パンクーク夫人の肖像
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| フランス語: Le Portrait de madame Panckoucke 英語: The Portrait of Madame Panckoucke | |
| 作者 | ジャン=オーギュスト・ドミニク・アングル |
|---|---|
| 製作年 | 1811年 |
| 種類 | 油彩、キャンバス |
| 寸法 | 93 cm × 68 cm (37 in × 27 in) |
| 所蔵 | ルーヴル美術館、パリ |
『パンクーク夫人の肖像』(パンクークふじんのしょうぞう、仏: Le Portrait de madame Panckoucke, 英: The Portrait of Madame Panckoucke)は、フランス新古典主義の巨匠ドミニク・アングルが1811年に制作した絵画である。油彩。エドメ・ボシェ(Edmé Bochet)の妹で、アンリ=フィリップ=ジョゼフ・パンクーク(Henry-Philippe-Joseph Panckoucke)と結婚したセシル・パンクーク(Cécile Panckoucke)を描いている。現在はパリのルーヴル美術館に所蔵されている[1][2][3][4]。
セシル・パンクーク(旧姓ボシェ)は、土地登記の管理者である父エドメ・フェルマン・ボシェ(Edme Firmin Bochet)とその妻フランソワーズ・フィリピーナ・ド・ベリエ(Françoise Filipina de Bellier)の娘の1人であった。また肖像画家、風景画家であり、マリー・アントワネット王妃の画家でもあった画家ジャン・フランソワ・マリー・ベリエ(Jean Francois Marie Bellier, 1745年-1836年)の姪でもあった。1805年にアンリ・パンクークと結婚。夫は著名な出版者であったパンクーク家の出身である。夫人はローマ滞在中、ボシェ家と親戚関係にあったシャルル・マルコット・ダルジャントゥイユを通じてアングルと出会い、1811年にアングルに肖像画を依頼した[5]。現在はバイヨンヌのボナ美術館所蔵のグラファイトで描かれた彼女の肖像画も描かれた。1812年に未亡人となり、フランスに帰国して1816年にフィリップ・モランド=フォルジョ男爵(barone Philippe Morande-Forgeot)と再婚した[6]。男爵はアングルの友人となり、1856年に描いたセシル=マリー・パンクーク(Cécile-Marie Panckoucke)のグラファイトの肖像画を「あなたの最愛のアングル、フォルジョ氏へ」と献呈した。アングル自身は友人で後援者でもあったシャルル・マルコット・ダルジャントゥイユを通じて2番目の妻デルフィーヌ・ラメル(Delphine Ramel)と知り合った。
- ボシェ家の関係図
| エドメ・フェルマン・ボシェ | フランソワーズ・フィリピーナ・ド・ベリエ | ジャン・フランソワ・マリー・ベリエ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| エドメ・ボシェ | ジャン=バティスト=ジョゼフ=ドミニク・ラメル | マリー・アンヌ・フィリッピーネ・デルフィーヌ・ボシェ | フィリップ・モランド=フォルジョ男爵 | セシル・ボシェ | アンリ=フィリップ=ジョゼフ・パンクーク | シャルル・マルコット・ダルジャントゥイユ | フィリップ・マルコット・ド・キヴィエール | フェリシテ・アントワネット・ナタリー・ボシェ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| マドレーヌ・シャペル | ドミニク・アングル | デルフィーヌ・ラメル | アンリ・パンクーク | マリー・ジョゼフィーヌ・ マルコット・ド・キヴィエール | ルイ・マルコット・ド・キヴィエール | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| セシル=マリー・パンクーク | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
作品

アングルは鑑賞者を見つめながら立つパンクーク夫人を描いた。アングルは背景を室内風景ではなく抽象的な黒い背景を選択した[2]。当時の夫人は24歳で[2]、彼女の膨らんだ腹部は彼女が妊娠していることを示唆する[12]。このフランス人画家による他の女性肖像画と同様に、衣服と宝飾品は細部まで精巧に仕上げられている。
夫人は襟ぐりの深い白いサテンのエンパイアラインをまとい[2][6]、赤い宝石珊瑚のイヤリングと、ネックレス、ブレスレットを身に着けている。夫人の両手の装いはアンシンメトリカルで、右手には淡いレモン色の手袋をはめており、左腕にはピンクと白の縞模様のショールを掛けている。このショールは『リヴィエール夫人の肖像』(Portrait de Madame Rivière)や『ドヴォーセ夫人の肖像』(Portrait de madame Duvaucey)と同様に夫人の角ばった肘をさり気なく隠している。サテンの衣装や宝石は静かではあるが夫人の裕福さを主張しており、物思いにふけるように傾げられた顔の愛おしげな表情は、少女のような幼さが残る髪型も相まって、アングル特有の冷ややかさを湛えた女性像とは異なるあどけなさを示している[2]。
アングルが使用した色彩の範囲は冷たく、画面全体を包む灰色の調子は弱いパステル調である。アングルはサテンの白色および限定的な宝石珊瑚の淡い赤色と同様の色調をショールで繰り返した。このショールのしわの動きはこの2つの色彩を混ぜ合わせるかのようである[2]。また前景の女性像を楕円形のリズムを用いて構成した。バラ色に染まった夫人の頬のなだらかな楕円形の線は、赤い宝石珊瑚のネックレスによって繰り返された。さらにこの線は肩や胸、袖口、ブレスレットへと展開されたのち、アンシンメトリカルな装いで組み合わされた両腕によってまとめ上げた。この流れの中で楕円形の線はひとつになって最終的に両手の10本の指となり、暗く凝縮された空間の中に蠢動のごとき動きを見せる。このようにして前景の動きを後景へと華麗に転換している[2]。
来歴
肖像画は1814年のサロンに『エドメ・ボシェの肖像』および『シャルル・マルコット・ダルジャントゥイユの肖像』とともに出品された。アングルは同年7月7日、シャルル・マルコット・ダルジャントゥイユに次のような手紙を書いた。パンクーク夫人の肖像画は夫人の子孫に長年にわたって保管されていたが、1921年に美術商のジョルジュ・ヴィルデンシュタインに売却された。その後、肖像画は実業家・美術収集家のカルロス・デ・ベイステギによって購入された。ベイステギは1931年に画家イグナシオ・スロアガに肖像画を依頼した際、『パンクーク夫人の肖像』の前に座った自身の姿を描いてもらった。1942年、カルロス・デ・ベイステギはルーヴル美術館に用益健付きで寄贈した際に『パンクーク夫人の肖像』だけでなく自身の肖像画も遺贈した。1953年、両作品は正式にルーヴル美術館に収蔵された[3]。ベイステギの遺志は尊重され、両肖像画はルーヴル美術館で並んで展示されている。