ディークホルツェン

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紋章 地図
(郡の位置)
基本情報
連邦州:ニーダーザクセン州
郡:ヒルデスハイム郡
緯度経度:北緯52度05分39秒 東経09度54分55秒 / 北緯52.09417度 東経9.91528度 / 52.09417; 9.91528座標: 北緯52度05分39秒 東経09度54分55秒 / 北緯52.09417度 東経9.91528度 / 52.09417; 9.91528
標高:海抜 118 m
面積:30.22 km2
人口:

5,982人(2024年12月31日現在) [1]

人口密度:198 人/km2
郵便番号:31199
市外局番:05121, 05064
ナンバープレート:HI, ALF
自治体コード:

03 2 54 011

行政庁舎の住所:Alfelder Straße 5
31199 Diekholzen
ウェブサイト:www.diekholzen.de
首長:マティアス・ブルダウ (Matthias Bludau)
郡内の位置
地図

ディークホルツェン (ドイツ語: Diekholzen) は、ドイツ連邦共和国ニーダーザクセン州ヒルデスハイム郡に属す町村(以下、本項では便宜上「町」と記述する)である。

位置

ディークホルツェンは、ヒルデスハイムの南、ヒルデスハイムの森ドイツ語版英語版の北辺に位置している。エーゲンシュテット地区をイネルステ川ドイツ語版英語版が流れている。ディークホルツェン地区とゼーレ地区は、イネルステ川の支流であるボイスター川の谷に位置している。町内のヒルデスハイムの森は、海抜 327.5 m のシュタインベルクに連なる。イネルステ川は、高度 81 m の地点で町域から離れる。

自治体の構成

ディークホルツェンは以下の地区で構成されている。かっこ内は2024年7月4日現在の人口である[2]

  • ディークホルツェン (2,883)
  • バリエンローデ (1,587)
  • ゼーレ (1,277)
  • エーゲンシュテット (524)

町域の広がり

この町は、南北 6.2 km、東西 9.5 km である。2005年以降の面積は 30.21 km2 である。それ以前の数年間、ヒルデスハイム市との間で市町村境界を州道485号線に合わせる形で調整がなされ、領域の交換が行われた。2004年の町域面積は 29.81 km2、1974年から2003年までは 29.36 km2 であった。

隣接する市町村

この町は、北はヒルデスハイムに接している。東と南はバート・ザルツデトフルトである。南にはジベッセが位置する。ザムトゲマインデ・ライネベルクラントの構成自治体であるグローナウが西の町境に接している。

歴史

町名は「池」(=Diek) と「森」(=Holzen) に由来する。1125年にこの地域にある Holthusen という名の集落が記録されている。1267年には Dicholthusen という名称が初めて記されている。この集落は、1597年Deichholzhusen として記録されている[3]。この町の紋章の上部にはと金のが交差して描かれており、その前に坑内ランプが置かれている。下部には金のが描かれている。これらの意匠は赤地の上に描かれている。1850年頃でもこの町の人口は353人と、隣町のゼーレの444人と比べかなり小さかった[4]1900年のディークホルツェンの人口は498人であった[5]。その後1939年には759人、1950年に1,526人、1964年に2,094人と増加した。これは多くの難民避難民がディークホルツに定住したためであった[6]。1974年にそれまで独立した町村であったゼーレ、バリエンローデ、エーゲンシュテットが合併し、全地区を併せた人口は6,525人となった[7]。これらの地区はマリエンローデ修道院に属していた。

この町で最も古い記録が遺るオルトシャフト(地区)はエーゲンシュテットで、996年ヒルデスハイム司教区ドイツ語版英語版の文書に記述がある。この地区の紋章は、赤地にイエズス修道会モノグラムが記されている。またエーゲンシュテットの「イェズイターホーフ」(イエズス会の館)と呼ばれる現在の教区館の入口の梁にも同じ意匠が掲げられている。中世から既にこの館は、この地区の他の農場とともに、聖職者の所有となっていた。1594年司教領主エルンストドイツ語版英語版はこれらの農場をイエズス会のコレギウムに移管した。小作人(マイアー)が納める金銭や産品は、ヒルデスハイムのイエズス会学校(ヨゼフィヌム)の維持に充てられた。1725年、イエズス会がこの農場経営を引き継いだ。その後付属農場はエーゲンシュテットの住民に賃貸しされ、農場(建物、庭園、牧草地)は1775年まで羊飼いに貸し出されていた。1787年、イエズス会の農場に隣接する村の学校が荒廃したため、ある教師がイエズス会農場を12年間賃借し、そこに住んだ。1791/93年にこの校舎は取り壊され、新しい建物に建て替えられた。エーゲンシュテットの1900年の人口は188人であった[8]。現在はディークホルツェンで最も小さな地区であるエーゲンシュテットにおいても、第二次世界大戦後には難民や追放された人々によって人口が増加した、1997年時点の人口は733人であった。

バリエンローデは1022年に文献に記録されている。12世紀から14世紀の中世盛期にはバリエンローデ騎士家がここにあった。紋章は、2匹の互いに外を向いたの魚が青地の上に書かれている。1939年のバリエンローデの人口は129人であったが、第二次世界大戦後に難民や追放された人々が移り住んだ。1997年の人口は1812人であった。

