ジョバンニ・ラバッジ
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経歴
インターセリーでは名の知れた名ドライバーであり、1993年にチャンピオンに輝くなど1990年代を主に活躍。1995年にはデイトナ24時間レースで初優勝を挙げている。
フォーミュラカーでは、1991年の国際F3000選手権に参戦。1992年にフォーミュラ1のマーチとテストドライバー契約。1995年には運営資金が枯渇していたパシフィック・ロータスに40万ドルのスポンサー資金を持ち込み、チーム運営者の一人でもあるベルトラン・ガショーのシートを買う形で第8戦イギリスGPからのスポット参戦契約をした[1]。しかしFIAはラバッジのF1マシンでの走行実績が乏しいとしてスーパーライセンスの発給を拒否。定められた走行距離のテスト走行を経て、第9戦ドイツGPでライセンスが発給されてデビューした。しかし第11戦ベルギーGPを除く3戦で予選最下位と結果を残せず、第12戦イタリアGPを最後にシートを失った。
1996年、シーズン後半にミナルディにスポンサーを持ち込み、ジャンカルロ・フィジケラのシートを買う形で再度F1に参戦。2度の完走を果たすも出走した6戦全戦で予選最下位、うち3戦で予選落ちを喫した。同年のフィジケラが非力なミナルディで高い評価を得ていたイタリア期待の新人だったことから、イタリアメディアでは「チームの財政問題から38歳のラバッジと交代することになったが、才能という点でこの男はフィジケラの敵ではないだろう。」と報じられた[2]。
2007年からは自らのチームを立ち上げ、ル・マン・シリーズに参戦した。
レース戦績
ル・マン24時間レース
| 年 | チーム | コ・ドライバー | 使用車両 | クラス | 周回 | 総合順位 | クラス順位 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1989年 | ポルシェ・962C | C1 | 303 | DNF | DNF | ||
| 1990年 | C1 | 306 | 19位 | 19位 | |||
| 1992年 | ポルシェ・962 CK6 | C3 | 334 | 7位 | 2位 | ||
| 1993年 | C2 | 328 | 12位 | 7位 | |||
| 2000年 | ポルシェ・911 GT3 | GT | 78 | DNF | DNF |
国際F3000選手権
PPGインディカー・シリーズ
F1
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