フランス革命の年表
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革命以前
アメリカ独立戦争支援の赤字
- 1786年8月20日 : カロンヌ、国王に財政改革案を提出[1]。


貴族の革命
1788年




- 1月4日:パリ高等法院、個人の自由は自然権であると宣言。
- 2月9日:「黒人友の会」[2]設立
- 5月3日:パリ高等法院、「王国基本法の宣言」を発表。
- 5月8日:ラモワニョンの司法改革(高等法院から立法権と司法権を剥奪)[注 3]
- 6月7日 : グルノーブルの
屋根瓦の日 ()[3][注 1] - 7月21日 : ヴィジル決議。ドーフィネ州ヴィジル[4]で国王無許可の地方三部会召集[注 4]
- 8月8日 : ルイ16世とブリエンヌ、よく1789年5月1日に三部会の召集を布告[注 5]
- 8月24日:ブリエンヌ罷免
- 8月26日 : ネッケル、再び財務長官(兼大臣)に就任
- 9月17日:ラモワニョン罷免
- 9月21日:パリといくつかの地方の高等法院は全国三部会が1614年の方式によることを要求。
- 11月6日:第二回名士会召集。全国三部会の方式を審議するためだったが、何も決められないまま12月12日に散会。
- 12月27日:枢密院[注 6]が全国三部会の第三身分の定数倍増を承認。ただし投票を1人1票とするか否かについては態度を表明せず。
革命勃発
全国三部会の始まり
1789年
- 1月24日:全国三部会の選挙規定が公表される。
- 1月26日:ブリュターニュ地方のレンヌとナントで民衆争乱が発生する。(~27日)。
- 2月~:全国三部会の選挙が行われる。全国で食糧不足に起因する騒乱が生じる(~4月)。
- 4月26日:レヴェイヨン事件[注 7]
- 5月5日 : 175年ぶりにヴェルサイユで全国三部会が開会
- 5月6日:第三身分議員は「庶民院」を名乗る。議員の資格審査をめぐって、特権身分と対立
- 6月17日 : 第三身分部会による国民議会の宣言
- 6月19日:聖職者議員は国民議会への合流を決める。貴族身分は変革を拒否し続ける
- 6月20日:ルイ16世は国民議会の議場を閉鎖。球戯場の誓い(テニスコートの誓い)が起きる[注 2]
- 6月23日:国王臨席会議、国民議会の無効を宣言。第三身分議員は国王命令に従って解散することを拒否
- 6月25日:第一身分(聖職者)の大半が国民議会と合流
- 6月26日:第二身分(貴族)の一部が国民議会と合流
- 6月27日 : ルイ16世、第一・第二身分に国民議会への合流を勧告
- 7月9日 : 国民議会、憲法制定国民議会(立憲議会)を名乗る
- 7月11日 : ネッケル罷免。ルイ16世、軍隊のパリへの集結命令
バスティーユ襲撃



- 7月14日:バスティーユ牢獄が襲撃される
- 7月15日 : 議会は代表をパリ市に派遣。前日の事件を容認することを示唆
- 7月16日 : 立憲議会の要求を受け入れてネッケルが呼び戻し。バイイがパリ市長となる。
- 7月中旬〜8月:
大恐怖 ()始まる[注 8] - 7月17日
- 7月22日:パリでベルチエ・ド・ソヴィニとフーロンが民衆によって虐殺される
- 8月4日 :議会は 封建的特権の(有償)廃止を決議[注 9](正式な法となるのは同月11日)。
- 8月26日:議会は「人間と市民の権利の宣言(フランス人権宣言)」を採択
- 8月29日:議会が穀物取引の自由を法令化する
- 9月10日:議会は二院制案を否決
- 9月11日:立憲議会、国王の停止的拒否権を議決
- 10月1日:ヴェルサイユでのフランドル連隊歓迎の宴席でマリー・アントワネットらが三色帽章を踏みにじる
- 10月5日:パリ民衆層の女性たちがパンを求めてヴェルサイユ行進(十月行進)を行い、代表がルイ16世に接見
- 10月6日 : 前日からヴェルサイユに残ったデモ隊の要求により、国王一家はパリに移動する
- 10月10日:ルイ16世の呼称が「フランスの王」から「フランス人の王」になる
- 10月19日 : 国王を追って議会もパリへ移動する。室内馬術練習場を新議場に。同日、「憲法友の会」が設立される
- 10月21日:パリのパン屋フランソワが民衆に虐殺され、パリ市に戒厳令が発令される
- 11月2日 :議会は、聖職者の財産は国民に委ねられることを決定
- 11月11日:議会は、全国を県(ディストリクト)・郡(カントン)・市町村(コミューン)に区分することを決定(~11月12日、実施は12月22日)
- 11月29日:ヴァランス郊外のエトワールで最初の大規模な地方連盟際が挙行される
- 12月19日:国有化した教会財産の売却とアッシニアの発行が決定される(~12月21日)
- 12月24日:プロテスタントと俳優に対し、すべての公職に就く権利が認められる
憲法と議会
1790年


