コルト (剣)
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コルト[注 1](コルタン[仮カナ表記]は対格だともされる[2]、古フランス語: Corte, Cortain[注 2])、コルテーヌ[注 3]、( "短い"の意[1][2])は、フランスの武勲詩等におけるシャルル大帝の家臣オジエ・ル・ダノワの剣。
『オジエの武勲詩によれば』、異教徒カラウーの「短い」コルトを譲り受けたとされる。しかし『ルノー・ド・モントーバン』によれば、オジエが王都エクス・ラ・シャペルの標石で試し切りしたとき半ピエ(6インチ)ほど毀れたので「コルタン」と命名した。サガではシャルルが王都で試した3振りのうち、鋼鉄に小傷しかおわせなかったので「礼節な」「クルト」と名付けられたとされる[注 4]。
アーサー王物語群(『散文トリスタン』)では、かつてトリスタン卿の欠け毀れた剣だったとする。
コルタナ[注 5]とも表記されるが、これは概してイタリア文学での呼び名である[注 6][6]。
伝・コルト剣が、モーのサン・ファロン修道院(廃墟)でかつて展示されていたロマンス文学に記述されており、実在の当寺院が廃絶した後、この剣の捜索もおこなわれたという述懐がある( § 伝コルト剣)。
オジエが「短い剣」を持つという伝承は相当古く、カスティーリャ語で書かれた『サン・ミリャン注記』(1060年ごろ成立)に、「短い剣のオジェーロ(オジェーロ・スパタ・クルタ)」[注 7]という二つ名が記されており[7]、コルタンという剣名にちなんだ綽名と推論されている[8] 。
武勲詩『ロランの歌』(11世紀成立)の最古現存本(O本=オックスフォード本、1125–50年ごろ)にその剣名は現れないが、以後の稿本のコルタン[仮カナ表記](Cortain)等は対格、であってコルト[注 1]が主格であるとクヌッド·トウビュが指摘している[8]
『ロランの歌』 での語形:
- CorteinC本(シャトールー本) 7774, 7988行; Corten 『ロランの歌』 V本(ヴェニス写本 IV) 5792行[2][9]
- Cortain P本(パリ本)4074行; T本(ケンブリッジ本)3000, 5304, 5497行; L本(リヨン本)2735行[2][10]
武勲詩『オジエの騎士道』(1194–1200年ごろ)でもコルト、コルタンの両方の綴りで登場するが[注 2]、編者のバロワは、現代形のクールタン[仮カナ表記(Courtain)を用いている[注 8]。元の持ち主は、礼節の異教徒[13]カラユー[注 9]/カラユート[注 10][注 11]である。
また、これと同期かやや早期の武勲詩、例えば『アスプルモンの歌』(<1190年)や、『ルノー・ド・モントーバン』(別名『エイモン公の4人の息子』、1200年ごろ)にも言及される[17][19]。
アーサー王伝説においては、コルテーヌ[注 3](Cortaine)というカナ遣いが『散文トリスタン』(1240年より後の加筆部)にみえるが、によれば、シャルルマーニュやパラディンたちが、アーサーの時代の英雄たちが残した名剣ら財宝を探り当て、このうち(切っ先がこぼれた[注 12])トリスタン卿の剣はオジエが持つべしとシャルル王が取り決めた[22]。ジャン・ドゥートルムーズ『歴史の鑑』(1338-1400年)でもクルテーヌ [仮カナ表記](Courtaine)がトリスタンよりオジエに伝わった剣だと説く[23]。
剣の遍歴
オジエの騎士道
武勲詩『オジエの騎士道』第1詩篇(「オジエの幼年時代」の部[25])の伝承では、コルト[注 13])は、異教徒ながらに礼節わきまえた騎士[13]カラユー[注 9][注 14]より譲り受けた剣とされる[28][29][注 15]。あるいはこのときはまだ「貸し」の状態で、のちほど馬ブロワフォールと剣コルトを(正式に)勝ち得たと記述される[31] 。
『オジエの騎士道』においては、オジエはまだ騎士見習いで、しかも人質の身であり、剣も帯びずにサラセン人によるローマ侵攻の膺懲戦を傍観していたが、敗走した旗手アロリーの具足を奪って戦に乱入する[32][33] 。アロリーにかわって軍旗を守り抜いたなどの活躍によりオジエは騎士のより叙勲を受け、シャルルマーニュ王は自分の剣を佩刀させる[34][35]。
