バート・ザルツデトフルト
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| 紋章 | 地図 (郡の位置) |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 連邦州: | ニーダーザクセン州 |
| 郡: | ヒルデスハイム郡 |
| 緯度経度: | 北緯52度03分55秒 東経10度00分33秒 / 北緯52.06528度 東経10.00917度座標: 北緯52度03分55秒 東経10度00分33秒 / 北緯52.06528度 東経10.00917度 |
| 標高: | 海抜 118 m |
| 面積: | 67.2 km2 |
| 人口: |
13,037人(2024年12月31日現在) [1] |
| 人口密度: | 194 人/km2 |
| 郵便番号: | 31162 |
| 市外局番: | 05063, 05060, 05064 |
| ナンバープレート: | HI, ALF |
| 自治体コード: |
03 2 54 005 |
| 行政庁舎の住所: | Oberstraße 6 31162 Bad Salzdetfurth |
| ウェブサイト: | www.bad-salzdetfurth.de |
| 首長: | ビョルン・グリシュカ (Björn Gryschka) |
| 郡内の位置 | |
| 地図 | |
![]() | |

バート・ザルツデトフルト (ドイツ語: Bad Salzdetfurth, ドイツ語発音: [zalt‿sˈdɛtfʊlt] (
音声ファイル)[2]) は、ドイツ連邦共和国ニーダーザクセン州南部ヒルデスハイム郡に属す小都市である。本市は、この地域では重要な保養地、温泉地、療養地、工業地である[3][4]。この街は、州指定の塩泉および泥治療の温泉地である[5]。
バート・ザルツデトフルトの歴史は、採石業・カリ塩採掘業と密接に結びついている。この土地の最初の住民はおそらく塩の採集者であった[6]。この街に関する最初の文献記録は1194年にまで遡る。現在のK+S AGの最も古い前身企業であるカリヴェルケ・ザルツデトフルトAGは、1899年から1971年までバート・ザルツデトフルトに本社を置いていた。地域経済にとって重要であったカリ塩採掘は、1992年に操業停止した。1990年代の人口は約14,500人であったが、2001年以降減少している。
バート・ザルツデトフルトは、ヒルデスハイムの南約 11 km に位置している。この他の近隣の大きな都市は、ザルツギッター(北東に約 24 km)、ハノーファー(北に約 39 km)、ブラウンシュヴァイク(北東に約 42 km)がある。
位置
バート・ザルツデトフルトは、ニーダーザクセン山地の一部であるイネルステ山地に位置している[7]。市域には多くの地形上の特徴がある。主に農業用地と森林であるが、住宅地と交通用地が 1/6 を占めている。本市は、北は肥沃で集約的な農業が行われている黄土の土壌からなるヒルデスハイム沃野に接し、南東はハルツ山地に近い。
市域の面積は約 67 km2 である。南北の最大幅は約 12 km、東西の最大幅は 8 km である。
市域北部のホッケルン、リストリンゲン、ハインデ、クライン・デュンヘン、グロース・デュンゲン、グート・ヴァルスハウゼンの市区間をイネルステ川が西に向かって流れている。
中核市区のバート・ザルツデトフルト市区は、西をヒルデスハイムの森、東をザウベルゲの、いずれもブナの混交林に囲まれている[8]。ランメ川が、この中核市区を北向きに流れており、グロース・デュンゲン付近でイネルステ川に合流する。
バート・ザルツデトフルトで最も高い山は、ザルツフルトの森にあるベーゼンベルクで、海抜 339 m である。市の東部に位置する森に覆われたゾーテンベルクは、高さ約 235 m である。86段の「ヘクセントレッペ」(直訳: 魔女の階段)と歩道がこの山と市街中心部とを結んでいる。

市の構成
バート・ザルツデトフルトは、アインハイツゲマインデ(複数の旧自治体が合併した統合型の自治体)で、以下のオルトシャフト(地区)からなる[9]。
| 地区名 | 人口(人)[9] 2025年7月1日現在 |
