ドゥカティ・コルセ
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種類 | Ducati Motor Holding S.p.Aの子会社 |
|---|---|
| 設立 | 1954年 |
| 本社 | 、 |
主要人物 |
クラウディオ・ドメニカリ, ドウカティ・コルセ CEO |
| 親会社 | Ducati Motor Holding S.p.A |
| ウェブサイト | Ducati Corse |
ドゥカティ・コルセ ( Ducati Corse S.r.l. ) はドゥカティのオートバイレース関連を担当する子会社。クラウディオ・ドメニカリを代表に、イタリア・ボローニャに本社を置く。現在はロードレース世界選手権のMotoGPクラスにワークス参戦している。
ドゥカティ・コルセでは100人以上の従業員(ドゥカティの全従業員のほぼ10%にあたる)が働いており[1]、本社は4つの部門に分かれている。
- 研究・開発部門
2つのチームに分かれ、MotoGPとスーパーバイク選手権を戦うマシンの設計と開発を担当している。
- 競技部門
MotoGPに参戦するワークス・チームの運営を担当する。2010年シーズンまではスーパーバイク世界選手権にもワークス体制で参戦していた。
- 商業活動部門
プライベートチームへのマシンとスペアパーツの供給を担当する。スーパーバイク世界選手権や各国のスーパーバイク選手権でドゥカティ車を使うプライベーターへのコンサルティング業務と技術援助もおこなう。2004年からは、MotoGPのドゥカティサテライトチームへのマシン供給と技術サポートもおこなっている。
- マーケティング・情報部門
レース活動を通じて、ドゥカティのブランドイメージを高めることを目的としている。ドゥカティ・コルセの公式グッズの製造も担当している。
ロードレース世界選手権 (MotoGP)
| ドゥカティ・コルセ | |
|---|---|
|
| |
| 2025年の チーム名 | ドゥカティ・レノボ・チーム |
| 本拠地 |
|
| 代表 | ダビデ・タルドッツィ |
| 公式ウェブサイト | https://www.ducati.com/jp/ja/racing/motogp/home |
| 2025年のMotoGP | |
| ライダー |
63. 93. |
| テストライダー |
51. |
| マシン | ドゥカティ・デスモセディチ |
| タイヤ | ミシュラン |
| MotoGPにおけるチーム履歴 | |
| 参戦年度 | 2003 |
| チームズ タイトル | 3回(2021年, 2022年, 2024年) |
| ドライバーズ タイトル |
3回 2007年 ケーシー・ストーナー 2022年 フランチェスコ・バニャイア 2023年 フランチェスコ・バニャイア |
| 2024年順位 | 1位(884ポイント) |
| (記録は2024年最終戦ソリダリティGP終了時) | |
経歴
2003年にロードレース世界選手権のMotoGPクラスに参戦を開始し、5年目の2007年に初チャンピオンを獲得した。
2002年に最高峰クラスのルールが変更となり、4ストロークマシンが有利になったのを受け、ドゥカティはシリーズへの参戦を決意した。
2002年のムジェロでおこなわれたイタリアGPで、翌年のシリーズを戦う4ストロークマシンが初めて披露された。
参戦初年度となる2003年、ライダーにはロリス・カピロッシとトロイ・ベイリスを採用した。カピロッシは開幕戦の鈴鹿で表彰台を獲得し、カタルニアではチーム初優勝を果たした。カピロッシはシリーズ4位に入り、ベイリスはシリーズ6位となった。チームとしてはマニュファクチャラー部門で総合2位に入った。
2004年シーズンはマシンの熟成が遅れて、両ライダーは表彰台を獲得したものの未勝利に終わった。
2005年シーズンは、ベイリスに代わりスペインのカルロス・チェカがチームに加入。タイヤはミシュランからブリヂストンに変更となった。カピロッシはもてぎとセパンで勝利を挙げ、チェカは2度3位表彰台を獲得した。
