽ティムール・タシュに仕立て上げ、旧チョバン派の支持を集めて挙兵し、イールカーニー派[注釈 1]のタージュ・ウッディーン・ハサン・ブズルグ(大ハサン)、ムハンマド・ハンと対峙した。途中で大ハサンが逃亡したため、ムハンマド・ハンは捕らえられて小ハサンらに殺された[4]。この勝利で勢いづいた偽ティムール・タシュは小ハサンをも殺害しようと考えたため、小ハサンを襲ったがグルジア王国に逃げられた[4]。その後、偽ティムール・タシュはタブリーズを強襲したが大ハサンに破られた[4]。小ハサンはサティ・ベクを新たなハンに擁立し、大ハサンに向かって進軍したが、両者は交渉によって和解し、解散した[5]。しかし、大ハサンはこの和解が持続しないと考え、マーザンダラーンを支配していたトガ・ティムール・ハンに近づいた[6]。それを知った小ハサンはトガ・ティムール・ハンとサティ・ベク・ハンを娶らせることで両者を離間させることを思いつき、両者を離間させ、実際に娶らせなかった[7]。大ハサンはトガ・ティムール・ハンをあきらめてシャー・ジハーン・ティムールをハンに擁立した[8]。一方、小ハサンは女では国政を執ることができないと考え、サティ・ベク・ハンの子のソルカン・シラを殺害し、サティ・ベクを廃位してスライマーンを新たなハンに即位させた[8]。サティ・ベクはスライマーン・ハンと結婚させられた[8]。