小椋藍

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国籍 日本の旗 日本
生年月日 (2001-01-26) 2001年1月26日(25歳)
東京都清瀬市
ゼッケン 79
小椋藍
MotoGP in Tokyo(2024年
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (2001-01-26) 2001年1月26日(25歳)
東京都清瀬市
現在のチーム トラックハウス・レーシング
ゼッケン 79
レースでの経歴
ロードレース世界選手権 MotoGPクラス
活動期間2025年
マニファクチャラーアプリリア
チャンピオン0
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
2 0 0 0 0 17
ロードレース世界選手権 Moto2クラス
活動期間2021年2024年
マニファクチャラーカレックス
ボスコスクーロ
チャンピオン1 (2024年)
2024年 順位1位 (274pts)
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
74 6 19 5 3 773.5
ロードレース世界選手権 Moto3クラス
活動期間2018年2020年
マニファクチャラーホンダ
チャンピオン0
2020年 順位3位 (170pts)
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
37 0 8 1 2 280

小椋 藍(おぐら あい、2001年1月26日 - )は、東京都清瀬市生まれ、埼玉県出身のオートバイレーサーである。2024年ロードレース世界選手権Moto2クラスチャンピオン[1]

初期

レース経験のある父親の影響で2歳上の姉、華恋(後述)がレースを始め、藍も3歳頃からポケバイに乗り始めた。ミニバイクを経て2014年にロードレースデビューし、つくばやもてぎの地方選手権に参戦した。

2015年、アジア人ライダー育成シリーズ、アジア・タレント・カップに参戦し、1勝と2位2回でランキング7位。2016年は3勝を挙げランキング2位(1位はソムキアット・チャントラ)。同年はレッドブルMotoGPルーキーズカップにも参戦し、ランキング11位。

2017年、MotoGPへの登竜門であるCEVレプソル Moto3ジュニア世界選手権にアジア・タレント・チームより参戦。第5戦エストリルで3位表彰台、第6戦ヘレス(レース2)で初優勝し、ランキング8位[2]。ルーキーズカップでは2勝を挙げランキング5位。

2018年、Moto3ジュニア世界選手権では最終戦バレンシア(レース1)で優勝、2位1回・3位2回でランキング5位[3]

Moto3

2018年5月、ロードレース世界選手権(MotoGP)第4戦スペインGP英語版のMoto3クラスにワイルドカード(地元推薦枠)で出場。グランプリデビュー戦を15位で完走し、初ポイントを獲得した[4]。同年はオランダGP、ドイツGP、オーストリアGPにもスポット参戦し、ランキング36位。

2019年はホンダ・チーム・アジアよりMoto3クラスにレギュラー参戦[5]。第5戦フランスGPで左手を骨折し次戦を欠場したが、第14戦アラゴンで2位初表彰台を獲得。シリーズ19戦中14戦でポイントを獲得し、ルーキーシーズンでランキング10位となった。

2020年もホンダ・チーム・アジアよりMoto3クラスに参戦。新型コロナウイルス感染症の世界的流行により短縮されたシーズンで、フル参戦2年目にしてチャンピオン争いを演じる。優勝はなかったものの、2位2回・3位5回など15戦中14戦でポイントを獲得。アルベルト・アレナスから8ポイント差の2位につけて最終戦ポルトガルGPを迎えたが逆転はならず、4ポイント差のランキング3位でシーズンを終えた[6]

Moto2

2021年はMoto3からMoto2クラスへ昇格し、イデミツ・ホンダ・チーム・アジアよりレギュラー参戦した[7]。前半戦は3度のリタイアを喫するも、第11戦オーストリアGPで2位初表彰台を獲得。第17戦アルガルベGPで左足を負傷し最終戦を欠場したが、18戦中12戦でポイントを獲得(すべてシングルフィニッシュ)し、ランキング8位となった[8]。チーム監督の青山博一はできる限り多く周回してレースを走る中で学んでほしい、という1年目の目標をほぼ達成できたと評価し、レベルアップへの課題としてバイクの止め方やタイヤの使い方を挙げた[9]

