ファウスト・グレシーニ
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| ファウスト・グレシーニ | |
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1992年日本GPにて | |
| グランプリでの経歴 | |
| 国籍 |
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| 活動期間 | 1983年 - 1994年 |
| チーム | ガレリ、ホンダほか |
| レース数 | 132 |
| チャンピオン | 125cc - 1985年、1987年 |
| 優勝回数 | 21 |
| 表彰台回数 | 47 |
| 通算獲得ポイント | 1093 |
| ポールポジション回数 | 17 |
| ファステストラップ回数 | 13 |
| 初グランプリ | 1983年 125cc ネイションズGP |
| 初勝利 | 1984年 125cc スウェーデンGP |
| 最終勝利 | 1992年 125cc イギリスGP |
| 最終グランプリ | 1994年 125cc ヨーロッパGP |
ファウスト・グレシーニ(Fausto Gresini, 1961年1月23日 - 2021年2月23日)は、イタリア・イモラ出身の元モーターサイクル・ロードレースライダー。1985年と1987年のロードレース世界選手権125ccクラスチャンピオン。MotoGPクラスに参戦するグレシーニ・レーシングを運営していた。
1978年、17歳の時にミナレリの50ccマシンでレースを始める。1983年にはMBAチームからロードレース世界選手権125ccクラスにデビューを果たした。
グレシーニは1994年までの12年間125ccクラスに参戦し、1985年と1987年の2度世界チャンピオンに輝いた。特に1987年は開幕から10連勝 (125ccクラス最多記録) という圧倒的な強さを見せ、最終戦ハラマに勝てばシリーズ全勝だったが、そのレースではクラッシュしてしまった。また1986年から1987年にかけては11連勝を達成しており、これはアンヘル・ニエトと並ぶ史上最多タイ記録である。
引退後は自らがオーナーのチーム「グレシーニ・レーシング」を設立し、ロードレース世界選手権に参戦していた。2001年には加藤大治郎が同チームで250ccクラスのワールドチャンピオンを獲得するなどホンダの有力サテライトチームを運営していたが、2015年以降はアプリリアにマシンを切り替えていた。
2020年12月末、新型コロナウイルスに感染し27日にはイタリア・イモラの病院に入院。年末にはボローニャの新型コロナウイルス専門病棟に移され、医学的に昏睡状態に置かれ人工呼吸器を繋がれた状態となった。 2021年1月初旬に改善の兆しを見せ一時は昏睡からも目覚めていたものの、同月下旬に肺炎の影響が深刻な状態となり、2021年2月23日朝、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)による肺炎のため、死去した[1]。60歳没。