継続する戦いで、異教徒の勇者インドのカラユーは[注 17]、オジエに一騎討ちの挑戦を送り、ヌビアの王子サドワヌ[注 18][注 19][41]対シャルロット王子で2組の一騎討がローマに流れるテヴェレ川の島[42]で執り行われる運びとなる(ちなみにサドワヌはヌビア王子で、剣は刀匠ガランの作、馬はスルターン所有のボニヴァン[注 20]、シャルロット王子は王の剣ジョワユーズを使用[43][44])[45][46]。
カラユーがこのとき佩刀した武器は、そもそも"野蛮なるブリュマダン"の所有の剣で"これを造りし者の名はエスキュラブル"であった、とテキストにはある[48][49][51][注 21][注 22]。鍛冶師(エスキュラブル)が20度打ち直し、大理石の切石で切れ味を試したところ、[ほぼ]端から端まで刃が通ったが、抜く際に掌の長さほど欠けたので(刀身を縮めて)また打ち直した。よって「短い」を意味するコルトの名が冠されることとなった[55][56]。
そしてオジエは、新手の異教徒の丈夫であるブリューナモン[注 23][注 24]と一騎打ちすることとなった。コルシューブル総督がカラユーを婿として見限り、このブリューナモンに娘をあてがおうとしたが、グロリアンド姫自身はいやがり、対決者としてなんとオジエに頼んだのである。カラユーは剣などの具足および軍馬をオジエに譲り与えた[注 25][62][63][64]。
再話による拵え
トマス・ブルフィンチによる現代再話では、シャルルがオジエに佩刀させた自分の剣を、妖精(→モルガナ)がやってきてコルタナにすり変えている。そして、シャルマーニュが改めてその剣をみると、「わが名はコルタナ。ジョワユーズとドゥリンダナと同じ鋼鉄と鍛えによって作られていた」という銘が刻まれていたとする[65]。ほぼトレッサン伯爵の再話どおりだが、こちらは「我が名はクールタン Courtain 、ガランによりジョワユーズやドゥランダルと同じ鋼でこしらえられたり」[66]となっている。
天使が制す


オジエは反逆の徒となるが、これはシャルロ王子が息子のボードワンをチェスの勝敗をめぐり殺したからである[70][71])。長年、シャルル王軍に対し抗戦するも、ついには俘虜となる。『オジエの騎士道』第9枝篇では、新たな異教徒軍に対抗できる軍人がいないフランス国は、オジエを釈放して頼みの綱にしようとするが、オジエの条件は辛辣で、シャルロ王子に対し息子の復讐を果たすことだった[72][73]。オジエがシャルロ往時をコルタンの剣で殺そうとしたその時、大天使ミカエルが降臨してこれをさえぎ、剣の刃をその手で制し[74]、処刑を阻止した[75][76]。
オジエ物語のデンマーク語翻案『オルガー・ダンスゲの年代記』[注 28](16世紀)にも、この場面は記載される[77](右下図参照)。
ルノー・ド・モントーバン
ルノー・ド・モントーバンの武勲詩(『エイモン公の4人の息子』、12世紀末)によれば、オジエは王都エクス・ラ・シャペルで剣を標石(perron)で試して、半ピエ(半足尺)欠けたので、ふさわしい名前として(「短い」を意味する)"コルタン(Cortain)"が与えられた、としている[78][27][79][注 29]。
アスプルモンの歌
『アスプルモンの歌』では、オジエが前半の主悪役であるオーモン[注 30](総督アゴランの息子)、すなわち当時のデュランダルの持ち主と直接対決している。あるモチーフ集成では、<お互いの馬を殺す>話素が該当するとしているが[82]、厳密には少し違う。原作では、オジエがコルタン(Cortain 、4678行)を兜めがけて振りかぶると、鎖頭巾(ここでは革頭巾?)を切り落とし"皮革と血が地に落ちた"。オーモンの顔を逸れ、鞍(鞍の弓形[注 31])を切り抜け、膝(膝当ての武具[注 32])・肩まで貫通し、"駒は倒れた"とされている[注 33]。するとオーモンは、嘲笑交じりながらオジエを褒める。すなわち、もう少しその剣に長さがあったなれば、自分のデュランダル(4965行)と同格と認めようものを。その使い手やおそるべし、と[84]。そして自分を落馬させるとはさすがである、と云い、オジエの馬の"鞍の前弓"も首も切った[85]
