テオドロス (無神論者)
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ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』第2巻で、キュレネ派の祖アリスティッポスの学統に連なる人物として説明される[3]。
キュレネ出身だが、何らかの理由で追放されアテナイに移った[1]。アテナイでは、その冒涜的学説ゆえにアレオパゴス会議に出廷を命じられるも、アテナイの統治者ファレロンのデメトリオスに寸前で救出された[1]。その後帰郷し、キュレネの統治者マガスの庇護下で余生を過ごした[1]。別の説では、アテナイで有罪となり毒杯を仰いで死んだともいう[1]。
師にキュレネ派の小アリスティッポス、アンニケリス、メガラ派のディオニュシオスがいた[3]。友人にメガラ派のスティルポン、キュニコス派のメトロクレスがいた[3]。教え子にキュニコス派のビオンがいた[4]。
逸話として、アテナイから出た後プトレマイオス1世の使節としてリュシマコスに謁見した際、脅迫的な態度をとられても平然としていた、キュレネから追放されたときも平然としていた、などの逸話が伝わる[3][1]。キュニコス派のクラテスの妻ヒッパルキアにやりこめられた、という逸話も伝わる[1]。「神」というあだ名はスティルポンとの会話に由来する[3]。