ピーター・フィンチ
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| ピーター・フィンチ Peter Finch | |||||||||||||||||||||||||
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| 本名 | Frederick George Peter Ingle-Finch | ||||||||||||||||||||||||
| 生年月日 | 1916年9月28日 | ||||||||||||||||||||||||
| 没年月日 | 1977年1月14日(60歳没) | ||||||||||||||||||||||||
| 出生地 | ロンドン | ||||||||||||||||||||||||
| 国籍 |
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| 配偶者 |
Tamara Tchinarova (1943-1959) Yolande Finch (1959-1965) Eletha Finch (1973-1977) | ||||||||||||||||||||||||
| 主な作品 | |||||||||||||||||||||||||
| 『ネットワーク』 | |||||||||||||||||||||||||
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ロンドンで生まれ、フランス、インド、オーストラリア(両親の出身地)で育った。本名Frederick George Peter Ingle-Finch。
ラジオや舞台に出演した後、1938年に『Dad and Dave Come to Town』で映画デビューしたものの、ローレンス・オリヴィエの目にとまりしばらく舞台での活躍が続く。この時期に、当時オリヴィエの妻であったヴィヴィアン・リーと不倫関係になったこともあった[1]。1940年代後半より再び映画出演に重きを置くようになり、1950年にハリウッド・デビュー。1971年の映画『日曜日は別れの時』で、同性愛のユダヤ人の開業医を演じアカデミー主演男優賞にノミネートされた。
1976年の映画『ネットワーク』では、ニュース番組放送中に拳銃自殺を予告したのを皮切りに、徐々に狂気に蝕まれていくキャスターを演じ、アカデミー主演男優賞にノミネートされるが、その直後に急性心不全で急逝。アカデミー賞演技部門史上初の死後受賞となった。
授賞式では、脚本家のパティ・チャイエフスキーが代理としてオスカーを最初に受け取ったが、パティは壇上で、「この賞を正式の受け取れるのは、妻のエレザしかいない。エレザ、壇上に来て賞を受け取ってくれ」と発言したため、改めてエレザが登壇し、賞を受け取った。演技部門ではヒース・レジャーが2009年に助演男優賞を受賞するまでの32年間、主演男優賞としては2021年現在も唯一の死後受賞である。
父親は登山家であるジョージ・フィンチ。