ジェイソン・グリーリ

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生年月日 (1976-11-11) 1976年11月11日(48歳)
身長
体重
6' 5" =約195.6 cm
225 lb =約102.1 kg
ジェイソン・グリーリ
Jason Grilli
テキサス・レンジャーズ時代
(2017年7月19日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
イタリアの旗 イタリア
二重国籍[1] 
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ミシガン州オークランド郡ロイヤルオーク
生年月日 (1976-11-11) 1976年11月11日(48歳)
身長
体重
6' 5" =約195.6 cm
225 lb =約102.1 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1997年 MLBドラフト1巡目(全体4位)
初出場 2000年5月11日
最終出場 2017年10月1日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム イタリアの旗 イタリア
WBC 2006年2009年2013年

ジェイソン・マイケル・グリーリJason Michael Grilli , 1976年11月11日 - )は、アメリカ合衆国ミシガン州オークランド郡ロイヤルオーク出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

グリリ」や「グリリー」とも表記されることもある。

父親のスティーブ・グリーリ英語版デトロイト・タイガースなどに所属した元メジャーリーガーである。この父親の愛称はグリーリ・チーズでタイガース時代のチームメイトだったジーン・ラモントが名付け、ジェイソンが2005年にタイガースに入団した際にラモントがコーチをしており、ジェイソンに同愛称を継承した[2]

代理人は、元メジャーリーガーのゲイリー・シェフィールド

プロ入り前

1994年MLBドラフト24巡目(全体675位)でニューヨーク・ヤンキースから指名を受けたが、契約せずにシートン・ホール大学へ進学。

プロ入りとジャイアンツ傘下時代

1997年MLBドラフト1巡目(全体4位)でサンフランシスコ・ジャイアンツから指名され、7月25日に契約。

1998年は傘下のAA級シュリーブポート・キャプテンズとAAA級フレズノ・グリズリーズでプレー。AAA級フレズノでは8試合に登板し、2勝3敗・防御率5.14だった。

1999年はAAA級フレズノで19試合に登板し、7勝5敗・防御率5.54だった。

マーリンズ時代

1999年7月24日にリバン・ヘルナンデスとのトレードで、ネイト・バンプ英語版と共にフロリダ・マーリンズへ移籍。移籍後は傘下のAAA級カルガリー・キャノンズで8試合に登板し、1勝5敗・防御率7.68だった。

2000年はAAA級カルガリーで開幕を迎え、5月11日のアトランタ・ブレーブス戦で先発起用されメジャーデビュー。6.2回を投げ、11安打4失点2四球でメジャー初勝利を挙げた。5月12日にAAA級カルガリーへ降格。AAA級カルガリーでは8試合に登板し、1勝4敗・防御率7.19だった。この年は右肘の故障で上記の1試合の登板にとどまり、1勝0敗・防御率5.40だった。

2001年3月6日にAAA級カルガリーへ配属され、開幕を迎えた。右肘の故障でマイナーリーグでの生活が続き、AAA級カルガリー、AA級ポートランド・シードッグス、A+級ブレバード・カウンティ・マナティーズでプレー。AAA級カルガリーでは8試合に登板し、1勝2敗・防御率4.02だった。9月3日にメジャーへ昇格。この年は6試合に登板し、2勝2敗・防御率6.08だった。オフにトミー・ジョン手術を行った。

2002年3月23日にAAA級カルガリーへ異動。この年は前年の手術の影響でメジャーへ昇格することができず、AAA級カルガリーで1試合に登板し、0勝1敗・防御率1.59だった。

2003年はA+級ジュピター・ハンマーヘッズとAAA級アルバカーキ・アイソトープスでプレー。AAA級アルバカーキでは12試合に登板し、6勝2敗・防御率3.38だった。

ホワイトソックス時代

2003年12月に行われたルール・ファイブ・ドラフトで、シカゴ・ホワイトソックスから指名され移籍した[3]

2004年3月3日にホワイトソックスと1年契約に合意[4]。開幕ロースター入りしたが、登板のないまま4月1日に傘下のAAA級シャーロット・ナイツへ降格した[5]。AAA級シャーロットでは25試合の登板で、9勝9敗・防御率4.83だった。8月27日にメジャーへ昇格。昇格後は8試合に登板し、2勝3敗・防御率7.40だった。

