ジハーン・テムル From Wikipedia, the free encyclopedia 在位 1338年 - 1340年死去 不明王朝 イルハン朝父親 アラーフランク(ガイハトゥの子)ジハーン・テムル イルハン朝の対立イルハン在位 1338年 - 1340年死去 不明王朝 イルハン朝父親 アラーフランク(ガイハトゥの子)テンプレートを表示 ジハーン・テムル(ペルシア語:جهان تیمور Jahān Tīmūr、生没年不詳)は、イルハン朝の君主(ハン、在位:1338年 - 1340年)。イルハン朝の第5代君主ガイハトゥの孫。父はアラーフランク。シャー・ジハーン・ティムール、イッズ・ウッ・ディーンとも表記される[1]。 1338年、イールカーニー派[注釈 1]のタージュッディーン・シャイフ・ハサン・ブズルグ(大ハサン)はムハンマド・ハンが戦死したため、シャー・ジハーン・ティムール(ジハーン・テムル)をイールカーニー派のハンに即位させることを決め、ワズィールの職務をシャムスッディーン・ザカリーヤに与え、イラーク・アラビーの首都(バグダード)に赴いた。 その間、チョバン派のシャイフ・ハサン(小ハサン)はチョバン派の女性ハン・サティ・ベクを廃し、スライマーンをチョバン派のハンに即位させるとともにサティ・ベクを娶らせた[3]。 1340年、大ハサンはバグダードからシャー・ジハーン・ティムール・ハンを奉じてジャガトゥ川まで進軍して、スライマーン・ハンを攻撃したが、イールカーニー派が敗北。バグダードに帰還した後、シャー・ジハーン・ティムール・ハンは廃され、大ハサンが自らハンに即位してジャライル朝が建国された[4]。 脚注 [脚注の使い方] 注釈 ↑ 大ハサンの曾祖父はフレグに仕えたジャライル部の将軍イルゲ(イールカー)・ノヤンだったため、イルカン(イールカーニー)派と呼ばれた。[2] 出典 ↑ 佐口 1979, p. 373-374. ↑ 佐口 1979, p. 370. ↑ 佐口 1979, p. 374. ↑ 佐口 1979, p. 375. 参考資料 C.M.ドーソン『モンゴル帝国史』 6巻、佐口透訳注、平凡社〈東洋文庫365〉、1979年11月。ISBN 4582803652。 先代ムハンマド(大ハサンによって擁立) イルハン朝のイルハン対立1338年 - 1340年 次代- 表話編歴イルハン朝の君主統一時代 フレグ1260–1265 アバカ1265–1282 アフマド・テクデル1282–1284 アルグン1284–1291 ガイハトゥ1291–1295 バイドゥ1295 ガザン1295–1304 オルジェイトゥ1304–1316 アブー・サイード1317–1335 アルパ・ケウン1335–1336 ハン乱立時代 ムーサ1336–1337 ムハンマド1336–1338 トガ・ティムール1337–1353 サティ・ベク1338–1339 シャー・ジハーン・ティムール1339–1340 スライマーン1339–1343 モンゴル帝国:元 / チャガタイ・ハン国 / ジョチ・ウルス / イルハン朝 Related Articles