ダテテンリュウ
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競走馬時代
1969年12月7日、宇田明彦を鞍上にデビュー戦を勝利したダテテンリュウは、次に出走した特別戦も勝ち、2戦2勝で3歳シーズンを終えた。
こうして迎えた1970年のクラシックシーズンであったが、3勝目に手間取り皐月賞には間に合わず、NHK杯3着(勝ち馬・アローエクスプレス)から挑んだダービーも、タニノムーティエの2着に屈する結果となった。次に出走した毎日杯では単勝1番人気に応えて優勝した[2]。
秋に入り、タニノムーティエがアクシデントにより体調を崩した結果、菊花賞には関西の主軸として単勝2番人気での挑戦となった。中団でスタミナを温存したダテテンリュウは最後の直線で鋭く伸び、アローエクスプレス(1番人気9着)らを相手に優勝[3]。1968年はダテホーライが三強の一頭アサカオーの2着、1969年はダテハクタカが夏に急成長を遂げたアカネテンリュウの3着と2年連続で惜敗に終わったダテ一族にとって、悲願のクラシックタイトル・菊花賞制覇であった。
こうして悲願成就を果たしたダテテンリュウであったが、次に出走した有馬記念3着(勝ち馬・スピードシンボリ)や翌年のマイラーズカップ2着(勝ち馬・トウメイ)以外はたいした見せ場を作れず、故障続きにも泣かされたために勝ち鞍を挙げることなく1973年10月27日のオープン戦5着を最後に引退となった。
引退後
引退したダテテンリュウは、生まれ故郷の伊達牧場で種牡馬生活を始めたが、繁殖相手に恵まれず静内のビッグレッドファームに移動。この地で[1]岡田繁幸夫人・岡田美佐子に看取られる形で、1977年年明け早々の昼下がりに心臓発作のために急死した。