スズタケ
From Wikipedia, the free encyclopedia
スズタケ(篶竹、学名:Sasamorpha borealis (Hack.) Nakai[1])は、イネ科タケ亜科スズタケ属(Sasamorpha Nakai)に属するササ類の多年生植物である[6][7]。スズダケ、スズ、ミスズとも呼ばれ、信濃の枕詞「みすずかる」にも現れる[8][9]。日本の山地に広く生育し、古くから笊や籠などの竹細工の材料として利用されてきた。大規模な一斉開花が2000年代以降全国各地で観察されており、その周期は120年ともいわれている。
| スズタケ | ||||||||||||||||||||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
スズタケ(諏訪大社下社春宮 2026年5月) | ||||||||||||||||||||||||||||||
| 分類(APG IV) | ||||||||||||||||||||||||||||||
| ||||||||||||||||||||||||||||||
| 学名 | ||||||||||||||||||||||||||||||
| Sasamorpha borealis (Hack.) Nakai[1] | ||||||||||||||||||||||||||||||
| シノニム | ||||||||||||||||||||||||||||||
| ||||||||||||||||||||||||||||||
| 和名 | ||||||||||||||||||||||||||||||
| スズタケ |
特徴
地下茎は長く地中を這い、単軸分岐をする[10]。茎に相当する稈(かん)は直立し、高さ1-2メートル、直径5-8ミリメートルほどで、上部の各節からふつう1本ずつ枝を出し、ときに2-3本に分岐する[6][10][11]。節は平坦でふくらまず、節には長毛が密生し、節間には逆向きの細毛があるか、または無毛である[6][10]。稈鞘は節間より長く、宿存し、長毛を密生または散生する[6][11]。枝が出る際には主稈の稈鞘が主稈を離れて枝を包み、肩毛や葉耳を欠くことが本属の特徴とされる[10][11]。
葉は稈や枝の先端に2-3枚つき、革質で、披針形(ひしんけい)から狭披針形、長さ20-33センチメートル、幅3-5センチメートルほどである[10]。葉身は両面ともほぼ無毛で、上面には光沢があり、下面はやや灰白色を帯びる[6][10][11]。葉鞘は上向きの細毛が密生するか無毛で、上部が紫色を帯びることがある[10]。
花序は稈や枝の上部に生じる円錐花序で、小穂は紫色または暗紫色を帯びる[6][8]。小穂は扁平で、5-8個の小花からなり、雄しべは6本、柱頭は3個である[6][11]。筍(たけのこ)は細長く、緑紫色を帯び、粗毛を被る[8]。
分布
分類
スズタケはスズタケ属 Sasamorpha に属し、Sasamorpha borealis が学名として採用されている[1][12]。一方、YList など、Sasa borealis を標準学名とする文献もある[13]。シノニムとしては、Bambusa borealis、Arundinaria borealis など多数がある[1][11]。

スズタケには次のような種内分類群があり、区別されることがある。
- クマスズ(隈篶竹)Sasamorpha borealis var. amabilis、異名 Sasamorpha amabilis
- フイリスズ(斑入篶竹)Sasamorpha borealis var. purpurascens f. albo-striata Muroi
- 葉に白条が入る[14]。
- ハチジョウスズタケ(八丈篶竹)Sasamorpha borealis var. viridescens (Nakai) Sad.Suzuki
- ホソバスズタケ(細葉篶竹)Sasamorpha borealis var. angustior (Makino) Sad.Suzuki
Plants of the World Online(POWO)では、フイリスズは未登録で、その他の種内分類群はスズタケと同種とされている[1]。
スズタケ属
スズタケ属 Sasamorpha は、イネ目 Poales、イネ科 Poaceae に属する[17]。イネ科内では、タケ亜科 Bambusoideae のアルンディナリア連(メダケ連) Arundinarieae に分類される[18][19]。
POWO では、スズタケ属に属する種として、スズタケのほか、オオシダザサ Sasamorpha oshidensis、Sasamorpha hubeiensis、Sasamorpha qingyuanensis、Sasamorpha sinica の計5種が認められている[20]。オオシダザサは神奈川県と宮崎県で絶滅危惧IB類(EN)に指定されている[21]。
ケスズ Sasamorpha mollis は、POWOではスズタケの異名とされる一方、日本の図鑑・植物誌ではスズタケ属に属する別種として扱われる[1][22][10]。スズタケによく似るが、葉身下面に軟毛が密生し、節がややふくらむ点で区別される[10][11]。神奈川県、山口県で絶滅危惧IA類(CR)、岡山県で絶滅危惧I類、香川県で準絶滅危惧に指定されている[23]。
『日本のタケ亜科植物』の分類では、スズタケ属に2種1変種を認めており、スズタケとケスズの2種、およびスズタケの変種であるハチジョウスズタケが含まれる[7]。
- 別属で和名に「スズダケ」を含む種