|---|---|
| バート・ザルツデトフルト | 5178 |
| ボーデンブルク | 1759 |
| ブライヌム | 611 |
| デトフルト | 430 |
| グロース・デュンゲン | 1158 |
| ハインデ | 1214 |
| ホッケルン | 174 |
| クライン・デュンゲン | 354 |
| レヒシュテット | 659 |
| リストリンゲン | 176 |
| エストルム | 356 |
| ヴェールシュテット | 1032 |
| ヴェッセルン | 870 |
隣接する市町村
バート・ザルツデトフルトは、北東から時計回りに以下の市町村と境を接している。シェレールテン、ホレ、ボッケネム、ラムシュプリンゲ、ジベッセ、ディークホルツェン、ヒルデスハイム。
気候
バート・ザルツデトフルトは温帯に属し、海洋性気候から大陸性気候への移行部に位置している。最も温かい月は7月で平均気温は 17℃、最も寒い月は1月で平均気温は 0℃ である。年間平均気温は 8.6℃ である[10]。平均年間降水量は 700 mm で、1年を通しておおむね均等な降水量である[11]。
歴史
最初の定住、市の建設、中世
現在のバート・ザルツデトフルトの付近では最終氷期の温暖期に最初のヒトの定住がなされたと推測される。ランメ川の狭くなった部分の北側と南側の土地が本市の原型になったと考えられる。ランメ川狭隘部の北側で古い交易路が川の南北の渡渉地と交差していた。ここではキリスト教化以前からデトフルト(Detfurth。Detvorde、Thietforde、Detforとも呼ばれる。Det あるいは Thiet は民衆あるいは人々という意味である。)という名の最初の小さな農民集落が形成されていた。交通の便が良かったため、9世紀頃には最初の教会が設けられ、首席助祭区教会の地位を得た。ランメ狭隘部南側のボーデンブルクやヴェールシュテットの集落建設の始まりは9世紀から10世紀にまで遡る。
バート・ザルツデトフルト集落が、いつ、誰によって創設されたかは明かでない。地元の伝承は次の話を伝えている。『シュタインベルク家のある騎士が、狩りの際にシカを逐って深い森に迷い込んだ。彼は喉が渇いたので、ランメの麓で見つけた泉の水を飲んだ。しかしここでは新鮮な真水ではなく、塩分を含んだ水(塩水)が湧き出していた。騎士は一瞬不安になった後、この発見によってどれほどの富が得られるか理解した。当時食塩は需要が高く、高価な商品であったのだ。騎士は製塩職人を呼び寄せ、森を開墾し、製塩釜を備えた煮沸小屋を建設した[12]。』
こうして建設された村は、当初、既に存在していたデトフルト村の一部とみなされており、"dat Solt to Detforde"(デトフルトの製塩所)と記述された。この伝承に関して歴史的に証明されているのは、シュタインベルク家がヒルデスハイム地方に豊かな財産を所有していたことだけである。
バート・ザルツデトフルトについての最初の文献記述は、1214年にヒルデスハイム司教ハルトベルトによってなされた。コンラート・フォン・シュタインベルクが1194年にラムシュプリンゲのベネディクト会修道院に、既存の村「Thietforde」の近くにある森と4つの「釜」を25マルクで売却したという内容のものである。
バート・ザルツデトフルトの最初の住民は、おそらく製塩職人であったと考えられる。彼らは専用に建設された製塩煮沸小屋や釜床で塩水を加熱して塩を採取していた。周辺に豊富に存在する木材が燃料として使われた。製塩業者は、初めはシュタインベルク家の農奴であったが、14世紀末頃にやっと自由を獲得した。彼らは、1360年に現在も存在する「Salzpfännergilde」(製塩職人ギルド)を結成し、1400年頃にはほぼすべての煮沸釜をこのギルドの構成員が所有していた。
バート・ザルツデトフルトは、やがてこの地方で重要な交易地・積み替え地に発展していった。中世に北ドイツと南ドイツとを結んでいた重要な交易路であったフランクフルター・ヘールシュトラーセ(現在の連邦道243号線に相当する)沿いという立地がこの発展を促進した。塩商人や運搬業者は、たとえばハノーファー、ゲッティンゲン、ブラウンシュヴァイクなどに商品を運んでいた。
近世