2006年シーズンはチェカに代わりセテ・ジベルナウが加入。開幕戦のヘレスでカピロッシが勝利、次のカタールでも表彰台を獲得するなど好調を維持し、一時はチャンピオン争いをリードしていたが、第7戦カタルニアのスタートでカピロッシとジベルナウは接触事故を起こし、両者とも重傷を負ってしまった。カピロッシは次戦のアッセンから復帰したが、鎖骨などを骨折したジベルナウはアッセンとドニントンを欠場、一時復帰したが再手術のためブルノも欠場した。この間の代役はドイツのアレックス・ホフマンが務めた。最終戦バレンシアでもジベルナウは欠場し、代役にはこの年のスーパーバイク世界選手権王者のトロイ・ベイリスが迎えられた。ベイリスは自身のMotoGP初優勝を果たし、カピロッシも2位に入りドゥカティは初のワン・ツー・フィニッシュを獲得してシーズンを終えた。
2007年シーズンからレギュレーションが変更になり排気量が800ccに縮小されるのを受けて、ドゥカティはかなり早い時期から800ccエンジンの開発に取り掛かり、2006年の8月には20基もの様々なスペックのエンジンを完成させていた[2]。カピロッシのチームメイトにはケーシー・ストーナーが加入した。ストーナーはチャンピオン争いをリードし続け、残り4戦となった9月23日のもてぎで自身初・チーム初のワールドチャンピオンに輝いた。
シーズンの終わり、ドゥカティのチーフエンジニアのアラン・ジェンキンスはシーズン中の功績を讃えられて「サー・ジャッキー・スチュワート・アワード」を授与された[3]。
2008年シーズンもストーナーは残留し、新たにマルコ・メランドリをチームメイトに迎えた。メランドリはマシンへの適応に苦しみ低迷、チームとは2年契約を結んでいたが、双方が同意の上で契約期間を短縮し、1年でチームを去ることになった。
2009年はメランドリに代わりニッキー・ヘイデンがストーナーのチームメイトとなり、カーボンフレームのドゥカティ・デスモセディチGP9でシーズンを戦った。ストーナーは体調不良に苦しみ、シーズン中盤の3戦を欠場、その間の代役はミカ・カリオが務めた。
2010年はライダーに変更はなく、ストーナー4年目、ヘイデン2年目のシーズンを迎えた。前年までチーム代表を務めていたリビオ・スッポはHRCに移籍し、ビットリアーノ・グアレスキが新代表となった[4]。
2011年シーズン、ストーナーはホンダワークスに移籍し、代わってバレンティーノ・ロッシがヘイデンのチームメイトを務めることとなった[5]。
2020年は、アンドレア・ドヴィツィオーゾとダニロ・ペトルッチの二台体制となる。タイトルスポンサーは前年にフィリップモリスの「Mission Winnow」ブランドが撤回されたため、この年は付けていない。ドヴィオーゾはマシンの適応に慣れ、チャンピオン争いに絡めたのに対し、ペトルッチは昨年のように良い結果を出せず年間ランキング14位に終わっている。しかし、13年ぶりのコンストラクタ-ズ部門制覇を果たすことができた。
2021年は、休養を発表したドヴィツィオーゾとテック3への移籍を決めたペトルッチに替わって、ジャック・ミラーとフランチェスコ・バニャイアが加入。タイトルスポンサーにはレノボが加わった。両者の活躍もあり、14年ぶりのチームタイトル獲得に貢献した。
戦績
| 年 | エントリー名 | 車両 | タイヤ | ライダー | ランキング | ポイント | 優勝数 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2022年 | ドゥカティ・レノボ・チーム | ドゥカティ・デスモセディチ GP22 | M | 1位 | 454 | 8 | |
| 2023年 | ドゥカティ・レノボ・チーム | ドゥカティ・デスモセディチ GP23 | M | 1位 | 561 | 8 | |
| 2024年 | ドゥカティ・レノボ・チーム | ドゥカティ・デスモセディチ GP24 | M | 2位 | 884 | 13 | |