ヒメスズダケ Sasaella hisauchii (Makino) Makino は鈴木 (1978), p. 258に掲載される種であるが、アズマザサ属に分類される[10]。紛らわしいため、同じ種と認定されたヤマキタダケを正式名として採用し、ヒメスズダケはその別名となっている[10]。
分類史
スズタケの分類史は、19世紀末にさかのぼる[24]。1899年、Hackel は日本産標本にもとづき Bambusa borealis を記載し、同時に近縁とみなされる Arundinaria purpurascens も記載した[1][24]。1900年には牧野富太郎が Bambusa borealis を Arundinaria borealis に組み替え、1901年には牧野・柴田桂太がこれらを Sasa borealis としてササ属にまとめた[1][24]。鈴木貞雄の1975年の再検討では、牧野・柴田が Arundinaria purpurascens を Sasa borealis の異名に落としたため、命名規約上、種小名 borealis が優先されると説明されている[24]。
スズタケが Sasamorpha に置かれたのは、命名上は1931年である[1]。中井猛之進が北海道・樺太の植物相を扱った文献でササ属から一部の種を分離して Sasamorpha 属を設立し、スズタケを Sasamorpha borealis (Hack.) Nakai とした[1][24]。POWO もこの組合せの初出を Journal of the Faculty of Agriculture, Hokkaido Imperial University 26巻181頁、1931年としている[1]。
中井が設けたスズタケ属は、ササ属に似るが、形態上は区別されるものとされた[24]。鈴木貞雄は1975年の「スズタケ属の再検討」で、スズタケ属は地下茎が単軸型で稈が直立し、稈鞘が節間より長く稈を覆うこと、節が平坦であること、葉数が少なく肩毛を欠くことなどをササ属との識別点として挙げている[24]。また、稈鞘や葉鞘の毛の多少は個体差・生育環境・季節によって変化しやすく、過去に多くの種・変種が細分された原因になった[24]。
同文献では、日本・朝鮮から報告されていたスズタケ属の多数の種・変種・品種を再検討し、スズタケ属を主にスズタケ Sasamorpha borealis とケスズ Sasamorpha mollis の2種に整理し、スズタケ内にホソバスズ、ウラゲスズ、ハチジョウスズなどの変種を認めた[24]。現在の国際的データベースではさらに広く統合され、Sasamorpha mollis なども Sasamorpha borealis の異名に含める扱いが見られる[1][12]。
分子系統分類の時代には、スズタケはタケ亜科のうち「温帯性木本タケ類」であるアルンディナリア連(メダケ連) Arundinarieae に含められる[18][19]。2012年の研究では、タケ亜科は Arundinarieaeの他、「熱帯性木本タケ類」のバンブーサ連(ホウライチク連) Bambuseae、「草本性タケ類」のオリラ連 Olyreae の3連に分けられた[18]。一方で、アルンディナリア連内部では形態にもとづく従来の属・亜連と分子系統の対応が悪く、属境界の再検討が続いている[19]。2020年に Zhang らは、分子系統解析に基づいてメダケ連 Arundinarieae の亜連分類を再検討し、同連を5亜連に整理した[19]。
名前の由来
和名「スズ竹」の「すず」は、元来「しの」、すなわち「篠」と同義で、すすきと同様に叢生する(群れて生える)という意味とされる[8]。和名の別名として、スジタケ、ミダケ、スドリダケ、ススニタケ、シノメダケ、ホッタケ、ジダケなどがある[11]。
属名 Sasamorpha は、ササ属 Sasa と、「形・外形」を意味するギリシア語 μορφή(morphē)に由来する要素 morpha からなる。種小名 borealis はラテン語で「北の」を意味する。
分類上は、タケノコの成長に伴って稈から皮(稈鞘)が脱落するものをタケ、成長後も稈に皮が残るものをササと呼ばれる[25]。スズタケでは稈鞘が宿存するため[10]、和名に「竹」と付く一方で、分類上はササ類として扱われる。
古典における記述
近世以前の文献では、スズタケ(篠竹)を指す語として「すず」「篠(すず/しの)」「篶(すず)」などが用いられた。国語辞典の解説では「すず(篠・篶)」は細い竹(=すずたけ)の異名とされ、用例として『梁塵秘抄』や『古今著聞集』が挙げられている[26]。ただし、古典語の「篠/すず」は必ずしも現代の分類群と一対一に対応するとは限らず、文脈に応じて「細い竹(ササ類を含む)」の総称として用いられる場合がある点に留意が必要である[26]。
『万葉集』「みすずかる」と「みこもかる」
信濃にかかる枕詞として広く知られる「みすずかる」は、『万葉集』巻二の二首に見える「水(三)薦刈る 信濃の真弓」に由来する。
久米禅師の、石川郎女 を娉 ひし時の歌五首
三薦刈る 信濃の真弓引かずして 強ひざる〔弦はくる〕行事を知ると言はなくに 郎女
水薦 刈る 信濃の真弓 吾が引かば貴 人さびていなと言はむかも 禅師
近世以降、荷田春満や賀茂真淵らがこの「み薦」を「みすゞ」と読んだことから、「みすずかる信濃」という形が広まり、近代以降の信州関係の命名にも用いられるようになった[27][28]。江戸後期の俳人小林一茶の『父の終焉日記』にも「御篶刈しなのの不自由なる我里は」とある。