2022年もイデミツ・ホンダ・チーム・アジアより参戦。第3戦・第4戦の連続表彰台を経て、第7戦スペインGPではポール・トゥ・ウィン(全周回トップ)でグランプリ参戦60戦目で初優勝を果たした[10] (日本人ライダーとしては2020年カタールGPMoto2クラスの長島哲太以来の優勝[11])。第13戦オーストリアGPは2度目のポール・トゥ・ウィンをチームメイトのチャントラとのワンツーフィニッシュで達成[12]。3年ぶりに開催された第16戦日本GPでは予選13位からトップに浮上し、自身初の母国優勝を果たした(日本人ライダーの母国優勝は2006年の青山博一(250ccクラス)以来16年ぶり[13])。チャンピオン争いは小椋とアウグスト・フェルナンデスの一騎打ちとなり、小椋の3.5ポイントリードで迎えた第19戦マレーシアGP、小椋はフェルナンデスより先行しながら最終ラップにトップを狙って転倒[14]。逆に9.5ポイントのビハインドを負い、再逆転をかけた最終戦バレンシアGPも転倒リタイア。20戦中ポールポジション3回、表彰台7回(優勝3回)という好成績を収めながら、Moto2チャンピオンを逃した[15]

2023年はMoto2クラスで3年目のシーズンとなる。前年ランキング2位の実績からチャンピオン獲得を期待されたが、シーズン前のモトクロストレーニング中に負った左手脱臼骨折の回復が遅れて開幕2戦を欠場[16]。復帰後はポールポジションも優勝もなく、タイトル争いに絡めず、ランキング9位に終わった。

2024年マレーシアGP (Moto2) での小椋

2024年は育成年代から所属してきたホンダ系チームを離れ、Moto2クラスに新規参戦するMTヘルメット-MSIチームへ移籍した[17](ホンダとのスポンサー契約は継続)。フレームはカレックスからボスコスクーロ、ワンメイクタイヤはダンロップからピレリへとレース環境が大きく変わった。第6戦カタルーニャGPで2022年日本GP以来1年8ヵ月ぶりに優勝[18]。第8戦オランダGPで2勝目。右手骨折のため第11戦オーストリアGPを欠場するも、第13戦サンマリノGPで3勝目。第18戦タイGPでポールポジションを獲得。決勝では2位でフィニッシュしランキング2位のアロン・カネトに51pt差をつけ、2レースを残して日本人では2009年250ccクラスの青山博一以来15年ぶりのチャンピオンに輝いた[1](歴代7人目の日本出身者チャンピオン[19])。

MotoGP

2025年は最高峰MotoGPクラスへ昇格し、アプリリアのサテライトチーム、トラックハウス・レーシングに所属する[20]。MotoGPクラスにレギュラー参戦する日本人ライダーとしては13人目、アプリリア機に乗るのは原田哲也(1999・2000年)と芳賀紀行(2003年)以来となる[21]

人物

  • 全日本ロードレース選手権を経験せず、ホンダ(HRC)と出光興産が支援するアジア人ライダー育成プロジェクトの一員として海外でステップアップを重ねてきた。そうした経緯から、中上貴晶の後継者としてイデミツ・ホンダ・LCRからMotoGPクラスに昇格すると予想されたが、2022年の時点では「まだMoto2で学ばなければならないことがたくさんある」とオファーを断った[22]。2025年に関しては熟慮の末ホンダ陣営を離れ、アプリリアからMotoGPデビューすることを決断した[23]。HRC側も小椋と話し合いの末、円満に契約を終了すると説明した[24]
  • ゼッケン番号は79。幼い頃から7番を好んで付けており、アジア・タレント・カップでは9番だったため、MotoGPルーキーズカップに参戦するときにふたつを合わせて79番に決めた[25]
  • 秋ヶ瀬育ちの先輩である加藤大治郎を「永遠のチャンピオン」と尊敬し、目標にしている[26]。レーシングスーツの右肩には大治郎の「74」、左肩には富沢祥也の「48」というふたりの永久欠番を縫い付けている。
  • レースを始めた頃からアライヘルメットを愛用しており、一時期アルバイトとして働き、他の選手の物を含めてヘルメットの塗装を行っていたこともある[27][28]。2024年、ライバルメーカーのMSヘルメットがスポンサードする「MTヘルメット-MSI」に移籍した際、アライヘルメットを継続して使用できる条件を付けて契約交渉した[29]
  • 姉の小椋華恋(おぐら かれん)は川口35期のオートレーサーで、女子選手デビュー最短優勝記録を持つ[30]。ポケバイ時代は姉が「めだまカレン」、弟は「めだまアイ」という名で走っていた[31]。ロードレーサー時代はMFJレディースロードレース王者(2011年)、MFJカップJP250クラス4位(2017年)などの成績を残した[32]。2024年5月26日、華恋がG2川口記念でグレードレース初優出・初優勝した日に、弟の藍もカタルーニャGPのMoto2で優勝してニュースになった[33]
  • 趣味は釣り(バスフィッシング)とバイクに乗ること。シーズン中も積極的に帰国し、埼玉県の桶川スポーツランドでトレーニングに励んでいる[34]

戦績

脚注

外部リンク

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