北欧サガ版
古ノルド語の『カルル大王のサガ』第1部[注 34](1240年ごろ[86])には異なる入手経路が綴られる。
カルル大王(シャルルマーニュ)がマラキンという者から(身代金がわりに[87])3振りの剣をもらい受けたが[88][注 35][注 36]。三本ともガラント[93](ウェイランド・スミス[94])が七年かけた作であった[88]。このうち一本がクルト(=コルト)と名付けられた(以下詳述)[95]。
カルル大王が[注 37]王都アーヘンに帰参し、3振りの剣を鋼鉄の塊で[注 38]試したところ、1本目は鋼鉄ブロックをわずか傷つけクルト(Kurt)と名付けられ、2本目は掌幅以上ほど切り込んだので[注 39]アルマツィア(Almacia) 、3本目は足半分以上[注 40]ほどの切片を切り落としたのでデュルムダリ"(Dyrumdali)[注 41]と命名された[103][104][注 42]。
すなわちこの北欧作品においては、剣が短くなっておらず、「短い」という意味の剣名を得たことがうまく伝えられていない[107]。あえて古ノルド語でクルト("Kurt")の剣の意味を求めるとしたら、それは"礼節"や "騎士道"の意味となる[108]。
14世紀以降ロマンス
この剣は、叙事詩の14世紀以降の改作版にも登場した。十音綴詩版ロマンス(1310年ごろ[109])や、アレクサンドラン韻律(十二音綴)詩版(1335年ごろ[110])、15世紀の散文物語版[111]にはいずれもカラウーがこの剣をつかってオジエと一騎討する場面が踏襲される[112]。散文作家もやはり天使が剣を制する場面を残すが、聖ミカエルではなく "天国よりの某天使"に変化しており[注 43]、オジエの剣の先端を取って止める[注 44]、など微変更もみられる[113]。後期の重版本では、章の冒頭に足された要約文に"首を切ろうとしていたのを、天使がその腕を制して.."とまとめているものがある[114]。
16世紀デンマーク訳
散文体オジエ物語のデンマーク語翻案『オルガー・ダンスゲの年代記』[注 28](1534年)は、クリスチャン・ペーザーセンによる。この剣(Kortone)に剣にまつわる数々の場面も、踏襲されており、オルガ―の剣コルトーネから天使がフランス王子を守ったくだりや、1842年版本のそのイラストは、 § 天使が制すで上掲したとおりである[77]。また、モーの修道院で剣の実物がみられるという言及も、デンマーク訳にみつかる[116]( § サン・ファロン修道院の剣参照)。
アーサー王物語群
フランス語の『散文トリスタン』(1230–1235年開始、拡張・改作は1240年より後[117])にも言及があり、オジエはアーサーの騎士トリスタンの剣を引き継いだことになっている。この剣は、長すぎ重すぎたため、オジエは縮めて使い、コルテーヌ(Cortaine)と名づけた[注 45][22][118][119]。このフランス産の物語では、シャルル大帝がトリスタンやパロミデスなどの騎士の名剣を五本みつけ、臣下に分け与えたことになっている。パロミデスの剣はオジエにわたしたトリスタンの剣より優れているとみて自分の王剣とした[22]。
イタリア散文版の『タヴォラ・リトンダ(円卓)』(14世紀中葉-15世紀)は、おおよそ『散文トリスタン』を土台としているが、トリスタンの剣にヴィスタマーラ(Vistamara)という名がつけられており、世界でも追随をゆるさぬ最鋭利な剣だと書かれている[120][121]。この版では、シャルル(カルロ・マーニョ)は、アーサーの王国ログレスのヴェルツェッペ城[122][124]、五人の騎士像が、本人たちの剣を佩いていたのを見つける[125]。トリスタンの剣は重すぎて、唯一扱えそうなオジエ(ウジエ―リ)にゆだねられたが、初めて使ったときに先が折れ、コルタナ(Cortana)という名がつけられてしまった[126][118]。