17世紀、この町は、特に1605年と1695年の2度の大火により、地区内のほぼすべての建物が破壊される被害を受けた。現在の旧市街の大部分や聖ゲオルクス教会は、その後の復興の際に建設されたものである。
増え続ける塩の生産により燃料不足が起こったため、1746年に最初の枝条架装置の建設が決定した。
バート・ザルツデトフルトは、1794年にまたもや大火に襲われ、オーバー通りに面した建物のほとんどが焼失した。さらに1814年には壊滅的な洪水が発生した。
19世紀
ナポレオン戦争終結後、塩の販売が停滞し始めた。その主な原因は、ハノーファー王国と新設されたブラウンシュヴァイク公国との間の税および関税に関する紛争から生じた貿易障壁にあった[13]。
ハノーファー王国が1866年にプロイセンに併合された後、バート・ザルツデトフルトの塩の販売は大きく落ち込んだ。バート・ザルツデトフルトの交通の便の悪さ、木材価格の高騰、塩に対する税の増額、一時的な投資の停止が、特にリューネブルクやシュタスフルトの製塩工場に対抗する競争力の低下につながった。同時に鉱業的な塩の生産の進展や1868年にプロイセンが塩の独占を廃止したことによって市場への供給量が増加した。
こうした状況を承けて市は、最初の塩水浴場を建設し、別の収入源を開発しようと試みた。1857年、当時のハノーファー国王ゲオルク5世の誕生日に当たる5月28日に、バート・ザルツデトフルトにおける温泉業が開業した。温泉客数はその後数十年のうちに増加してゆき、1880年代には年間約3,000人の温泉客がやって来た[14]。民宿だけでは不足するようになったため、1888年に宿泊施設「ギルドハウス」が建設された。
バート・ザルツデトフルトでは19世紀末に工業的カリ塩採掘が始まった。1891年に、ゴスラー鉱山およびボーリングAGとバート・ザルツデトフルトの地主との間で最初の「カリ塩採掘協定」が締結された。ゴスラー鉱山およびボーリングAGは1900年にバート・ザルツデトフルトに移転し、「Kaliwerke Salzdetfurth AG」(ザルツデトフルト・カリ塩工場AG)と改名した。カリ塩採掘は着実に増加していった、1907年には既に存在していた坑道のやや南に2本目の坑道が設けられ、1914年には3本目の坑道が掘削された。
カリ塩鉱業の急速な成長は、バート・ザルツデトフルトに大きな税収をもたらし、インフラ整備の拡充がなされた。第一次世界大戦開戦の頃にはすでに、このカリ塩工場は周辺地域で最大の雇用主となっていた。この頃この工場は約650人を雇用していた。
第一次世界大戦中、人口2300人のうち約300人が徴兵された。この大戦でバート・ザルツデトフルトは94人の死者/行方不明者を出した。さらに、特に1916年から1917年にかけての「カブラの冬」には、多くの市民が栄養失調により死亡したと推測されている。
ヴァイマル共和制と国家社会主義
プロイセン国務省の命令により、バート・ザルツデトフルトは1921年12月10日に「バート」(温泉を意味する)の添え名を授与された。1920年代のバート・ザルツデトフルトの経済状況は厳しい状態にあった。
1930年代の初め、バート・ザルツデトフルトでもNSDAPが強力な支持を得ていた。1933年3月のドイツ国会選挙では、ヒルデスハイム郡の約19,000票のうち約 29 % の票をNSDAPが獲得した[15]。ナチ党の権力掌握後、バート・ザルツデトフルトでは活発な建設活動が興り、たとえば(現在は取り壊された)ユースホステルや屋外プールなどが建設された。
第二次世界大戦中、この街では食糧がおおむね足りていた[16]。1945年3月22日のヒルデスハイム空襲の際、バート・ザルツデトフルトにも爆弾が散発的に投下され、ゲッティング通りで2軒の家屋が破壊されるなどの被害があった。終戦直前になってもクロイツベルクの階段下に掩体壕が建設された。バート・ザルツデトフルトにおける戦争は、1945年4月8日にアメリカ軍が進軍してきて終結した。
第二次世界大戦以後
第二次世界大戦後、旧ドイツ東部領土から多くの移住者が流入した。これにより深刻な住宅不足が蔓延した。1948年頃に始まった新興住宅地の建設により事態は緩和された。この工事は、特にカリ塩工場の財政的援助を受けた。経済状態は1948年以降急速に回復したものの、放逐された人々の流入はバート・ザルツデトフルトにおいても街の社会生活に緊張を生み出した[17]。