一方で、『万葉集』本文の表記は「篶」ではなく「薦」であり、「薦」は本来マコモ(こも)を指す字であることから、昭和期以降は武田祐吉が「みすゞ」は誤読で、「みこもかる」と読むべきだと主張した。現在では、「みこもかる」と読む説が学術的には通説とされる[27][28]。ただし、「みすずかる」は江戸時代以降に定着した表現として、一茶の用例や「みすゞ飴」のような固有名にも残っており、信濃を連想させる語として今日まで用いられている[27][28]。
『梁塵秘抄』
平安時代末期の後白河法皇撰とされる歌謡集『梁塵秘抄』に収められている、
甲斐にをかしき山の名は、白根波埼塩の山、室伏柏尾山、すずの茂れるねはま山
という句が、「すず」の古い用例として引用される[26]。
『甲斐国志』
江戸時代の1814年(文化11年)成立の地誌『甲斐国志』巻之百二十三には次の記述がある[29]。
〔篠 〕富士ノ北麓ニ叢生スルヲ 本栖、精進、西湖諸村ノ里人苅リテ
河内領、郡内領ニ擔売ス
根場ハ箕 、笊籬 、魚籃 、籭 等ヲ造ル具ナリ
梁塵秘抄ニ すゞのしげるねば山 ト有ルハ此處ヲ云西ノ湖 ノ枝村ナリ
富士山北麓に叢生する「篠(スズ)」を本栖・精進・西湖などの村人が刈り取り、甲斐国内の河内領・郡内領へ担いで売って箕・笊籬・魚籃を作る材料としたと記されている[30]。この記述は、富士北麓でのスズ竹採取と、生活用具(箕・笊・籠など)の材料としての利用が、近世以前から行われていたことを示す史料として引用されている[30][31]。また、前出の『梁塵秘抄』の句「すずの茂れるねば(ま)山」を引き合いに出し、「すず(篠)」が茂る「根場」(現在の富士河口湖町の地名)は富士北麓西湖の小村であると記している。
盛岡藩『封内郷村志』
岩手県一戸町鳥越地区の竹細工については、寛政年間(1789年-1801年)に成立した盛岡藩の『封内郷村志4』の「鳥越村」に
産物 以篠竹造手篭類之物
との記載がある[32]。これは当時この地域で竹細工が行われていた根拠とされ、材料は当地で採れる「篠竹=スズタケ」であると説明されている[33]。
竹細工への利用
スズタケは、細くしなやかな稈をもつことから、古くから籠(かご)や笊(ざる)などの編組品(竹細工)の材料に用いられてきた。スズタケを割って作る「ひご」は、細かな編み目をもつ日用品の製作に適しており、台所用品、運搬用具、農具、収納具などに加工された。
材料と加工
竹細工には、主に山地に自生するスズタケの稈が用いられる。採取したスズタケは、用途に応じて割り、削り、幅や厚みを整えたうえで、編組用のひごに加工される。富士勝山スズ竹工芸品では、工程として、スズ切り、スズ割り、ヘギ引き、ヘゴかけなどを経て材料を整え、その後、底作り、胴編み、縁どめ、縁巻きなどを行って製品を仕上げる[30]。
スズタケのひごは、製品の形や大きさ、編む部分に応じて幅や厚みを調整して用いられる。籠や笊では、底、胴、縁などの部位ごとに必要な強度やしなやかさが異なるため、材料の取り方や編み方にも工夫が加えられる[30]。
主な製品
スズタケを用いた竹細工には、地域により次のような製品がある[34][30]。
- 笊(ざる) - 米や野菜の水切り、選別などに用いられる日用品。
- 箕(み) - 穀物などを選別するための農具。
- 籠(かご) - 収穫物や日用品の運搬・収納に用いられる。
- 行李(こうり) - 衣類や品物の収納・運搬に用いられる箱形の籠。
- 文庫・小文庫 - 蓋付きの小型収納具。
- 手提げ - 持ち歩き用の籠。
- 弁当籠 - 弁当を入れるための籠。
- つぼけ - 収穫物などを入れる籠類。
- とおし(とす) - 穀物などを選別するための篩(ふるい)。
- 魚籃(びく) - 釣った魚を入れる籠。
- 岩手県産スズタケ 丸ざる
- 岩手県産スズタケ 弁当かご
竹細工の主な産地
山梨県・富士勝山スズ竹工芸品
山梨県富士河口湖町(勝山地区)周辺では、スズタケを用いてザルや籠などを製作する「富士勝山スズ竹工芸品」が知られる。平成10年8月に山梨県郷土伝統工芸品として指定された[30]。
主原料には富士山二合目付近に自生するスズ竹が用いられ、しなやかで香りがよい点が特徴とされる[30]。 また、編み上げた直後の青緑色から、使用に伴って飴色へ変化していく点が挙げられている[30]。
前述のように江戸時代後期の地誌『甲斐国志』にも、この地区に叢生する篠(スズ)を刈り取って竹製品の材料にしたと記されている[30]。当地区では、江戸時代初期から籠・笊などが製作され、笊を「甲州郡内ザル」と称して行商したことで全国的に広まったとされている[35]。
岩手県・鳥越竹細工(一戸町・鳥越地区)
岩手県一戸町鳥越地区では、スズタケを主材料とする「鳥越竹細工」が行われている。岩手県では笹類を利用した竹細工が各地で農家の副業として行われたが、なかでも二戸地方の竹細工は、その中心地である鳥越の名を冠して知られるようになった[36]。鳥越は平地が狭い寒冷な山村であり、藩政期にはすでに竹細工が行われていたと考えられている[36][37]。
材料となるスズタケは柔らかく弾力に富み、年月を経ると飴色の光沢を帯びる。主な製品には笊、箕、籠、行李、手文庫、豆腐籠などがあり、近年にはネマガリダケを用いた家具類も製作された[36]。柳宗悦は「陸中雑記」や『手仕事の日本』で、細い篠竹から生まれる形や編み方の美しさ、黒染めの竹を編み込んだ製品などを紹介している[38][39]。
戦後の物資不足期には玉ざるを中心に需要が高まったが、プラスチック製品の普及や出稼ぎの増加によって生産は衰退した。さらに作り手の高齢化や後継者不足に加え、2018年頃から材料となるスズタケの枯死が広がり、技術の継承が課題となっている[40]。現在も制作・販売は続けられ、鳥越もみじ交遊舎では展示・販売や製作体験が行われている[41]。