ゼーレ地区は、1125年Sutherem という表記で初めて文献に記録されている。この集落は、この最初の記述で示唆されているよりもかなり古い可能性がある。1022年の文献に記された Suthre がゼーレ (Söhre) であるかどうかは明かでない。この地区は1997年に建設975周年祭を祝い、ハウプト通りに記念碑を建立した。ゼーレの紋章は、向かって左半分にヒルデスハイムの縞模様、右半分に古い教会塔ドイツ語版英語版が描かれている。1900年のゼーレの人口は442人であった[9]。1964年に1065人、1990年に1290人、1997年には1547人と増加した。

町村合併

1974年3月1日にバリエンローデ、エーゲンシュテット、ゼーネが合併した[10]

住民

人口推移

日付人口(人)
1970年12月31日5,888
1975年12月31日6,388
1980年12月31日6,848
1985年12月31日6,524
1990年12月31日6,202
1995年12月31日7,169
日付人口(人)
2000年12月31日7,021
2005年12月31日6,891
2010年12月31日6,736
2015年12月31日6,439
2020年12月31日6,325
2023年12月31日6,007

行政

議会

ディークホルツェンの町議会は18議席からなる[11]。これは人口6,001人から7,000人の自治体の議員定数である[12]

町議会ではこれらの議員の他に町長が投票権を有している[13]

首長

ディークホルツェンの専任町長は、マティアス・ブルーダウ (SPD) である。彼は2021年9月12日の選挙で 51.188 % の支持票を獲得して当時現職であったビルギット・ディークホフ=ヒュービンゲンに勝利し、町長に選出された[14]

地区長

町内の各地区には地区長が存在する[15]

紋章

図柄: 赤地。下部に。その上に金の坑内ランプ。その背後に金のと金のが交差して配置されている。

姉妹自治体

ディークホルツェンは、以下の町と姉妹自治体関係にある[16]

文化と見どころ

ディークホルツェンの聖ヤコブス教会

見どころ

多くの保存状態の良い古い農家や木組み建築が遺るディークホルツェンの古い中心部では、1656年に建設されたカトリックの聖ヤコブス教会(大ヤコブ)が見応えがある。1963年の聖霊降臨祭に完成した福音主義の復活教会は、これと際立った対比をなしている。この福音主義教会では祭壇のモザイクが見応えがある。この教会はヒルデスハイムの建築家エルンスト=アウグスト・ゼーファースによって建設された。ディークホルツェンとその周辺村落は、ヒルデスハイムの大部分とは異なり、宗教改革に加わらなかった。このため住民のほとんど全てがカトリック信者であったため1963年までディークホルツェンには福音主義教会がなかった。第二次世界大戦後に大勢の難民追放された人々が流入し、ディークホルツェンに福音主義教会を要望する声が高まった。この2つの教会の間、ボイスター川沿いの遊歩道に、1996年に小さな野の礼拝堂が建設され、1997年に献堂された。

ディークホルツェンの東端、ゼーナー・トーア通りの記念碑はかつてのヒルデシア・カリ塩工場を記念している。

レーダーホーフの聖アントニウス礼拝堂

町内のその他の見どころ

  • バリエンローデのカトリック聖ニコラウス教会。1734年に建造されたバロック建築で、スレート張りの小塔をもつ。
  • バリエンローデの北の入口、ヒルデスハイム=オクターズムへ向かう道路沿いに1860年に建立された路傍の十字架
  • ゼーレの中心に建つカトリックのマリア被昇天教会。1877年に新築された教会堂を持つ。
  • レーダーホーフ修道院領に建つ木組みの聖アントニウス礼拝堂。同じ敷地にカトリックの聖霊教会がある。
  • 1841/1842年に建設されたエーゲンシュテットの聖ニコラウス教会[17][18]

経済と社会資本

  • 教育機関: ディークホルツェン、バリエンローデ、ゼーレに基礎課程学校が3校ある。さらにエーゲンシュテットに特別支援学校ハイムシュタット・レーダーホーフがある。
  • 幼児施設: ディークホルツェン、バリエンローデ、ゼーレに幼稚園が3園ある。
  • 余暇: 様々な地元のクラブ・団体がある。
  • 文化施設: 郡立市民大学 (KVHS) の分校と地元の文化・交通クラブ
  • スポーツ施設: ディークホルツェン、バリエンローデ、ゼーレにスポーツグラウンドがある。

ディークホルツェンには大きな経済施設はない。この町はほぼ完全に人口集積地ヒルデスハイムの魅力的なベッドタウンとなっている。工業利用の最後の痕跡であるカリ塩坑道は、2004年に爆破されて消滅した[19]

アイヒェンベルクトンネルの北側入口

交通

町内のエーゲンシュテット地区沿いをヒルデスハイムからゼーゼンドイツ語版英語版に至る連邦道243号線ドイツ語版英語版と鉄道ヒルデスハイム - ゴスラー線が通っている。ディークホルツェン地区の中央を、ヒルデスハイムからアルフェルト (ライネ)に向かう州道485号線が通っている。旧ヒルデシア・カリ塩工場やヒルデスハイムの森ドイツ語版英語版にあったボッシュ=ブラウプンクト工場への軽便鉄道企業線は、2004年に廃止され撤去された。

ディークホルツェンの近くに、ハノーファー-ヴュルツブルク高速線のアイヒェンベルクトンネルの入口がある。このトンネルは約 2 km にわたって町内を通っている。ゲッティンゲンハノーファーとの間の路線の一部区間に新しいタイプの架線が後付けで設置された。試験列車は、この約 100 km の区間を 400 km/hr で走行することができる、

ヒルデスハイムおよびアルフェルト (ライネ) からディークホルツェンへは、1日に数本の路線バスが運行している。

人物

ゆかりの人物

関連図書

脚注

外部リンク

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