- 1月15日:フランスに83の県が創設されることを決定
- 1月28日:南フランスのユダヤ人に市民権が認められる
- 2月13日:議会は修道宣誓の禁止と修道院の廃止(教育・福祉施設を除く)を布告
- 3月4日:長子相続制が廃止される
- 4月27日:パリにコルドリエ・クラブが設立
- 4月~6月:南仏のニームとモントバンでカトリックとプロテスタントの衝突が生じる。4月20日と6月13~15日にはニームで、5月10日にはモントバンで武力衝突となる
- 5月12日 :穏和派議員の1789年協会ができる
- 5月21日:パリにある60のディストリクトが48のセクションに替わる
- 6月19日:世襲貴族制が廃止される
- 7月12日:聖職者民事基本法を採択
- 7月14日 :パリの シャン・ド・マルスで第一回全国連盟祭[5](革命一周年式典)
- 8月31日:ナンシー事件
- 9月3日:ネッケルが辞任し、スイスのコッペに亡命
- 9月28日 : アッシニアが無利子の紙幣となる
- 10月28日:メルラン=ド=ドゥエが議会で、アルザスは住民が望むが故にフランス領と演説
- 10月31日 : 国内関税が廃止される
- 11月27日:議会は聖職者に、聖職者市民化法への宣誓を求める
- 12月26日:ルイ16世は11月27日の法令を裁可し、聖職者に宣誓を厳命する
1791年




- 2月2日:聖職者市民化法を受け入れる立憲派司教の選挙が始まる
- 3月2日:アラルド法(商業の自由・
同業者組合 ()禁止) - 3月10日:ピウス6世、聖職者民事基本法を批判して改めて人権宣言を攻撃(反革命)
- 4月2日:ミラボー死去
- 4月18日:国王一家が復活祭をサン=クルーで過ごそうとするが、パリ市民に出発を止められる
- 6月14日:ル・シャプリエ法(労働者団結禁止法)が可決
- 6月20日〜25日 : ヴァレンヌ事件[注 10]
- 7月5日:レオポルド2世、パドヴァ回状を発す
- 7月15日:コルドリエ・クラブが共和制を求める請願書を提出
- 7月16日:ジャコバン・クラブは共和制をめぐって分裂し、穏和派はフイヤン・クラブを設立
- 7月17日 : シャン・ド・マルスの虐殺[注 11]
- 8月22日:サン=ドマング(現在のハイチ)で大規模な奴隷反乱が発生[注 12]
- 8月27日:ピルニッツ宣言[注 13]
- 9月3日 :議会が 1791年憲法の制定。立憲君主制への移行始まる
- 9月13日 : 国王が新憲法に宣誓
- 9月14日:アヴィニョンとヴナスク伯爵領がフランスに併合される
- 9月27日:フランス国内のすべてのユダヤ人に市民権が認められる
- 9月30日 : 憲法制定国民議会が解散
- 10月1日 : 立法議会の召集
- 10月20日:ブリソは議会で、亡命貴族を支援する列強に対し戦争を主張する
- 12月12日:ロベスピエールがジャコバン・クラブで戦争反対の演説をする(同月18日も同様)
祖国は危機にあり
1792年