カリ塩工場自体は、早くも1945年の秋には操業を再開し、1948年にはすでに1,100人を雇用していた。1948年にバート・ザルツデトフルトの製塩所は閉鎖された。
バート・ザルツデトフルトは1949年12月1日に「Stadt」(市)に昇格し、1968年に「Heilbad」(治療効果のある温泉)として州の認定を受けた。
1950年代以降、カリ塩採掘は生産性が大きく向上し、徐々に雇用が減少していった。
1974年3月1日に地域再編があり、当時独立した町村であったボーデンブルク、ブライヌム、デトフルト、グロース・デュンゲン、ハインデ、ホッケルン、クライン・デュンゲン、レヒシュテット、リストリンゲン、エストルム、ヴェールシュテット、ヴェッセルンがバート・ザルツデトフルトに合併した[18]。
バート・ザルツデトフルトのカリ塩工場は、埋蔵量が数十年分残されていたにもかかわらず、経済的な理由から1992年に閉鎖され、バート・ザルツデトフルトにおける塩の採掘は終了した。バート・ザルツデトフルト市の歴史はこれ以降、構造改革に注力した。
地名
ザルツデトフルトの古い地名は、12世紀の Thietforde、1207年の Detvforde、1214年の Thietforde、1305年の Ditforde、1458年の Detforde がある。この集落はデトフルトの南にある製塩所を中心に発展し、その名前を受け継いでいる。地名の限定語 (Salz-) は、現在の標準ドイツ語における "Salz-"、低地ドイツ語の "solt"、ラテン語の "salinae" にあたり、「製塩所、塩の貯蔵庫、塩田」といった意味がある。より古い地名であるデトフルト (Detfurth) は複合語であり、その基本語 (-furth) は、現在の標準ドイツでは "-furt" にあたり、元は「浅瀨、渡渉地」を意味する中低ドイツ語の "ford" に由来する。したがって、この地名は「一般に利用されている渡渉地、大きくて人気のある浅瀨」を意味していたと考えられる。
住民
人口推移

バート・ザルツデトフルトの人口は、1890年から1970年まで緩やかに増加した。
工業的カリ塩採掘により1890年から1900年までの間に、また第二次世界大戦後の旧ドイツ東部領土からの移民の流入により1945年から1953年までの間に、それぞれ人口が倍増した。シレジアからの避難民だけでも約1,400人がこの街に移住した。第二次世界大戦後には、避難民がバート・ザルツデトフルトの人口の過半数を占めていた。
周辺の集落を合併した後。人口は右図の青線のように推移した。
バート・ザルツデトフルトは、人口減少が起こっている街である。転入者数は、構造的な出生数不足を補うには不十分である。人口は2006年から2011年までの間に 4.8 % 減少した。ただし2022年以後人口はわずかながら増加し、2011年に比べて約 1.4 % 増加している[19]。
バーテルスマン財団は2030年には人口が12.8 %(2009年基準)減少し、平均年齢が51.5歳にまで上昇すると予測している。
人口構成
2025年6月30日時点のバート・ザルツデトフルトは、女性6,634人、男性6,376人という構成である[20]。2021年時点の外国人比率は約 5.7 %、2023年時点の平均年齢は47.3 歳である[19]。
行政
議会
バート・ザルツデトフルトの市議会は30議席からなる[21]。これは人口12,001人から15,000人の自治体の議員定数である[22]。
市議会ではこれらの議員の他に市長が投票権を有している[23]。
首長
バート・ザルツデトフルト市の専任市長は、無所属のビョルン・グリシュカである。2019年1月6日の市長選挙決選投票で彼は 53.9 % の支持票を獲得してSPDの対立候補クリスティアン・ヴェンツェルを破って市長に選出された。この選挙の投票率は 47.4 % であった[24]。これによりグリシュカは、1949年以降初めてのSPDに所属しないバート・ザルツデトフルト市長となった。
市区議会・市区長
市内の各市区には市区議会と市区長が存在する[25]。
紋章
