ハムダーン・ブン・ハムドゥーン

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ハムダーン・ブン・ハムドゥーン・ブン・アル=ハーリス・アッ=タグリビーアラビア語: حمدان بن حمدون بن الحارث التغلبي, ラテン文字転写: Ḥamdān b. Ḥamdūn b. al-Ḥārit̲h̲ al-Tag̲h̲libī, 生没年不詳)は、ジャズィーラを拠点としていたアラブ人部族であるタグリブ族英語版の指導者であり、10世紀にジャズィーラとシリア北部を支配下に収めたハムダーン朝の開祖である。

ハムダーンは880年代にジャズィーラの他のアラブ人部族の指導者たちとともに同地方におけるアッバース朝の支配体制の再確立に向けた動きに抵抗し、ハワーリジュ派の反乱英語版に加わった。その後、895年にアッバース朝のカリフムウタディドに敗れて捕らえられたが、後に息子のフサインがアッバース朝において顕著な功績を立てたことから、その褒賞として赦免された。フサインを始めとするハムダーンの子孫たちはジャズィーラを中心として徐々に支配権を確立し、ハムダーン朝の発展の基礎を築いた。

ハムダーンの一族はアラブ人部族のタグリブ族英語版に属しており、そのタグリブ族は7世紀のイスラーム教徒による征服活動英語版が起こる以前からジャズィーラメソポタミア北部)に定着していた。タグリブ族は特にモースル一帯で勢力を誇り、861年から870年にかけて続いたサーマッラーの政治混乱英語版として知られる時期に地域内における支配的地位を確立した。この混乱期にタグリブ族の指導者たちはアッバース朝の中央政府の権威の崩壊に乗じて自立を強く主張した[1]。ハムダーン自身は868年に初めて史料に登場し、他のタグリブ族の人々とともにジャズィーラのハワーリジュ派の反乱勢力英語版と戦った[2]

しかしながら、アッバース朝政府は支配権の回復を図るためにモースルの総督を代々務めていたタグリブ族の首長に代わり、879年にトルコ人の将軍のイスハーク・ブン・クンダージュ英語版を新たな総督に任命した。その結果、ハワーリジュ派の反乱勢力への(ハムダーンを含む)タグリブ族の指導者たちの離反を引き起こした[2][3]。ハムダーンは881年の4月から5月にかけてイスハーク・ブン・クンダージュが反乱軍に大勝を収め、敗走した反乱軍をニシビス英語版アーミドまで追撃した出来事において、ハワーリジュ派の異名である「アッ=シャーリー」(al-Shari)の呼び名とともにハワーリジュ派とアラブ人部族の指導者の一人として言及されており、当時のハムダーンが反乱軍における著名な指導者となっていたことが窺える[2][4]

中世のジャズィーラ(赤色部分)と主要都市の位置を示した地図。現代の国境線も示されている。

892年に新たなカリフであるムウタディドが即位し、そのムウタディドはジャズィーラに対するアッバース朝の支配権の回復を目指した。一連の軍事作戦によってムウタスィムはほとんどの現地の支配者を服従させることに成功したが、ハムダーンは粘り強い抵抗をみせた。マルディンとアルダムシュト(現代のジズレの近郊)の要塞を掌握し、ジャズィーラの平原地帯の北部に位置する山岳地帯に居住していたクルド人部族と同盟を結んだハムダーンは、895年まで抵抗を続けていた。しかしながら、この年にムウタディドはまずマルディンを制圧し、続いてアルダムシュトを陥落させた。結局、同地はハムダーンの息子のフサインによって明け渡された。ハムダーンはカリフの軍隊の前から逃れたが、「壮絶な追跡劇」(歴史家のヒュー・ナイジェル・ケネディ英語版による表現)の末についに抵抗を諦めてモースルで降伏し、投獄された[2][3]

ケネディが指摘するように、「この降伏は地域内の他の現地指導者たちにとってそうであったように、一族の運命の終わりを意味するかに見えた」が、ハムダーンの息子のフサインは一族の運命をどうにか守り抜いた。フサインはカリフに仕えるようになり、ハワーリジュ派の反乱の鎮圧とその指導者であるハールーン・アッ=シャーリーの捕縛に貢献した。この貢献に感謝したムウタディドはフサインへの褒賞として父親のハムダーンを赦免し、タグリブ族の騎兵隊を自ら編成して指揮する権限を与えた。フサインはその後の数年にわたり自身の騎兵隊とともに数度の遠征を率い、アッバース朝における最も著名な将軍の一人となった。ケネディの言葉を借りるならば、フサインの影響力は「政府とジャズィーラにおけるアラブ人とクルド人の間の仲介役」になることを可能にし、それによって一族の同地域における支配力を確固なものとしただけでなく、ハムダーンの孫のナースィル・アッ=ダウラサイフ・アッ=ダウラの下でハムダーン朝が権力の座を獲得する基盤を築くことになった[2][5]

系図

脚注

参考文献

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