長野県・松本地域のみすず細工
松本地域のみすず細工は、江戸時代から続く伝統的な竹細工である[42]。もとは農家が自家用の笊や籠を作る手仕事であったが、江戸末期から明治初期にかけて農家の副業として広まり、松本地域を代表する地方産業へ発展した[43][44]。
製品には笊、籠、竹行李、文庫、提籠、茶籠、敷物などがあり、明治6年(1873年)のウィーン万国博覧会にも松本周辺産の製品が出品された。生産は東筑摩郡を中心とする周辺村落へ広がり、農閑期の現金収入源となったほか、生産組合の結成や博覧会への出品を通じて全国・海外市場を意識した産業へ成長した[43]。
その後は生産規模が縮小し、2009年に最後の職人が亡くなって製作技術はいったん途絶えた。2011年に松本市の支援で「みすず細工復活プロジェクト」が発足し、博物館資料の観察や古い製品の分解、他地域の技術調査によって製法の復元が進められた[45][46]。2012年に活動を始めた「松本みすず細工の会」が、現在も製作と技術継承を行っている[47]。
長野県・伊那市美篶地区の篶竹細工
伊那市美篶地区には、スズタケを用いる篶竹細工が伝えられている[48]。この地域では篶竹細工が地域産業の一つであり、美篶小学校資料館には関連資料や道具が保存・展示されている[48]。現在も上川手竹細工クラブなどによる継承活動が行われている[49][50]。
長野県・箕輪町における継承
上伊那郡箕輪町では、「信州みのわ竹細工の会」がスズタケを用いたざるなどの竹細工を製作している[51]。同会の会員を講師とする竹細工講座も開かれており、地域の手仕事として継承が続けられている[52]。
長野県・下諏訪におけるスズタケの生産
長野県諏訪郡下諏訪町では、和田峠西斜面の東俣国有林や砥沢・赤渋一帯が良質なスズタケの産地として知られ、近代にはスズタケ伐りと竹細工が農家の重要な副業となっていた[53][54]。明治6年(1873年)の記録では、下原村を中心に計165人がスズタケ伐りの税を納めていた。東俣のスズタケは町が一括して払い下げを受け、希望者に鑑札を交付し、その利益を小学校教育費に充てたとされる[54]。
採取されたスズタケは、地元で蚕かご、ざる、びくなどに加工されたほか、竹細工材料として松本、上諏訪、山浦方面などへ出荷された[54]。明治29年(1896年)の調査では、下諏訪町の蚕かご製造は年産4万5000枚、製造戸数35戸、従事者151人と記録されており、養蚕業の発展に伴って有力な農家副業となっていた[54]。
長野県・戸隠・山ノ内の竹細工
長野県の竹細工産地としては、長野市戸隠や下高井郡山ノ内町も知られる[55]。ただし、これらの地域の竹細工は主として日本海側に多い「根曲がり竹」(チシマザサ)を材料としている[56]。チシマザサは弾力性と耐水性を生かした籠物細工に用いられた[56]。
新潟県・五頭連峰麓(阿賀野市・今板地区)
新潟県阿賀野市今板地区の竹籠店では、地元産の材料(出湯笹・根曲がり竹等)に加えて「岩手県二戸郡で取れる鈴竹(すず竹)」を取り寄せて竹籠の材料に用いている[57]。
静岡県・御殿場における竹行李生産の盛衰
御殿場における竹行李の生産は、明治20年代初頭に始まった。創始者は信州松本付近の出身とされる林梅吉で、松本郊外で材料としていたスズ竹の不足を受け、富士山麓に群生するスズタケ(御殿場地区では「スス竹」と呼んでいた)を用いて御殿場で竹行李作りを始めた[58]。はじめは弁当行李を近隣向けに販売していたが、明治29年(1896年)には横浜商人の勧めで輸出向け生産に進み、信州から職工を招いて製造を拡大した[58]。やがて竹行李作りは農家の副業として印野・原里をはじめ御殿場一帯に広がり、最盛期には約2,000戸が従事した[58]。大正期には御殿場を中心とする静岡県東部産の竹行李が全国生産の8割を占めたとされる[58]。輸出も盛んで、大正3年(1914年)には横浜から輸出された竹行李が上半期だけで41万300個、約20万円に達し、その85パーセントを東海地方産が占めたとされる[59]。御殿場の竹行李は国内向けの農家副業から輸出産業の一角へ成長し、地域経済を支える重要な産業となった[58]。
素材には主に富士山麓のスス竹が用いられ、スス竹製の行李は衣裳用として輸出向けに多く生産された。しかし昭和10年(1935年)以後は原料不足が進み、箱根山などのハコネダケや移入材も用いられるようになった[58]。戦時中には竹行李は軍需品として海軍衣料廠へ納入され、戦後もしばらくは需要が続いたが、朝鮮戦争期以後は段ボール製衣裳箱やスチール製品の普及によって衰退した[58]。昭和30年(1955年)ごろにはなお御殿場に約600戸、須山に約200戸の生産者があったが、昭和50年代までに竹行李生産はほぼ終焉した[58]。
枯死の影響
スズタケの一斉開花後の枯死(詳細は後述)は、竹材の確保や生産継続にも影響する。開花したスズタケは折れやすくなり、材料として使いにくくなるとの観察もある[62]。このため、従来の採取地で安定して良材を確保することが難しくなり、細工物の製作量や継続的な供給に影響が及ぶ。
鳥越のすず竹細工についても、材料となるスズタケの枯死と、その後の再生に長い時間を要することが指摘されている[63]。鳥越竹細工は地域の自生スズタケに依存する度合いが大きく、材料不足は製品づくりの継承や職人の確保にも関わる問題である[63]。
山梨県富士河口湖町勝山のスズ竹工芸でも、材料となるスズタケの減少が問題となっている。2022年ごろ、従来の採取地であった富士山麓のスズタケが枯れたような状態となり、スズ竹工芸の継続が危ぶまれている[64]。当初は病気や開花後の枯死も疑われたが、ササの上部が失われていたことなどから、シカによる食害が原因と考えられている[64]。