図柄: バート・ザルツデトフルト市の紋章は、2つのザルツプファン(塩釜)に支えられている。赤地に3本の銀色のザルツハーケン(製塩道具)が描かれている[26][27]。
解説: ザルツハーケンがデザインされた印章が最初に使用されたのは14世紀にまで遡り、中世から塩の生産がなされていたことの証拠となっている。
旗
姉妹都市
バート・ザルツデトフルト市は、以下の都市と姉妹都市関係にある[28]。
文化と見どころ

建築
歴史的旧市街には、数多くの、一部は17世紀に建設された木組み建築がある。その多くには、最初の所有者の名前や建造年の他に、しばしば格言が記された銘を持つ。旧市街で最も古い建物は、1605年の火災後に再建され、その後の火災を切り抜けて現存しているミューレン通りのシュタインベルク水車である[29]。1888年に宿泊施設として建設されたギルドハウスや1898/99年に建設されたホテル・クロンプリンツなどがこの街の有名な建物である。
福音主義の聖ゲオルクス教会は、1695年の大火災によって焼失した後、ゴシック様式で再建された。外面のファサードにはバート・ザルツデトフルトの象徴である「ゾルトメネケン」の石製レリーフが掲げられている。これは製塩職人ギルドの役職者の宣誓を表している。毎日12:55頃と18:55頃に「Glück auf, der Steiger kommt」(幸運あれ、監督が来るぞ)や「Großer Gott, wir loben dich」(大いなる神よ、我らは汝を賛美する)の曲がグロッケンシュピールで鳴り響く。
同じく福音主義のマルティン=ルター教会は、マルティン=ルター通りのやや高い場所にある。この教会は1954年に献堂された。カトリックの聖家族教会は1961年にエルザ=ブラントシュトレム通りの高い大に建設された。
街の高台であるゲルトルーデンベルクにカトリックのシェーンシュタット礼拝堂が建っている。この礼拝堂は、シェーンシュタットの礼拝堂の後継建造物であり、1977年に司教ハインリヒ・マリア・ヤンセンによって聖別された。礼拝堂の隣に建つゲルトルーデンベルク館は、元は母親の療養施設として建設されたものである。この建物は2011年から精神障害者の居住施設として用いられており、ハイムシュタット・レーダーホーフに属している。

クアパルクには2基の枝条架装置がある。これらは18世紀中頃に建設され、現在も稼働している。連邦全体では約30基の枝条架装置がある。
本市には2基の展望塔がある。1956年に建造されたカブス塔は、ヴェルフェンヘーエに建つ高さ 17 m の展望塔である[30]。かつてのバート・ザルツデトフルト市長にちなんで命名されたアドルフ=シュトフレーゲン塔は、街の北西近くある「ブルクベルク」(城山)とも呼ばれるエミリエンヘーエに1982年に建設された。高さ 21 m に展望台を有しており、市を一望できる[31]。2016年の改修により、高さ 22 m の展望台を持つ鋼鉄製の展望塔となった[32]。
バート・ザルツデトフルト文化の駅に2005年から市立図書館が入居している。

ボーデンブルク地区には、かつて伯爵の城であったボーデンブルク城がある。その起源は10世紀にまで遡る。
- 聖ゲオルクス教会
- 聖ゲオルクス教会に掲げられたゾルトメネケンのレリーフ
- 聖家族教会
- シェーンシュタット礼拝堂
- バート・ザルツデトフルト文化の駅
博物館とギャラリー
「バート・ザルツデトフルト市立博物館、塩とカリ塩採掘博物館」では、市史、1992年に閉山したバート・ザルツデトフルトのカリ塩採掘に関する歴史、鉱物・岩石コレクション郷土美術の部門がある。
1991年に創設されたバート・ザルツデトフルト芸術協会は1998年からボーデンブルク城の芸術棟(地元では「ブレンシュタル」とも呼ばれる)で全ヨーロッパの芸術家の作品を含むグループ展を開催している。
- 塩とカリ塩採掘博物館
- 「ブレンシュタル」の外観
- 「ブレンシュタル」での展覧会の様子
スポーツ
バート・ザルツデトフルトは、近年スポーツの街として評判を高めている。
テニス
デトフルト地区には、1981年からニーダーザクセン・テニス連盟のオフィスおよび州立育成・教育センターがあり、屋内外のテニスコートを有している。
マウンテンバイク
