トウショウペガサス

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欧字表記 Tosho Pegasus[1]
性別 [1]
トウショウペガサス
欧字表記 Tosho Pegasus[1]
品種 サラブレッド[1]
性別 [1]
毛色 鹿毛[1]
生誕 1979年5月16日[1]
死没 2007年5月20日(28歳没)
ダンディルート [1]
ソシアルトウショウ [1]
母の父 ヴェンチア [1]
生国 日本の旗 日本北海道静内町[1]
生産者 藤正牧場[1]
馬主 トウショウ産業(株)[1]
調教師 奥平真治美浦[1]
競走成績
生涯成績 30戦8勝[1]
獲得賞金 2億702万1000円[1]
勝ち鞍
GII中山記念1985年
GIIIダービー卿CT1984年
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トウショウペガサス(欧字名:Tosho Pegasus1979年5月16日 - 2007年5月20日)は、日本競走馬種牡馬[1]。主な勝ち鞍に1984年ダービー卿チャレンジトロフィー1985年中山記念

種牡馬としても活躍し、2頭の中央競馬のGI級競走勝ち馬を輩出した。

1981年3月30日函館競馬場第3競走の3歳新馬戦にて、横山富雄を鞍上にデビュー。ここでは4着に敗れたが、折り返しの新馬戦で勝利すると府中3歳ステークスも勝利。さらに続く朝日杯3歳ステークスでもホクトフラッグの2着と好走した。しかし、翌年NHK杯から始動するもアスワンの7着。さらに東京優駿京都新聞杯菊花賞のすべてで掲示板を外す惨敗となり、4歳シーズンを終えた。

1983年は2月の条件戦に参戦し、2番人気で2着となる。しかし、ここで1年2ヶ月の休養を挟むことになってしまう。だが、年が明けた1984年4月8日の条件戦では長期休養明けにもかかわらず1番人気に支持され、1着とはいかなかったものの、3着と善戦。さらに続く条件戦での2着を挟むと、一気に条件戦での2連勝を飾る。その勢いのまま函館記念に臨んだが、9着に沈んだ。

しかし勢い自体は衰えることなく、次走の条件戦を勝利すると、毎日王冠カツラギエースの4着、天皇賞・秋ではミスターシービーの4着とここでも善戦を見せる。そして1番人気に支持されて参戦したダービー卿チャレンジトロフィーを制し、悲願の重賞制覇を果たした。この後は距離適性があるとは言えないながらも、年末の有馬記念に出走。11頭立て11着というシンガリ負けを喫し、この年のレースを終えた。

年が明け1985年、初戦を制し中山記念へ参戦。1番人気にサクラガイセンに支持され、トウショウペガサスは続く2番人気に支持された。結果、サクラガイセンは6着に沈み、トウショウペガサスがドウカンヤシマをクビ差振り切って勝利。重賞2勝目を挙げた。

この後屈腱炎のため半年余の休養の後[2]、復帰戦のスワンステークスは10着と惨敗するが、続くマイルチャンピオンシップではニホンピロウイナーに3馬身離されながらも2着と大健闘した。その後は年末のクリスマスステークスに2番人気で出走するも、ブービーの14着と惨敗し、この年の最後の出走となる。

1986年東京新聞杯より始動。6番人気ではあったが、ギャロップダイナの半馬身差2着と健闘。続く中山記念は連覇が掛かっていたものの、1番人気のクシロキングにクビ差で2着となる。その後は京王杯スプリングカップ6着、昨年惨敗したスワンステークス5着となったが、マイルチャンピオンシップでは4番人気を裏切る18着と再びGIでのシンガリ負け。続くCBC賞では11番人気と大きく評価を落とし、結果はそれをさらに下回る14着。結局、このレースを最後に競走馬を引退することになった。

競走成績

種牡馬時代

引退後は種牡馬入りした。産駒は186頭が血統登録され、そのうち145頭がレースに出走。100頭が勝ち馬となった。産駒の中央重賞勝ちは3勝のみであるが、そのうち2勝がGⅠ級競走である。

2000年10月用途変更となり種牡馬を引退[3]。その後、2007年5月20日に死亡した[4]。28歳没。

主な産駒

太字は勝利したGI級競走。

ブルードメアサイアーとしての主な産駒

血統表

脚注

外部リンク

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