- 1月5日:バルナーヴは故郷ドフィーネに引退
- 1月20日 : パリで砂糖・コーヒーなどの食糧不足に起因する騒乱が発生。2月には地方に波及
- 2月9日:亡命者財産没収令
- 3月3日:エタンプ事件。民衆が要求する価格公定を拒否した市長シモノーが殺害される
- 3月15日 : ルイ16世はフイヤン派の内閣を罷免し、ジロンド派の内閣を組織する(~3月24日)
- 4月15日:ナンシー事件を起こしたシャトーヴュー連隊のスイス兵の釈放を祝う祭典がパリで開かれる
- 4月20日 : 立法議会、オーストリア[注 14]に対し宣戦布告(フランス革命戦争の開戦)
- 4月25日 : パリでギロチンが初めて用いられる。同日、ストラスプールでルージェ・ド・リールがライン方面軍軍歌(後の『ラ・マルセイエーズ』)を作曲する
- 4月29日:ベルギーに侵攻したフランス軍がオーストリア軍の反撃で退却する
- 5月27日:議会は、騒乱の原因とみなされた非宣誓聖職者の国外追放を命じる法令を採択
- 6月3日:殺害されたエタンプ市長シモノーを顕彰する「法の祭典」が開催される
- 6月8日:議会は、2万人の連盟兵を徴募し、パリ周辺に駐在させることを決定
- 6月11日:ルイ16世は、5月27日及び6月8日の法令に拒否権を発動する
- 6月12日:ルイ16世ジロンド派の大臣を罷免、翌日フイヤン派の人物を大臣にする
- 6月20日 : ルイ16世の拒否権発動に抗議するパリ民衆がテュイルリー宮殿に乱入。王は譲歩せず
- 6月27日:ラファイエットが中部方面軍を離れてパリに戻る。ジャコバン派に対するクーデターを計画するが、結局何もできず、同月30日には中部方面軍に帰還
- 7月11日:オーストリア・プロイセン軍の攻勢に対し、立法議会は「祖国は危機にあり」の宣言(義勇兵の呼びかけ)
- 7月25日 : 同盟軍司令官ブラウンシュヴァイク公が声明(ブラウンシュヴァイクの宣言)[注 15]
- 7月27日:亡命貴族の財産を国有財産として売却する旨の法令が採択される
- 8月9日:パリに蜂起コミューンが作られ、実質的にパリ市政を担う(~1794年7月29日)
共和国の樹立
国内外の騒乱





- 8月10日:8月10日事件 (テュイルリー宮殿襲撃)[注 16]
- 8月12日:パリのコミューンは各県に代表委員を派遣することを決定
- 8月13日:国王一家をタンプル塔に幽閉
- 8月17日:反革命罪を裁くための特別刑事裁判所がパリに設置される
- 8月19日:ラファイエット、軍を捨てて亡命
- 8月23日:プロイセン軍がロンウィを陥落させる
- 8月30日:プロイセン軍がヴェルダンを攻略。立法議会はパリのコミューンを非合法とする
- 8月31日:パリのコミューンは解散を拒否。議会の無力、議会とパリ市当局の対立が明白になる
- 9月2日:ヴェルダンが降伏、 九月虐殺[注 17](~9月5日)
- 9月20日:ヴァルミーの戦い(革命フランス軍が初勝利)、立法議会は最後の審議で戸籍の世俗化と離婚を承認
- 9月21日 : 国民公会は初日の審議で君主制の廃止を決議(フランス第一共和政成立)。フランス軍はサヴォワに進軍
- 9月22日:公文書の日付には「フランス共和国1年」と記すことが定められる
- 10月7日:オーストリア軍がリールの包囲を解き、ベルギーに退却
- 10月19日:プロイセン軍がロンウィから退却。フランス全土が解放される
- 10月27日:デュムリエ将軍の軍がベルギーに進出
- 11月6日:フランス軍がジェマップの戦いに勝利。オーストリアはベルギーから撤退
- 11月7日:議員マーユが国王裁判の予備報告を提出。国民公会はルイ16世を裁判し得るとする
- 11月13日:国王裁判が始まる
- 11月27日:フランスはサヴォワを併合
- 12月2日:フランス軍はドイツで反攻を受け、フランクフルトから撤退
- 12月11日:ルイ16世が初めて国民公会での裁判に出席、議員バレールの尋問を受ける
1793年