2000年代からバート・ザルツデトフルトは、ドイツにおけるマウンテンバイク・スポーツの中心地の1つとなっている。この街は年に1度全国的なマウンテンバイク・レースの開催地となる。バート・ザルツデトフルトはオリンピック・クロスカントリー・ドイツ選手権、マウンテンバイク・ブンデスリーガ(国際ライダーも参加する)最終戦、ドイツ・アマチュア選手権の開催地としても知られている。レースには数千人の観客が訪れる。さらに2012年には広さ 5 ha のバイク=パークが整備された。
ゴルフ
ゴルフクラブ・バート・ザルツデトフルト・ヒルデスハイム e.V. は、広さ約 86 ha、18ホールのゴルフ場を有している。このゴルフ場には2つの異なるエリアがある。最初の9ホールは丘陵地の「パークランド・コース」、後半の9ホールは古木の森の中のコースである。さらにこのクラブには、25打席のドライビングレンジ、チッピング・グリーンを備えたショートコース、パッティング練習場もある。9月にはこのゴルフ場でマスタートーナメントが開催される。さらにクアパルク内に2012年にオープンしたアドベンチャー・ゴルフ施設がある。
グライダー
ヴェッセルン地区近郊のシュタインベルクに、シュタインベルク・バイ・ヴェッセルン・グライダー飛行場がある。4月から10月までのシーズン中は、週末にグライダーの飛行が行われている。

プール
デトフルト地区のゾーレ=テルメは、3 %の塩分を含んだ水温33℃の温水水浴場である。ここには屋外水槽と屋内水槽があり、通年営業している。
バート・ザルツデトフルト地区には温水屋外プールがある。
2002年に、ボーデンブルクの浴場を維持するためにフライバート・ボーデンブルクが開設された。このプールは公益目的で運営されており、非水泳者用水槽、水泳者用水槽と子供用水槽があることが魅力となっている。
年中行事
マルクト広場では毎週金曜日に週の市が開催される。
- 1月/2月
- 3月/4月
- 各地区の復活祭。多くの消防団やクラブ・団体が主催する。
- 5月/6月
- 各地区の五月祭。
- 5月初め バート・ザルツデトフルト屋外プールのプール開き。
- マイエンタール/エストルムのキリスト昇天祭。
- 5月末/6月初め ボーデンブルク屋外プールのプール開き。
- 6月の第1週末 バート・ザルツデトフルトの旧市街祭。
- バート・ザルツデトフルトのマルクト広場で開催される野外コンサート「フライタークス・ノインツェーン・ドライシヒ」。
- バート・ザルツデトフルトのクアパルクで開催されるクアコンサート。
- 7月/8月
- クアパルクで開催されるタイヒロック・フェスティバル。
- クアパルクのスペクタクル。
- マウンテンバイク・パークでの様々なイベント(サイクロ=クロス選手権など)。
- バート・ザルツデトフルトのマルクト広場で開催されるクアコンサート。
- 市内で開催される学生の祝祭活動。
- ボーデンブルク屋外プールで開催される野外フェスティバル。
- 9月/10月
- バート・ザルツデトフルトのクアパルクで開催されるクアコンサート。
- ボーデンブルク・ジャガイモ祭。
- バート・ザルツデトフルトのゴルフ場で開催されるマスタートーナメント。
- グロース・デュンゲン地区の収穫感謝市。
- ボーデンブルク消防団のオクトーバーフェスト。
- 11月/12月
- バート・ザルツデトフルト、グロース・デュンゲン、ボーデンブルクのクリスマスマーケット。
経済と社会資本
2024年6月30日現在、バート・ザルツデトフルトには3,412人分の職場が存在する。その 39.6 % が製造業、20.9 % が商業、交通業、流通業および接客業で、39.0 % がその他のサービス業である。農林水産業に従事する者は 0.5 % ほどである[33]。
住民1人あたりの購買力は18,604ユーロ(2011年。ヒルデスハイム郡全体では 19,449ユーロ)で、ドイツ全体の平均よりも低値である。ドイツ全体を100とした購買力指数は93.0(ヒルデスハイム郡は97.2)である[34]。
2023年の失業率は約 7.0 %(ヒルデスハイム郡全体では 8.6 %)である[35]。
地元企業