2005年1月28日にDFAとなった[6]

タイガース時代

2005年2月9日にデトロイト・タイガースとマイナー契約を結んだ[7]。開幕後は傘下のAAA級トレド・マッドヘンズで28試合に登板し、12勝9敗・防御率4.09だった。9月16日にタイガースとメジャー契約を結んだ[8]。この年は3試合に登板し、1勝1敗・防御率3.38だった。

2006年開幕前の3月に開催された第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)イタリア代表に選出された[9]。3月1日にタイガースと1年契約に合意[10]

シーズンでは同年からリリーフへ転向し、51試合に登板。2勝3敗・防御率4.21だった。

2007年3月2日にタイガースと1年契約に合意[11]。この年もリリーフとして活躍し、57試合に登板。5勝3敗・防御率4.74だった。

2008年は開幕から9試合に登板し、0勝1敗・防御率3.29だった。

ロッキーズ時代

コロラド・ロッキーズ時代
(2008年8月8日)

2008年4月30日にザック・シモンズとのトレードで、コロラド・ロッキーズへ移籍した[12]。移籍後は51試合に登板し、3勝2敗1セーブ・防御率2.93だった。

2009年1月20日にロッキーズと1年契約に合意[13]。前回大会に続いて第2回WBCイタリア代表に選出され[14]、2大会連続2度目の選出となった。

シーズン開幕後は22試合に登板したが、0勝1敗1セーブ・防御率6.05と落ち込み、6月5日にDFAとなった[15]

レンジャーズ時代

2009年6月9日に金銭トレードで、テキサス・レンジャーズへ移籍した[16]。移籍後は30試合に登板し、2勝2敗、防御率4.78だった。オフの10月21日に40人枠を外れ、傘下のAAA級オクラホマシティ・レッドホークスへ降格し[17]、10月22日にFAとなった。

インディアンス傘下時代

2009年12月2日にクリーブランド・インディアンスとマイナー契約を結んだ[18]

2010年は招待選手として参加したスプリングトレーニングで膝を故障し、マイナーでの登板もなかった。オフの11月6日にFAとなった。

フィリーズ傘下時代

2011年1月31日にフィラデルフィア・フィリーズとマイナー契約を結んだ[19]。開幕後は傘下のAAA級リーハイバレー・アイアンピッグスで28試合に登板し、4勝1敗3セーブ・防御率1.93と好投していたが、7月20日に放出された。

パイレーツ時代

ピッツバーグ・パイレーツ時代
(2012年6月14日)

2011年7月21日にピッツバーグ・パイレーツと契約を結んだ[20]。契約後は2年ぶりにメジャーへ復帰し、28試合に登板。2勝1敗1セーブ・防御率2.48だった。オフの12月12日にパイレーツと110万ドルの1年契約に合意した[21][22]

2012年は64試合に登板し、1勝6敗2セーブ・防御率2.91だった。オフの10月29日にFAとなったが、12月12日にパイレーツと総額675万ドルの2年契約[23]で再契約した[24][25]

2013年開幕前の3月に開催された第3回WBCイタリア代表に選出され[26]、3大会連続3度目の選出となった。

シーズン開幕後は前半戦43試合で、0勝1敗29セーブ、防御率1.99と活躍し、7月にオールスターに初選出された。しかし、オールスター直後の7月23日に右肘の故障で15日間の故障者リスト入りした[27]。その後、9月3日に復帰。この年は54試合に登板し、0勝2敗33セーブ・防御率2.70だった。

2014年は開幕後8試合に登板していたが、4月26日に15日間の故障者リスト入りした[28]。その後、5月23日に復帰[29]。パイレーツでは22試合に登板し、0勝2敗11セーブ・防御率4.87だった。

エンゼルス時代

2014年6月27日にエルネスト・フリエリとのトレードで、ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムへ移籍した[30]。移籍後は40試合に登板し、1勝3敗1セーブ・防御率3.48だった。オフの10月30日にFAとなった。