その他の利用
釣り竿
江戸和竿は、天然の竹を主材料とする和竿の一系統で、延べ竿・継ぎ竿があり、竿に漆塗りを施す点が特徴である[65]。 和竿の材料として、布袋竹・真竹・淡竹・黒竹・矢竹・丸節竹などのほか、高野竹(こうやちく)も用いられる[65]。 高野竹は「スズ竹」と併記されることがあり、細身で強いことから、へら竿・真鮒竿などの「穂持ち」(穂先の次の節)に用いられる[66]。
食用
タケノコと「スズノコ」
スズタケのタケノコの食用可否や、「スズノコ」という名称が指す植物については、文献によって記述が異なる。食習俗などを扱った文献には、「スズノコ」をスズタケのタケノコとし、食用にするとの記述がみられる[67][68]。
一方、竹類研究者の室井綽は、スズタケのタケノコは硬く、食用にはならないと説明している[69]。室井によれば、「スズノコ」または「スズコ」と呼ばれて食用にされるものは、スズタケではなくチシマザサのタケノコであり、これをスズタケのタケノコとするのは誤りであるとしている[70][71]。
竹米
後述するスズタケの一斉開花に伴って結実した実は、竹米と呼ばれ、米の代用品として利用されてきた。『高千穂町史 本編』(1973年)には、1678年の大飢饉の際、スズタケの実によって命をつないだという記録が掲載されている[72]。
田中貢一「篶竹及竹米に就て」にも次のような記述がある[73][注釈 1]。
昨年、信州の諸山、就中其南部に於ては、すゞたけの結實最も多く、上伊那·下伊那·西筑摩·諏訪(伊那に近き部)等諸郡の山々に生ぜるものは、悉く結實を告げ、七八月の候、土民は其老幼男女を問はず、中には他鄉に出稼ぎ中のものすら呼び戻し、舉つて之を山にあさる様、恰も彼の白雪山人が、竹實記中に記せる、天保三年飛川高山附近に於けるが如くなりきと、而して、各人日に獲るところ、多き(壯丁)は四五斗、少きも(老童婦女)二三斗に下らざりしといふ、惟ふに、此等の地方に於て蒐め得たる竹米の總額は、實に莫大なりしなるべく、優に、本年度に於ける米作の不結果を補ひ得て餘りありしなるべし。 — 田中貢一、「篶竹及竹米に就て」(1907年)
1906年に信州南部の山地でスズタケが多く結実し、上伊那・下伊那・西筑摩・諏訪の一部などで竹米採集が盛んに行われたことが記されている。老幼男女を問わず、出稼ぎ中の者まで呼び戻して竹米を採集し、多い者で1日に4、5斗(1斗は約18リットル)、少ない者でも2、3斗を得たとして、その総額は当年の米作の不作を補って余りあるほどであったと述べている。
植生

ブナ-スズタケ群集
スズタケは林床に密生するササ類であり、日本の落葉広葉樹林を特徴づける代表的な林床植物の一つである。とくに太平洋側のブナ林では、ブナの下層にスズタケが発達する「ブナ-スズタケ群集」を形成し、日本海側の「ブナ-チシマザサ群集」と対比される[77]。
積雪量と降水量
スズタケは日本では主に太平洋側に分布することから、従来は積雪量の少なさが分布に関係すると考えられてきた。2011年の研究では、積雪量に加えて、生育期(5月から9月)の降水量が多い地域ほど潜在的な生育地となりやすい可能性が指摘されている[78]。
林床での優占
スズタケは地下茎によって広がり、林床に密生することで、スズタケ優占の林床群落を形成することが多い[79]。 スズタケ、ミヤコザサ、アズマザサ類が混生する林床を32年間追跡した研究では、スズタケが他のササ類より速く広がることが確認された。このため、長期的には他のササ類を排除して優占する可能性が示されている[80]。
森林更新への影響
スズタケが林床に密生すると、地表が稈や葉に覆われ、地表付近まで届く光が少なくなり、さらに地下では地下茎が空間を占有するため、他の植物の苗木の成長が制限される場合がある[79]。 また、スズタケは上層木が伐採されたあとも林床に残りやすく、伐採後の天然更新や跡地に植栽された苗木の成長を妨げる要因となりうることが指摘されている[79]。
地下茎と土壌表層の保全
一方で、スズタケは地下茎をよく発達させ、土壌表層を緊縛する。このため、土壌表層の保全に有効な働きをすると考えられている[79]。 スズタケ一斉枯死後の土壌浸食について調査した結果では、植被率[注釈 2]やリター被度[注釈 3]、枯死稈被度が高い場所ほど、土壌浸食の危険度が低くなる傾向が報告されている[81]。
シカ食害による退行
冷温帯自然林の林床を優占するササ類は、ニホンジカの高密度化に伴う採食圧の影響を受け、被度低下や矮性化、枯死稈の増加などを経て「退行」(林床での衰退・消失)が進むことがある。スズタケも、太平洋側のブナ林などでシカの影響により退行する事例が報告されている[82]。
- 丹沢山地
丹沢山地では、1980年代以降、森林の地面を覆っていたササが枯れ上って退行していく光景が各地で見られるようになり、退行域が中腹から山頂方向へ拡大した[83]。神奈川県では、ニホンジカ管理の一環として、矮性化したササの分布を丹沢山地の主要な尾根で定期的に調査している[84]。
シカの影響を受けた自然林では、林床植生の回復や樹木更新を促すため、植生保護柵(防鹿柵)が設置される。丹沢山地のブナ林でスズタケが退行した斜面を対象とした研究では、植生保護柵内でスズタケの被度や稈高が比較され、設置からの年数によってスズタケの回復状況に差が生じることが確認された[82]。また、スズタケ退行地に7年間設置された柵では、林床植生や高木性樹木の稚樹の回復が調べられ、シカの採食圧を受けた自然林の再生手法として植生保護柵が有効である可能性が示された[85]。
- 大台ヶ原
