ナポリの眠る女

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『ナポリの眠る女』
フランス語: La Dormeuse de Naples
英語: The Sleeper of Naples
作者ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル
製作年1809年
種類油彩キャンバス
所蔵所在不明

ナポリの眠る女[1](ナポリのねむるおんな、: La Dormeuse de Naples, : The Sleeper of Naples)は、フランス新古典主義の巨匠ドミニク・アングルが1809年に制作した絵画である。油彩。かつてナポリ王国国王ジョアシャン・ミュラによって所有された絵画で、アングルがローマフランス・アカデミーに在籍していた1807年頃に構想され、ローマ留学の成果として提出する作品の1つとして制作された。この作品は数年後の1814年にカロリーヌ・ミュラ王妃の依頼で制作された『グランド・オダリスク』(La Grande Odalisque)と同じサイズであり、対作品を形成した[2][3]。しかし『ナポリの眠る女』は1815年にナポリ王宮が略奪された後に行方不明となった[2]。現在ではアングルがカロリーヌ宛の手紙の裏面に記憶に基づいて描いた素描、作品の全体像を示唆する習作を撮影した古い写真によってのみ知られている。この消失の謎は所在をめぐって様々な憶測を呼び、美術評論家アドリアン・ゲッツ英語版による2004年の小説『ナポリの眠る女』(La Dormeuse de Naples)の着想源となった。

図像的源泉

対作品『グランド・オダリスク』。本作品に対して裸婦は背中を見せて横たわる。1814年。ルーヴル美術館所蔵[4]

『ナポリの眠る女』は現在所在不明となっており、その姿を伝えるものとして、アングルが1832年にカロリーヌ・ミュラに宛てた手紙の裏面に描かれた簡単な素描、古い写真に撮影された油彩習作が知られている。

アングルは1832年にカロリーヌ・ミュラに宛てた手紙の中で絵画の解説を記しており、その裏面には記憶に基づいた簡単な素描を描き添えている。この手紙は現在パリを中心とするフランス国立図書館に所蔵されている[5]。アングルの解説によると、絵画は深紅のカーテンがかかった寝椅子の上で寝そべっている等身大の裸婦であった[5]。女性は頭の下にクッションと左腕を置き、右腕を曲げて頭の上に置いたポーズをとっていた[6]

油彩習作を撮影したものとして知られる古い写真は、アングルの伝記作家として知られるアンリ・ラポーズフランス語版が1911年に出版した著書に掲載されたものである。アングルが手紙に描いた素描とは手足のポーズが多少異なっている。アングル・ブールデル美術館に所蔵されている準備素描は以前は『ナポリの眠る女』のものと考えられていたが、現在は1839年と1842年の『奴隷のいるオダリスク』(L'Odalisque à l'esclave)の制作過程で描かれたと考えられている[7][8]

初期の作品『玉座のナポレオン』(Napoléon Ier sur le trône impérial)、『ユピテルとテティス』( Jupiter et Thétis)、『敗者アクロンの武具をユピテル神殿に運ぶロムルス』(Romulus, vainqueur d'Acron, porte les dépouilles Opimes au temple de Jupiter)などと同様に、アングルは古典彫刻やルネサンス絵画からインスピレーションを得ている。『ナポリの眠る女』の基本的なモデルは、古典絵画におけるほとんど全ての裸婦の横臥像と同様に、ヴァチカン美術館所蔵の古代彫刻『眠れるアリアドネ』のポーズから借用された[1]。ルネサンス絵画からは、ジョルジョーネの『眠れるヴィーナス』やティツィアーノ・ヴェチェッリオの『パルドのヴィーナス』からインスピレーションを得た。特にアングルは前者の作品が版画として普及しているのを目にしていた[6]。これらの作品のポーズと造形はアングルの絵画に最も深く影響を与えた[9]。さらにウフィツィ美術館で研究した『ウルビーノのヴィーナス』にも触発された。この作品については1822年に模写を制作している[9]

派生作品

『ナポリの眠る女』に始まる横臥して眠る裸婦像のポーズはアングルが長年にわたって追求したモチーフの1つである。これは古い写真に撮影された油彩習作や、おなじくロンドンヴィクトリア&アルバート美術館に所蔵されている他の作品の習作とされる油彩画『眠るオダリスク』(Odalisque dormant)からも窺える。これらの習作に描かれた裸婦のポーズはアングルが手紙で説明したものとは若干異なっており、部分的に異なる様々なポーズを模索していたことが分かる。さらにアングルは後に1839年と1842年の『奴隷のいるオダリスク』や[1][7][8]、1851年の『ユピテルとアンティオペ』(Jupiter et Antiope)で『ナポリの眠る女』の構図を使用した。

来歴

絵画は1809年10月28日以降に完成すると、11月にフランス当局がローマのカンピドリオで開催した展覧会において『眠る裸婦』(Donna nuda che dorme)のタイトルで展示され[3]、同年のうちに当時ナポリ国王であったジョアシャン・ミュラによって購入された[3][6]。購入価格はルイドール金貨英語版50枚であり[6]、購入された絵画は王宮の小さな部屋に飾られた[15]。さらにカロリーヌ・ミュラは本作品の対となる『グランド・オダリスク』をアングルに依頼した[2][3]。しかしミュラが失脚し、王宮が略奪された後に所在不明となった[2][6]。1832年、アングルはカロリーヌ・ミュラに手紙を書き、1833年のサロンに出品するために絵画の貸し出しを要請したが認められなかった[15]

ギャラリー

脚注

参考文献

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