大槌町
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| おおつちちょう 大槌町 | |||||
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| 国 |
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| 地方 | 東北地方 | ||||
| 都道府県 | 岩手県 | ||||
| 郡 | 上閉伊郡 | ||||
| 市町村コード | 03461-4 | ||||
| 法人番号 | 9000020034614 | ||||
| 面積 |
200.42km2 | ||||
| 総人口 |
9,655人 [編集] (推計人口、2026年4月1日) | ||||
| 人口密度 | 48.2人/km2 | ||||
| 隣接自治体 | 宮古市、遠野市、釜石市、下閉伊郡山田町 | ||||
| 町の木 | けやき | ||||
| 町の花 | 新山つつじ | ||||
| 町の鳥 町の魚 |
かもめ さけ | ||||
| 大槌町役場 | |||||
| 町長 | 平野公三 | ||||
| 所在地 |
〒028-1192 岩手県上閉伊郡大槌町上町1番3号 北緯39度21分30秒 東経141度53分58秒 / 北緯39.35825度 東経141.89944度座標: 北緯39度21分30秒 東経141度53分58秒 / 北緯39.35825度 東経141.89944度 大槌町役場(2013年6月) | ||||
| 外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
| ウィキプロジェクト | |||||

国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)(現・地図・空中写真閲覧サービス)の空中写真を基に作成。
大槌町(おおつちちょう)は、岩手県上閉伊郡に所在する町。東側で太平洋に面しており、三陸地方[1]、三陸ジオパークの一部をなす。
縄文時代の遺跡が多く見られる。振興山村、辺地、過疎地域の指定を受けている。
町内にある蓬莱島は、NHKで放送された人形劇『ひょっこりひょうたん島』のモデルといわれ[2]、町内の防災行政無線で流れる昼のチャイムには同番組のテーマソングが使われている。
湧水
約200平方キロメートルの町域は海岸部から西北へ内陸部に広がっており、9割が林野である[3]。大槌川と小鎚川が、北上山地に発してほぼ並行に南東方向へ流れ、三陸海岸の大槌湾へと注いでいる。そこに形成された沖積平野に町の中心部がある。大槌湾の北には船越湾がある。
人口は約1万1000人[3]で沿岸部に集中しており、鉄道(三陸鉄道リアス線)や主要道路(国道45号)も海岸近くを走っている。西部の山間地域にも集落がある。
下記が主要な地形として挙げられる。
- 山
- 鯨山(くじらさん[4][5]、くじらやま[5]):標高610.2 m。大鯨山と小鯨山からなる[5]。
- 石坂森(いしざかもり):標高573.3 m。
- 白見山(しろみやま):標高1,172.6 m。
- 高滝山
- 峠
- 土坂峠:岩手県道26号、宮古市境
- 樺坂峠:長井林道、遠野市境
- 河川
- 大槌川(おおつちかわ)
- 小鎚川(こづちかわ)
近海・沿岸地形
- 船越湾、浪板海岸、吉里吉里海岸、大槌湾[2]
当町は湧水の町でもある。大槌川と小鎚川に注ぐ雨水が川の伏流水とともに地下に浸透し、河口付近の扇状地に湧出する[6]。水が急勾配を下ることで海側の圧力を抑え込む[6]ため、かつては海から50 mも離れていない場所であっても淡水が得られていた[7]。町中心部の町方地区では、この水が出る自噴井が約180か所存在しており[6]、生活用水のほか、水産加工・酒造・豆腐作りなどの産業にも活用されていた[7]。またサケ・マスの孵化場にも利用されている[8]。
大槌川では、湧水域に生息するイトヨが確認されており、岩手県内では唯一の生息地となっているほか、冷水の清流のみに育つバイカモも見ることができる[8]。
広域地域区分

東北地方のうち三陸地方に含まれ、岩手県内の地方区分である、県北・沿岸・県央・県南のうち、沿岸地方に属する。
cf. 岩手県の地方区分図[9]
隣接する自治体
cf. 岩手県の市町村全図[10]