大台ヶ原(吉野熊野国立公園)では、シカによる生態系被害への対応として、2002年以降の捕獲(個体数管理)と、防鹿柵の整備、柵内外での下層植生の被度・稈高の追跡調査(2003~2013年)等を組み合わせた自然再生の取り組みが行われている[86]。同研究では、柵内で下層植生の被度・稈高が増加し、西大台地域でスズタケが衰退した箇所などにおいて柵整備後にスズタケの被度・稈高の回復が見られたことが述べられている[86]。
- 九州大学宮崎演習林
九州大学宮崎演習林(津野岳団地・三方岳団地)では、2003年の調査時点でスズタケが広く健全に確認された一方、2014年には広い範囲で衰退・消失し、2021年に残存が確認された箇所も2024年にはその多くが消失したと報告されている[87]。同報告は、スズタケの衰退・消失の要因として、シカ食害の進行状況(食痕)や枯死稈の出現にも触れている[87]。
窒素循環への影響
シカの過採食によるスズタケの消失は、森林の窒素循環にも影響する可能性がある。日本の冷温帯混交林で行われた研究では、スズタケが残る場所と失われた場所が比較され、スズタケが失われた場所ではスズタケによる窒素吸収量が低下していた[88]。また、表層土壌や深さ50 cmの土壌水に含まれる硝酸態窒素の濃度・蓄積量は、スズタケが失われた場所で高かった。このことから、スズタケの消失は硝酸態窒素の蓄積や、雨水などによる森林外への流出を促す可能性が指摘されている[88]。
食害対策
スズタケ退行が問題となる場面では、(1) シカ個体数管理(捕獲等)と、(2) 防鹿柵による局所的保護、(3) 被度・稈高・林床植被率などの指標によるモニタリングを組み合わせ、森林更新や土壌保全との関係を踏まえて対策の優先順位を検討する枠組みが必要とされる[86][82][87]。
一斉開花・結実と枯死
2010年代前後の記録
スズタケはタケ・ササ類の一種であり、一回結実性(monocarpic)で、一斉開花後に種子を生産し、その後大部分が枯死へ向かう[89]。シカ食害によるスズタケ退行が進む中、2010年代を中心として、日本の各地でスズタケの一斉開花が見られ、開花後の枯死(枯死稈の確認を含む)も報告されている。以下は記録に残っているスズタケ一斉開花の目撃情報である。
| 年 | 地方 | 記述 |
|---|---|---|
| 2007 | 関東 | 奥多摩の蕎麦粒山・笙ノ岩山・鷹ノ巣山などでの スズタケの一斉開花の情報が インターネット上に見られた[90]。 |
| 2008 | ||
| 2009 | 関東 | 奥多摩・鷹ノ巣山の登山道で スズタケの開花が確認された[90]。 |
| 北海道 | 厚岸町にて、スズタケの一斉開花枯死が観察された。開花稈には種子は見られず、ほとんどの葉を落とした枯死稈が林立していた[91]。 | |
| 2013 | 関東 | 丹沢山地の主稜線部を中心に各地で スズタケの開花が確認された[92]。 |
| 2014 | 関東 | 丹沢山地の主稜線部を中心に各地で スズタケの開花が確認され、2013年に開花した場所と同一 またはその周辺域での開花が多かった。特に、檜洞丸西南斜面の つつじ新道・石棚山稜・同角山稜で 開花範囲の拡大が顕著だった[93]。 |
| 6月、関東山地の奥秩父地域で スズダケが一斉開花した。開花の範囲は飛竜山から金峰山に及んだ[94]。 | ||
| 2015 | 関東 | 奥秩父地域でスズダケの開花が続き、2014年に開花しなかった集団が開花した。奥秩父主稜線より北側では 2014年に開花した集団が多く、南側の笠取山から大菩薩嶺にかけては 2015年に開花した集団が多かった[94]。 |
| 多摩川源流域の東京都水道水源林で 開花が観測された。同水源林ではスズタケが 1999年から2015年にわたって 全域で開花し、開花は東から西へ 進行する傾向がみられた[95]。 | ||
| 2016 | 関東 | 丹沢山地では、2013年・2014年に続いて、2016年の開花情報および 枯死情報が報告された[84]。 |
| 中部 | 秋に愛知県設楽郡の段戸山一帯・段戸国有林で前咲きがみられた[96]。 | |
| 2017 | 関東 | 茨城県北茨城市にある小川保護林の3か所で、スズタケの小規模一斉開花が確認された。花の撮影は5月。小川保護林では他に1991年、2020年、2023年に それぞれ1か所ずつの 部分開花が確認されている[97]。 |
| 中部 | 5月中旬、愛知県東部を中心に一斉開花し、段戸国有林では群落全体の約80%が開花した[98] | |
| 5月下旬~6月上旬、長野県南部の飯田市、高森町、阿智村、平谷村、根羽村、売木村、阿南町、南木曽町で広域開花が確認された。南木曽町田立では6月4日時点で かなり多くの花が咲いており、開花開始は5月下旬ごろと推定されている[99]。 | ||
| 春から初夏にかけて、中部地方の広範囲(静岡県北西部、愛知県北東部、長野県南部下伊那・木曽、岐阜県美濃中部・東部および飛騨南部、三重県北西部、滋賀県南東部)でスズタケの開花を確認。1897年に実を収穫した記録のある地域では、いずれも 2017年の開花を確認[100]。 | ||
| 近畿 | 鈴鹿山地中部の鎌ヶ岳から 布引山地北部の青山峠にかけて分布する スズタケのほとんどが一斉開花した[101]。 | |
| 5月~6月、兵庫県の六甲山でスズタケが一斉開花した。2018年にも数は少ないものの開花を確認。六甲山の東西約10 km、南北約6 km、標高310-850 mほどの範囲で 開花が確認された[102]。 | ||
