ブレーズ・コンパオレ

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ブレーズ・コンパオレ
Blaise Compaoré


任期 1987年10月15日 2014年10月31日
首相 ユスフ・ウエドラオゴ英語版
ロック・マルク・クリスチャン・カボレ
カドレ・デジレ・ウエドラオゴ英語版
パラマンガ・アーネスト・ヨンリ英語版
テルティウス・ゾンゴ英語版
リュック=アドルフ・ティアオ

任期 2011年4月22日 2014年10月31日
内閣 ティアオ内閣フランス語版

任期 1998年6月8日 1999年7月12日
事務総長 サリム・アフマド・サリム英語版

任期 1990年 1991年
2007年1月19日2008年12月19日
事務局長 ランサナ・クヤテ英語版
モハメド・イブン・チャンバス英語版

出生 (1951-02-03) 1951年2月3日(75歳)
フランスの旗 フランス領西アフリカ
フランスの旗 オートボルタ 中央大地地方ジニアレ市
政党 ブルキナファソ共産主義者同盟英語版
(1984年 - 1989年)
人民民主主義・労働運動推進機構英語版
(1989年 - 1996年)
民主進歩会議
(1996年 - )
受賞
配偶者 シャンタル・コンパオレ英語版
(1985年 - )
宗教 キリスト教カトリック
署名

ブレーズ・コンパオレフランス語: Blaise Compaoré, 1951年2月3日 - )は、ブルキナファソ政治家。同国の大統領を27年間務めた。同国の政党民主進歩会議(CDP)の創設者でもある。

ブルキナファソ初代大統領のトーマス・サンカラと親交が深かったが、1983年以降の社会主義政権発足につれサンカラとの亀裂を生む。1987年にコンパオレはクーデターを起こして全権を掌握。サンカラを殺害し、その後「矯正」政策と呼ばれる政策を実施。サンカラが生んだ欧米諸国との亀裂の修復や、非同盟政策を取りやめた。また、鉱山を含む国営企業民営化を促進するなど、ブルキナファソ経済の一部で新自由主義を実践した。

コンパオレ時代の選挙は不正に溢れていたとして批判され、1991年1998年2005年2010年の選挙で再選を繰り返した[1][2]。この再選により、国民はコンパオレに失望。不安定な政権担当、イスラム過激派の台頭、汚職や腐敗による混乱、そして2014年に任期を延長するために憲法を改正しようとした彼の試みは、2014年のブルキナファソ反政府デモを引き起こした。10月31日にコンパオレは退任。コートジボワールに亡命した[3][4]

10月31日の政権終焉まで、コンパオレはブルキナファソで最も在任期間が長い大統領となった。

生い立ち

コンパオレは1951年に首都ワガドゥグーから34km離れたジニアレで生まれた。トーマス・サンカラ大統領の時代には法務大臣を務めた。サンカラと出会ったのは、1976年モロッコの軍事教育センターでのことになる。以来、サンカラとコンパオレは親しい間柄となった。その後、セイェ・ゼルボおよびジャン=バティスト・ウエドラオゴ英語版政権に対するクーデターで大きな役割を担った。1985年コートジボワール出身のシャンタル・テラソン・ド・フージェール英語版と結婚している。

クーデター

大統領

脚注

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