町内の地域
cf.[11]
歴史
盛岡藩の港町
戦国時代、当地は周辺地域の有力武将であった大槌氏の支配下であった。大槌氏は九戸政実の乱や岩崎合戦で南部氏方の武将として活躍した。大槌氏は特産の南部鮭の交易で財を成したが、中央集権化を進める南部利直によって謀反の嫌疑をかけられ、処罰された。大槌氏亡き後、この地は大槌城代が置かれて盛岡藩の管理下となり、その後は大槌代官所(南閉伊代官所)が置かれ、現在の山田町と釜石市の一部を含めた地域の行政を管轄した。
東日本大震災
2011年(平成23年)3月11日14時46分18秒、マグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震が発生し、大槌町も強い揺れに襲われた。町内では新町に地震計が設置されていたが、震度は不明となっている。隣接する市町村では、釜石市が6弱、宮古市と遠野市で5強、山田町は5弱であった[12]。加えて、この地震が引き起こした津波とそれによって発生した津波火災により、町は壊滅的被害を受けた[13][注 1][注 2]。
発災時、町長・加藤宏暉を始めとする町職員幹部ら約60人は災害対策本部を立ち上げるべく町庁舎2階の総務課に参集したが、余震が続くためにいったん駐車場へ移動し、さらに津波接近の報を受けて屋上に避難しようとしたものの、約20人が屋上に上がったところで津波が到達。町長と数十人の職員は避難が間に合わず、庁舎の1・2階を襲った津波に呑み込まれて、そのまま消息が途絶えた[14][15]。町長以外にも課長級の職員が全員行方不明となったため、行政機能が麻痺した[16][17]。県都である盛岡市から車で数時間かかる地勢も災いして被害の全容が外部に伝わりにくく、周囲から孤立した状況がしばらく続いた。
JR山田線の大槌駅は駅舎などが津波で流失し、線路にも大きな被害が出た[18]。
東京大学海洋研究所付属の国際沿岸海洋研究センターは、人的被害こそなかったものの、建物は3階まで津波に洗われ、特に壊滅的状態となった1・2階では紙媒体と電子媒体による保存データの全てが失われた。また、港に係留してあった研究船は沈没した[19][14]。
三陸海岸初の双胴型高速旅客船である釜石市所属の観光船「はまゆり」(109 t、200人乗り)は、定期検査のために赤浜地区の岩手造船所で陸に揚げられた3時間後、津波にさらわれた。第2波が来たときには防波堤を越えて内陸へ押し流され、150 mほど北にある2階建ての民宿の屋根に引っかかり、その上に乗る形でほぼ無傷のまま止まった[20][21][22]。
避難所生活を送る人たちのために民謡を歌って慰問活動をしていた地元の女子中学生臼澤みさきがテレビの報道番組に映り、それがきっかけとなって2012年7月に歌手デビューした[23]。
- 3月19日:行方不明となっていた町長加藤宏暉が遺体で発見[13]。津波被害のため選挙が実施できず、以後5か月余りにわたって町長が空席となる。
- 4月9日:この時点で判明した人的被害は死者583人、行方不明者1,068人、避難者9,070人[13]、建物被害は詳細不明。
- 4月24日:津波で民宿の屋上に漂着した釜石市の観光船「はまゆり」は、防災教育を主目的とした震災のモニュメントとして保存する案が地震研究者らの提言で浮上していたが、この日、釜石市は「町の復旧に支障が出る」として解体を決め[21][22]、震災遺構にはならなかった。
- 4月25日:町立大槌小学校の運動場にて、大槌町役場の仮庁舎が開庁[24][25]。
- 5月10日:「はまゆり」が2台のクレーンによって民宿の屋根から地表に下ろされ[26]、現地にて約1か月かけて解体。
- 5月26日:この時点で判明した人的被害は死者768人・行方不明者952人・重軽傷者不明、建物被害は依然として詳細不明[27]。
- 6月6日:この時点で判明した人的被害は死者777人、行方不明者952人[28]。
- 6月20日:副町長・東梅政昭の任期が満了し、翌21日に総務課長の平野公三が町長職務代行を引き継ぐ[29]。町長選挙は8月28日に実施と決定[29][30]。
- 8月28日:町長選挙が実施され、元町総務課長の碇川豊が当選。
- 東北地方太平洋沖地震に伴って発生した津波で壊滅した大槌町赤浜地区の岩手造船所付近。画面中央に、民宿の屋根に乗り上げた観光船「はまゆり」が見える。2011年3月15日撮影。