| 2022 | 東北 | 5月、岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里の民家で スズタケの開花が確認された[103]。 |
| 5月、秋田県秋田市の一つ森公園で スズタケが一斉に開花し、報道機関向けの鑑賞会・説明会が開かれた。開花は、公園内の一角約10 mで確認された[104]。 | ||
| 2023 | 近畿 | 2017年鈴鹿山地一斉開花の北縁部である 鎌ヶ岳周辺では 2017年に開花個体と 非開花個体が混在していたが、これらの非開花だったスズタケが 2023年に本格的な一斉開花を迎えた。発表時点までに、北は竜ヶ岳、南は御在所岳、西は永源寺湖にわたる地域で 2023年の一斉開花が確認されている[101]。 |
| 2025 | 中部 | 長野県中部の上伊那地域や木曽谷、諏訪、松本エリアで開花が見られた[105] |
| 2026 | 中部 | 5月上旬より、長野県中南部の広いエリアで一斉開花が始まった[106][107][108]。 |

回復過程
ササ類では、一斉開花・結実後に地上部が枯死し、林床を覆っていた植生が一時的に失われることで、森林生態系にとって大きな攪乱となり得る[109]。
名古屋大学演習林を含む愛知県北東部では、2016年から2017年にかけてスズタケの一斉開花・結実が起きた後、固定調査地区を設定して2018年から2023年まで実生の出現と成長が追跡された。その結果、実生の出現は複数年にわたり、出現数は結実2年後の2019年に最大となった。少数の実生はその前後の年にも出現したことから、主な休眠期間は2年で、一部に1年または3年の個体があると考えられている[109]。
このように、スズタケは枯死直後にただちに一様に回復するのではなく、「種子散布、発芽・出現、定着」という過程を経て年単位で回復が進む。実生の出現は晩夏に多く、出現数は日射量が多い場所で少なく、囲いで野ネズミが入れないようにした場所で多かった。また、実生の採食者としてノウサギや野ネズミが確認された一方、調査時点ではニホンジカによる実生の採食はほとんど確認されなかった[109]。
発生後の成長は遅く、発生から5年後でも稈高は約10 cmにとどまったため、一斉開花以前の状態に戻るには長期間を要するとされる。こうした回復過程は、スズタケ自身の再生だけでなく、同じ林床で更新する樹木や草本の動態にも関わるため、開花・枯死後の森林生態系の変化を追跡するうえで重要である[109]。
野ネズミとの関わり
タケ・ササ類が一斉に結実すると、林床に大量の種子が供給され、これを餌とする野ネズミが異常発生し、農作物などに食害をもたらすことがある[110]。
名古屋大学の報告では、2017年にスズタケが一斉開花・結実した調査地で、確認されていた野ネズミ3種のうちアカネズミとヒメネズミが増加し、2年後も高い個体数が維持された[111]。また、野ネズミの種子選好実験では、スズタケ種子はミズナラ・ブナより好まれ、クリ・シロモジよりは好まれにくいという結果が示されており、結実年には野ネズミを介して樹木種子の捕食圧や競争関係が変化する可能性が議論されている[112]。
こうした野ネズミとスズタケ種子の関係は、種子を食べるだけでなく、持ち去りや貯食を含む行動が確認されている。愛知県の段戸国有林で採取されたスズタケ種子を用いた給餌実験では、アカネズミとヒメネズミが種子を採食し、また種子を持ち去り、一部を地中に埋める行動が確認された[113]。アカネズミは枯死稈に覆われた場所ではその場で採食されることが多く、開けた場所では持ち去られることが多かった。また、秋にミズナラなどの堅果類が利用可能になると、スズタケ種子の利用は低下する可能性が示された。野ネズミ類はスズタケ種子の捕食者であると同時に、貯食の過程で種子の移動にも関与する可能性がある[113]。
捕食者飽和仮説
タケ・ササ類が長い周期で一斉開花を行う理由の一つとして、非開花年に捕食者の密度を低く保った後、開花年に捕食者が食べきれないほど大量に開花・結実して多くの種子を残すという捕食者飽和仮説が唱えられている。
森林総合研究所と秋田県立大学の研究チームは、スズタケとハチクを対象に、2017年から2020年にかけて全国の開花地で結実率や花の食害率を調べた。その結果、一斉開花年には咲き遅れ年に比べて、花を食べるハエ類の出現頻度や食害率が低く、スズタケでは結実率が高いことが判明した[114][115]。また、スズタケの大規模な開花地のほうが小規模な開花地よりも花の食害率が低く、結実率が高い傾向も示された[114][115]。
大規模な開花地では、2年目以降に花を食べる昆虫だけでなく、それらに寄生する寄生蜂も増加する。寄生蜂が花を捕食する昆虫の増加を抑えることで、一斉開花後も種子が残りやすくなる可能性が指摘されている[114][115]。
開花・結実をめぐる俗信
タケ・ササ類の開花や結実はまれな現象であり、古くから凶兆とみなされることがあった。『日本俗信辞典 動・植物編』には、竹に花が咲く、または実がなる年は飢饉になるという俗信が全国的に分布していたこと、地域によっては戦争や大変災の前兆とされたことが記されている[116]。
田中貢一の「篶竹及竹米に就て」では、古くから日本人の間に、また中国にも、竹の開花について一種の迷信があり、竹が多く開花・結実するのは凶作の前兆であると考えられてきたと述べている[117]。同文献は、この見方について『古今要覧稿』にも論じられているように根拠のないものであり、凶荒が竹の開花と重なることは偶然であるとしている。
一方で、開花後の枯死や結実後には野ネズミの異常発生による食害といった実際に観察される現象も、開花・結実が凶兆として語られてきた背景と関連づけられることがある。
120年の周期
