ダニー・オンガイス
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| ダニー・オンガイス | |
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| 基本情報 | |
| 国籍 |
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| 出身地 | 同・ハワイ州カフルイ |
| 生年月日 | 1942年5月21日 |
| 没年月日 | 2022年2月26日(79歳没) |
| F1での経歴 | |
| 活動時期 | 1977 - 1978 |
| 過去の所属チーム |
'77 ペンスキー(ノンワークス) '78 エンサイン、シャドウ |
| 出走回数 | 6(4スタート) |
| タイトル | 0 |
| 優勝回数 | 0 |
| 表彰台(3位以内)回数 | 0 |
| 通算獲得ポイント | 0 |
| ポールポジション | 0 |
| ファステストラップ | 0 |
| 初戦 | 1977年アメリカGP |
| 最終戦 | 1978年オランダGP |
ダニー・オンガイス(Danny Ongais, 1942年5月21日 - 2022年2月26日[1])[2]は、アメリカの元レーシングドライバー。ハワイ州カフルイ出身。
オンガイスは、インディアナポリス500に出場した他、オートバイ、スポーツカー、CART、インディカー、F1、ドラッグレースと幅広く活躍したことで知られる。
レースサーキットの華やかな人物であるオンガイスは、「オンガス」と「フライインハワイアン」の愛称で呼ばれていた。また、パドックの周りでは、壁や他の車にぶつかる傾向があるため、「 DOA 」は「ダニー・オンガイアス・アゲイン」の略であると冗談を言っていた[3]。
F1においては、1977年10月2日にデビュー。6戦のみの出場であったが、入賞一歩手前の7位という結果を記録。
1981年のインディ500で大事故を起こした事でも知られる。この大会でオンガイスは予選21番手からスタートし、事故までに4周分のラップリーダーも記録していたが、65周目のターン3でコントロールを失い外壁に激突。マシンは大破し炎上、コクピットも破壊された。この事故で何箇所もの手足の骨折に加え、内臓にも重傷を負うなど瀕死の状態となったものの、長期にわたる治療を経て、翌年のインディ500に復帰を果たした。
1996年のインディアナポリス500、プラクティス中の事故で亡くなったスコット・ブレイトンの代理ドライバーを務めた。54歳となっていたオンガイスにとって最後のインディ500となったが、7位に入賞した。