土肥原・秦徳純協定
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第二次張北事件
宋哲元の糾弾

当時の宋哲元軍つまり第二十九軍は張家口に第三十七師、張北に第百三十二師、宣化に第三十八師、保安に暫編第二師を有し、二万の新兵を募集していたため、その兵力は六万から七万を有し[4]、また排日の首魁馮玉祥の元部下であり、その時期にあった熱河戦では喜峰口で日本軍に頑強に抵抗した経験を持つ排日思想の強い軍隊ゆえに中国北部の排日軍閥一掃を望むなら無視できない存在となっていた[5]。関東軍は日頃の宋哲元が日本と満洲に対して挑戦的であったため、この機会をとらえて糾弾することになった[5]。
- 宋哲元の満洲国への挑戦的態度は軍として隠忍し難く、多くの公約や警告にも反省する姿勢がない。ゆえに匪賊として対処する他はない。
- 宋哲元は満洲国辺境の治安を乱す匪賊以外のものではない。関東軍は再度宋哲元の処罰を国民政府に強硬に求める。
- 国民政府が要求を入れずに引き延ばし策を用いれば関東軍は断乎とした行動を取らねばならない。
その翌日、南京政府行政院は宋哲元の罷免を決定した[7]。
協定内容
6月27日土肥原特務機関長が提出した要求事項全てについて秦徳純が承諾した。回答文書の内容は以下の通りだったが[8]、その発表は行われなかった[9]。
- 第二張北事件に関し謝罪し責任者を罷免する。
- 日中国交に悪影響を及ぼす機関を察哈爾省より撤退させる。
- 日本の察哈爾省内での正当な行為を尊重する。
- 昌平・延慶・大林堡を経て長城に至る線以東の地域及び獨石口北側より長城に沿い張家口北側を経て張北県南側に至る線以北の地域より宋哲元軍を撤退させ撤退後の治安は保安隊が担当する。
- 以上の撤退は6月23日から二週間以内に完了する。
第三項の「日本の察哈爾省内での正当な行為を尊重する」の解釈について土肥原と秦の間の口頭による約束で中国が承諾した主要なものは以下の通りである[10]。