スズタケの開花周期は、しばしば120年程度とされる。1900年頃に採集された花付き標本としては、1897年に牧野富太郎が筑波山で採集したものと、1900年にフォーリーが市房山で採集したものが残っている[118][119]。ただし、これらの標本が一斉開花に伴うものであるかどうかは明らかではない。
120年周期に言及した古い文献として、竹米の節で紹介した田中貢一「篶竹及竹米に就て」1907年(明治40年)がある。田中はその「第六 附説」において、
(1) 西暦一七八四年=「一統に實を結びしことあり」 木會採藥記による。
(2) 西暦一八二五年=「今歲(天保三年)よりも七八年前に 本州より信濃の國界の山々に箸竹實を結び、云々」 竹實記よるに、但し「信濃の國界の山々」とあるのみなれば、 果して伊那地方にも結實ありしや否やは不明なり。
(3) 西暦一九〇六年=伊那附近全山のすゞだけ悉く結實を告ぐ。
と記し、『木會採藥記』に記された1784年の伊那地方でスズタケの一斉結実から、前年1906年の結実まで120年の間隔があると述べている[117]。(正確には、1906-1784=122年)
また、2017年の中部地方における調査では、1897年にスズタケの実を収穫した記録が残る地域のいずれでも、120年後にあたる2017年に開花が確認されたと報告されている[100]。
さらに、2013年から2014年にかけて開花・枯死が報告された丹沢山地では、次節に記すように、1887年から1892年にかけて神奈川県でスズタケが一斉開花し、野ネズミが大発生したと伝わる[120]。これが前回の一斉開花であったとすれば、周期は122年から126年となる。
このように、120年前後の周期を示唆する記録はあるものの、古い記録の情報は限られるため、周期の実態が明らかになっているとは言い難い。
1900年頃のスズタケ一斉開花
開花周期を特定するには、同一地点での開花記録を確認する必要がある。しかし、19世紀末から20世紀初頭の記録では、スズタケの開花・枯死は、竹米による一時的な食料供給や竹製品原料の枯渇として伝えられることが多く、詳細な位置情報を欠く場合も少なくない。以下は、1900年頃のスズタケの開花・枯死に関する記録である。
| 年 | +120 | 地域 | 記述 |
|---|---|---|---|
| 1887年 明治20年 ~ 1892年 明治25年 |
2007 ~ 2012 |
神奈川県 | 上田弘一郎は複数の著書で明治20年~明治25年に神奈川県で スズタケが大開花し、野鼠が大発生したと述べている[120]。その出典は不明。 |
| 2013~2014 | 丹沢山地 | 神奈川県のスズタケ生育地である丹沢山地で、一斉開花が目撃されている[92][93]。 | |
| 1897年 明治30年 |
2017 | 長野県 木曽地方 |
|
| 三重県 伊勢地方 |
伊勢地方では、スズタケが大量に結実して 枯死するものが多く、熟した実が採取されていた。熟練者は1日に三斗ほどを 採取することもあり、実は粉にして団子や 「コガシ」に加工され、食用に供された。一升あたりの価格は五銭前後であったという。一方で、大量結実により野ネズミが繁殖し、山林に被害を及ぼすことを 懸念する見方もあった。 | ||
| 2017 | 中部地方 | 1897年に実を収穫した記録のある地域で、いずれも開花を確認したとしている[100]。 | |
| 1905年 明治38年 |
2025 | 長野県 諏訪地方 |
|
| 1906年 明治39年 |
2026 | 長野県 上伊那地方 諏訪郡 |
|
| 長野県 伊那地方 |
| ||
| 1904年 明治37年 ~ 1914年 大正3年 |
2024 ~ 2034 |
長野県 松本 |
との記述から、明治37年~大正3年の間に 松本地方で 開花枯死があったことがうかがえる。 |
2026年の長野県における一斉開花

1906年に一斉結実が記録された伊那地方では、前述のように2025年にも一斉開花が観測されている。2026年は1906年から120年後にあたり、結実状況や、その後の枯死・更新過程の推移が注目されていた[126]。
タケ・ササ類の一斉開花は、従来は開花前の段階からその全容を捉えることが困難とされてきた。しかし、森林総合研究所関西支所などの研究者は、過去の大面積開花記録をもとに、長野県の一部地域に分布するスズタケ集団で2026年を主な開花・結実・枯死の年と予測し、2024年から対象地域で観察と調査地探索を進めていた[127]。長野県における2026年の開花予測は、120年周期とされる現象を開花前から追跡できる重要な機会と位置づけられた[127]。
京都大学・森林総合研究所関西支所などの研究者による「長野ササ〖スズタケ〗開花・結実 調査研究 情報集約サイト」では、長野県内のスズタケの開花・結実情報を集約し、研究者や一般からの参加・情報提供が呼びかけられた[128]。
その後、2026年4月以降に長野県内で地域的なスズタケの一斉開花が確認された。上伊那・松本・諏訪・木曽地域などでの開花が長野県林業総合センターにより確認されていると報じられた[129]。前出のスズタケ情報集約サイトでは、収集された開花地点情報を「長野スズタケ開花マップ」として公開しており、長野県内各地の開花地点を確認できる[128]。
2026年の開花では、開花前から開花予測が公表され、開花期には報道でも取り上げられた点が特徴である。BS朝日の登山番組『そこに山があるから』では、2026年6月3日放送の「守屋山(前編)」および同月10日放送の「守屋山(後編)」において、長野県の守屋山でスズタケの花に遭遇する様子が紹介された[130][131]。