旧フーバ=ヴェルケの敷地には現在、テックセンター・バート・ザルツデトフルト産業地区が存在する[36]。2003年以降ここには、約20社の通信、自動車、サービス分野の企業があり、約1,800人が働いている。
デトフルト地区にはザルツェ・クリニークがある。整形外科と心療内科(旧ザルツェ・クリニーク II)はリーリェ・グループが、老人医学、老人リハビリテーション、循環器および整形外科はレーン・クリニークAGが運営している。ザルツェ・クリニークでは、約250人が働いている[37]。
K+S AG はバート・ザルツデトフルトで約115人を雇用している。稼働停止したカリ塩工場の残存施設は、ドイツおよびヨーロッパ向けに猫砂を製造するためにマース・ドイチュラント社によって利用されている[38]。
バート・ザルツデトフルト温泉業協会は、約50人の常勤従業員を雇用している[39]。
交通
道路
本市へは、連邦アウトバーンA7号線の「ヒルデスハイマー・ベルデ」および「ボッケネム」インターチェンジ経由でアクセスできる。連邦道243号線(ヒルデスハイム - ノルトハウゼン)がバート・ザルツデトフルトを北西から南東方向に貫いている。本市の近くを連邦アウトバーンA39号線と連邦道6号線が通っている。首邑部は、州道490号線(ヴェッセルン - ゼーレム)経由で広域道路網に接続している。

鉄道
鉄道ヒルデスハイム - ゴスラー線が市域を通っている。グロース・デュンゲンの東でこの路線から分岐するランメタール鉄道が1901年に開通した。この支線によってヴェッセルン、バート・ザルツデトフルト・ゾーレバート、バート・ザルツデトフルト、ボーデンブルク・アム・ヒルデスハイムの各駅が結ばれている。グロース・デュンゲン駅を除き、市内の各駅は2001年から2003年に改修がなされた[40]。
公共旅客近郊交通
ボーデンブルク - バート・ザルツデトフルト - グロース・デュンゲン - ヒルデスハイム間の連絡は近郊旅客列車が担っている。運行は2011年12月からノルトヴェストバーンが行っている[41]。2021年12月の時刻表改定に伴い、運営会社は再び変更となり、ドイツ鉄道の子会社であるスタート社が担当することとなった。月曜日から日曜日まで1時間間隔で運行している。使用されている車両は、LINT41型である。
ハインデ、レヒシュテット、リストリンゲン地区はリツォール社のバス路線2320番(ヒルデスハイム - ホレ)が運行している。市内の他の地区の交通はヒルデスハイム地域交通 (RVHI) のバスが担っている。市内をRVHI 41番(バート・ザルツデトフルト - バート・ガンダースハイム)、42番(ヒルデスハイム - バート・ザルツデトフルト)、411番(バート・ザルツデトフルト/ボーデンブルク - ボッケネム)が運行している。一部はデマンド型交通も用いられている。バスの時刻表はランメタール鉄道に合わせて設定されている。ヴェッセルン駅、バート・ザルツデトフルト駅、ボーデンブルク駅にはバス/鉄道複合型プラットホームが設置されている。
土曜日と日曜日の夜には多くの地区が「夜行バス」N6、N7番でヒルデスハイムと結ばれている。
航空
最寄りの国際空港はハノーファーにある。また、ヒルデスハイムには交通飛行場(5.7 t までの小型航空機用飛行場)がある。ヴェッセルン地区にはグライダー施設がある。
メディア
バート・ザルツデトフルトは、ヒルデスハイマー・アルゲマイネ・ツァイトゥンクのサービス提供エリアに含まれる。さらに市内では無料の広報紙 RUBS(= Rund um Bad Salzdetfurth、バート・ザルツデトフルト周辺の意味)が配布される。
警察
バート・ザルツデトフルトには、ボッケネム、ラムシュプリンゲ、シェレールテン、ゼールデを管轄下に置く警察署が存在する[42]。
1945年から1946年までホテル・クロンプリンツ内にバート・ザルツデトフルトの警察学校があった。さらにほぼ同時期に警察の施設警備学校もこの街で運営されていた[43]。
雑記
人物
出身者
- ウルリケ・ローゼンバッハ(1943年 - )芸術家。
ゆかりの人物
- ヨーゼフ・ミュラー(1894年 - 1944年)司祭、殉教者。
- ゴットフリート・フォン・クラム(1909年 - 1976年)テニス選手。
- ダニエル・ファン・ブイテン(1978年 - )ベルギーのサッカー選手。