ブレーブス時代

2015年1月7日にブレーブスと総額800万ドルの2年契約+出来高[31](2017年・300万ドルの球団オプション付き[32])を結んだ[33][34]。7月11日のロッキーズ戦の9回裏の守備で一塁をカバーしようとした際に左アキレス腱を断裂し、シーズン中の復帰は絶望となった[35]。故障離脱するまではクローザーとして36試合に登板し、3勝4敗24セーブ・防御率2.94・3323投球回で45奪三振(奪三振率12.0)という見事な成績を残し、職責を果たしていた。

2016年も、21試合・17投球回で23奪三振を記録していたが、一方で四球を与えるペースも早く与四球率は6.9で防御率は5.29だった。

ブルージェイズ時代

2016年5月31日にショーン・ラトクリフとのトレードで、トロント・ブルージェイズへ移籍した[36]。移籍後は46試合にリリーフ登板し、ブレーブス時代よりは投球内容が安定。防御率3.64・6勝4敗2セーブをマークした。ブレーブスとの合算では、67試合の登板で防御率4.12・7勝6敗4セーブ・WHIP1.29・59投球回で81奪三振(奪三振率12.4)という成績だった。1シーズンとしての登板試合数は自己最多であった。

2017年は4月3日のオリオールズ戦で史上295人目となる通算550試合登板を達成した[37]が、26試合で2勝4敗・防御率6.97と不振で6月27日にDFAとなった[38]

レンジャーズ復帰

2017年7月2日にエドゥアルド・ピントと金銭の交換トレードで、レンジャーズへ移籍した[39][40]。移籍後は20試合に登板したが、0勝1敗・防御率5.59と投球内容は上向かなかった。オフの11月2日にフリーエージェント(FA)となった[41]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2000 FLA 1100010001.000356.2110202320445.401.95
2001 651002200.50011526.23061102170018186.081.54
2004 CWS 880102300.40020345.052112003262038377.401.60
2005 DET 320001100.5006316.01412000500663.381.25
2006 5100002309.40027062.06162535315031294.211.39
2007 57000053011.62535279.28153215625046424.741.42
2008 900000101.0005913.21217111010553.291.39
COL 5100003214.60026461.15513161593022202.931.40
'08計 6000003415.50032375.06723872694027253.001.40
2009 2200000113.0009919.12921320222013136.052.17
TEX 3000002204.50011326.12121461270014144.781.33
'09計 5200002317.40021245.25042781492027275.321.69
2011 PIT 2800002119.66714032.2242155437301092.481.19
2012 64000016232.14324458.24572242900020192.911.14
2013 54000002332.00020250.04041301741015152.701.06
2014 22000002111.0009320.12241111210011114.871.62
LAA 40000013111.25014233.22901013361015133.481.16
'14計 620000151212.16723554.05142124571026244.001.33
2015 ATL 36000034240.42914033.22821010452013112.941.13
2016 2100001222.3338117.01621311231011105.291.71
TOR 46000064221.60011842.02881901581017173.641.12
'16計 67000076423.53825159.044103212812028274.121.29
2017 2600002411.3339520.2249900231017166.971.60
TEX 2000000103.0008919.1223901251013125.591.60
'17計 4600002514.28618440.046121801482030286.301.60
MLB:15年 59516100344779114.4202969684.26447629226346942903393214.221.37

年度別守備成績



投手(P)












2000 FLA 101001.000
2001 613001.000
2004 CWS 82320.714
2005 DET 323001.000
2006 5126001.000
2007 5701320.867
2008 932011.000
COL 510511.833
'08計 603712.909
2009 222310.833
TEX 3027001.000
'09計 5241010.933
2011 PIT 2819011.000
2012 6454001.000
2013 5432001.000
2014 2211011.000
LAA 4016011.000
'14計 6227021.000
2015 ATL 361310.800
2016 2110001.000
TOR 461410.833
'16計 672410.857
2017 2603011.000
TEX 2011001.000
'17計 4614011.000
MLB 595297986.931

記録

背番号

  • 35(2000年)
  • 37(2001年、2016年途中 - 2017年)
  • 41(2004年)
  • 49(2005年 - 2009年途中)
  • 52(2009年途中 - 同年終了)
  • 39(2011年 - 2016年途中)

代表歴

脚注

関連項目

外部リンク

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