ハイレマリアム・デサレン

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生年月日 (1965-07-19) 1965年7月19日(59歳)
出生地 エチオピアの旗 エチオピア帝国、ボロソ・ソレ
出身校 アディスアベバ大学
アーバ・ミンチ大学
タンペレ工科大学
アズサ・パシフィック大学
ハイレマリアム・デサレン
ኃይለማሪያም ደሳለኝ
ハイレマリアム・デサレン(2011年5月)
生年月日 (1965-07-19) 1965年7月19日(59歳)
出生地 エチオピアの旗 エチオピア帝国、ボロソ・ソレ
出身校 アディスアベバ大学
アーバ・ミンチ大学
タンペレ工科大学
アズサ・パシフィック大学
所属政党 エチオピア人民革命民主戦線
南エチオピア人民民主運動
配偶者 ロマン・テスファエ[1]

エチオピアの旗 第12代エチオピア首相
在任期間 2012年9月21日 - 2018年4月2日
2012年8月20日9月21日(代行)
大統領 ギルマ・ウォルドギオルギス
ムラトゥ・テショメ

エチオピアの旗 エチオピア副首相兼外相
在任期間 2010年9月1日 - 2012年9月21日
首相 メレス・ゼナウィ

在任期間 2012年9月16日 - 2018年2月15日
副議長 デメケ・メコネン

在任期間 2013年1月27日 - 2014年1月30日

在任期間 2001年11月12日 - 2006年3月
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ハイレマリアム・デサレン・ボシェアムハラ語: አቶ ኃይለማሪያም ደሳለኝ, ラテン文字転写: Hailemariam Desalegn Boshe1965年7月19日 - )は、エチオピアの政治家。2012年から2018年まで同国の首相を務めたほか、2010年から2012年までメレス・ゼナウィ政権下で副首相兼外相、2012年8月のメレス死去後は首相代行を務めた。2012年9月15日には与党エチオピア人民革命民主戦線(EPRDF) の議長に選出された。このほか、2013年度のアフリカ連合の議長も務めた。

生い立ち

エチオピアの南部諸民族州における中心的な民族集団である、オメト族系のウォライタ族の出身。1965年、エチオピア南部ウォライタ地方のボロソ・ソレ地区に生まれた。この地域の学校に通い、少年時代のほとんどを同地で過ごした。

一家はエチオピア・プロテスタントの主流を占めるペンテ(三位一体の教えを信奉する教会)ではなく、「ただ一人のイエス」を信じるエチオピア使徒教会(ワンネス・ペンテコステ派)に所属している[2][3]

正式な氏名はハイレマリアム(敬称はハイレマリアム・デサレン)で、エチオピア正教会の典礼に用いられるゲエズ語で「聖母マリアのお力」を意味する。次の「デサレン」は父のデサレン・ボシェの名前[4]で、アムハラ語で「私は嬉しい」という意味である。

学歴

1988年、アディスアベバ大学土木工学の学位を取得。その後、アーバ・ミンチ・ウォーター・テクノロジー研究所(現在のアーバ・ミンチ大学)に大学院生として在籍するかたわら、助手として勤務した。2年間勤続した後、フィンランドタンペレ工科大学の奨学金を獲得し、衛生工学で修士号を取得。エチオピアに帰国後はウォーター・テクノロジー研究所の学部長を13年間務めるなど、様々な学術職や行政職を歴任した。また、その間にアメリカ合衆国カリフォルニア州のアズサ・パシフィック大学で組織指導論の修士号を取得した。

政治における経歴

発言

脚注

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