- 津波で壊滅的被害を受けた吉里吉里地区。画像中央を走る幅の広い道路は国道45号。山並みの向こうに見える煙は、大槌港の南側で発生した火災によるもの。3月15日撮影。
- 東日本大震災後、2011年4月25日に町立大槌小学校(後方の白い建物)のグランドにプレハブで建設された大槌町役場仮庁舎。
- 震災で被災した大槌町旧役場。
- 震災後、旧大槌北小学校跡地に設置された仮設商店街「福幸きらり商店街」。
年表
近世以前
- 建武・正平年間(14世紀):横田城主・阿曽沼朝綱(cf. 阿曽沼氏)の次男である大槌次郎が、東部海岸地方を分知され、居城として大槌城を築いたと伝えられる。
- 天正18年(1590年)夏:豊臣秀吉の小田原征伐で後北条氏の小田原城が落城したことにより、主家を無くした伊豆清水氏が船で気仙浦に逃れる[4][32]。
- 安土桃山時代末期:大槌城主・大槌孫八郎政貞が、特産の鮭を新巻(塩鮭)に加工する方法を開発し、「南部鼻曲がり鮭」の名で江戸と通商して大いに富を得る。
- 元和3年(1617年):大槌孫八郎政貞が南部利直から謀反の嫌疑をかけられて切腹し、大槌氏は家名断絶する。
近代以降
- 1938年(昭和13年)4月5日:国鉄(JRの前身)山田線の大槌駅と吉里吉里駅が開業。
- 1960年(昭和35年)7月 - ポリオが流行。石巻市、葛巻町と合わせて感染者は227人に及んだ[33]。
- 1961年(昭和36年)12月20日:山田線の浪板駅が開業。
- 1971年(昭和46年)4月1日:旧・大槌漁協、および、赤浜漁協、吉里吉里漁協が合併し、新生の大槌町漁業協同組合(大槌町漁協)として開所。
- 1973年(昭和48年)
- 1982年(昭和57年):地域おこしの一環として、吉里吉里駅を擁する大槌町が「吉里吉里国」として“独立宣言”し、1980年代におけるミニ独立国ブームのきっかけとなった。
- 1994年(平成6年)12月3日:浪板駅が浪板海岸駅に改称。
- 2003年(平成15年)4月:東京大学海洋研究所の大槌臨海研究センターが国際沿岸海洋研究センターに改称・改組[31]。
- 2011年(平成23年)3月11日:東日本大震災が発生し、大槌町も被害甚大(後述)。
- 2012年(平成24年):大槌町漁協が過大な設備投資に伴う負債と震災で被った被害により債務超過に陥り、1月に経営破綻。3月1日に新おおつち漁業協同組合が設立され事業を移管。大槌町漁協は10月5日、盛岡地方裁判所に破産を申請[35]。
- 2019年(平成31年)3月23日:東日本大震災の影響で運休が続いていたJR山田線宮古駅 - 釜石駅間を復旧、三陸鉄道に移管。
- 2026年(令和8年)4月22日:大槌町山林火災が発生。
行政区域の変遷(市町村制施行以後)
行政
郵便
直営局
- 大槌郵便局(集配局):末広町1-24
- 吉里吉里郵便局 :吉里吉里1-8-16
- 安渡郵便局:安渡3-40-2
- 赤浜簡易郵便局
- 大槌桜木町簡易郵便局
- 大ヶ口簡易郵便局
- 金沢簡易郵便局
- 波板簡易郵便局
- 大槌郵便局(2024年2月)
経済
教育
義務教育諸学校
高等学校
廃校
小学校
- 大槌町立金沢小学校中山分校(1970年・金沢小へ統合)
- 大槌町立小鎚小学校長井分校(1980年・小鎚小)
- 大槌町立大槌小学校渋梨分校(1984年・大槌北小へ統合)
- 大槌町立吉里吉里小学校浪板分校(1994年・吉里吉里小へ統合)
- 大槌町立金沢小学校(2009年・大槌北小へ統合)
- 大槌町立小鎚小学校(2010年・大槌小へ統合)
- 大槌町立大槌小学校〈初代〉(統合により大槌小〈2代目〉へ)
- 大槌町立大槌北小学校(同上)
- 大槌町立安渡小学校(同上)
- 大槌町立赤浜小学校(同上)
- 大槌町立大槌小学校〈2代目〉(2016年・統合により大槌学園へ)
中学校
- 大槌町立小鎚中学校(1971年・大槌中へ統合)
- 大槌町立金沢中学校(1974年・同上)
- 大槌町立金沢中学校長井分校(同上)
- 大槌町立大槌中学校(2016年・統合により大槌学園へ)
- 大槌学園(2017年1月)
- 吉里吉里学園小学部(2024年2月)
- 大槌高等学校(2015年3月)
交通
鉄道
路線バス
道路
高速道路
一般国道自動車専用道路
一般国道
県道
主要地方道
一般県道
- 大槌駅(2019年3月)
- 町民バス「吉里吉里二丁目」停留所(2015年8月)
- 大槌IC(2019年1月)