- 1月15日 : ルイ16世に対する判決の評決が始まる(~1月20日)
- 1月20日:ルイ16世の執行猶予をともなわない死刑が確定。ルペルティエが暗殺される
- 1月21日 : ルイ16世処刑
- 1月31日:ニースを併合
- 2月1日 : フランスはイギリスとオランダに宣戦布告
- 2月15日 : コンドルセが憲法草案(=ジロンド派憲法案)を国民公会に提出
- 2月17日:デュムリエ率いるフランス軍がオランダに進入
- 2月21日:正規軍と志願兵部隊を統合するアマルガム法が成立
- 2月24日:30万人募兵令(国民軍・強制募兵制度[注 18])が国民公会で評決される
- 3月3日 : ベルギーでオーストリア軍の反攻が始まり、翌日フランス軍はアーヘンから撤退
- 3月7日 : 国民公会、スペインに宣戦布告
- 3月10日
- 3月14日:ショレがヴァンデー軍の手に落ちる
- 3月18日
- ネールウィンデンの戦い[6](ベルギーでフランス軍大敗)
- 国民公会は土地均分法の提案など所有権の転覆を企てる者を死刑とすることを決定
- 3月21日:国民公会が、全国に革命監視委員会を設置することを決定
- 4月4日:デュムリエの裏切り[注 20]
- 4月6日 : 公安委員会(第1期)の成立(臨時行政機関)
- 4月9日:軍隊への派遣議員制度が定められる
- 4月11日:国民公会はアッシニア紙幣の強制流通を決定
- 4月13日:国民公会はジロンド派の主導によりマラーの告発を決定。マラーは地下潜伏中で逮捕されず、4月23日に自首するが、翌日に革命裁判所で無罪放免となる
- 5月4日 :国民公会はパリ民衆の要求に譲歩して、 穀物の最高価格令を決定
- 5月18日:国民公会はパリ市の監視のため、ジロンド派主導の十二人委員会[7]を設置
- 5月20日:国民公会は富裕な市民への総額10億リーブルの強制公債の割り当てを決める
- 5月24日:12人委員会はパリ民衆運動のリーダーであるエベールとヴァルレの逮捕を命じる
- 5月29日:リヨンで反ジャコバン派が市政を掌握し、ジャコバン派リーダーのシャリエを逮捕
山岳派独裁
革命政府





- 5月31日:パリ国民衛兵が反ジロンド派的な政策を要求して国民公会を包囲
- 6月2日 : パリの国民衛兵と民衆が再び蜂起。国民公会はジロンド派議員29名の逮捕を決定
- 6月9日:ヴァンデ軍がソミュールを奪還
- 6月13日:マルセイユで連邦主義の反乱が生じる
- 6月14日:イギリス・オランダ・スペインが反フランスの同盟を締結
- 6月18日:ヴァンデ軍がアンジェを奪還
- 6月24日:1793年憲法と新たな人権宣言が議会で可決される
- 6月28日:ヴァンデ軍がナントを攻撃するが、翌日、共和国軍に撃退される
- 7月10日:公安委員会刷新、ダントンは委員からはずされる
- 7月12日 : トゥーロンで反革命の反乱
- 7月13日 : マラー暗殺
- 7月17日:リヨンでジャコバン派に近いシャリエが穏和派により処刑される
- 7月27日:ロベスピエールが辞任するガスパランの後任として、公安委員会に参加
- 7月28日:ヴァランシエンヌがイギリス・オーストリア連合軍に降伏
- 8月1日:国民公会は焦土作戦によりヴァンデ軍に過酷な弾圧を加えることを決定
- 8月10日:ルーヴル美術館開館
- 8月14日:カルノーとブリュール・ド・ラ・コート=ドールが公安委員会に加わる
- 8月23日 :国民公会は 総動員法を決定[注 21]
- 8月25日:共和国軍は連邦主義の反乱によって陥落していたマルセイユを奪回
- 8月27日 : トゥーロンの反革命陣営は町をイギリス軍に明け渡す
- 9月5日:パリの民衆が「恐怖政治を通常状態とする」ことを要求。国民公会が「革命軍」の創出を決定する。革命裁判所が拡充される
- 9月8日:フランス軍がオントスコートでイギリス軍を破る
- 9月17日:反革命容疑者法制定
- 9月29日 : 最高価格令(一般最高価格令)制定
- 10月5日:国民公会、グレゴリオ暦を廃止しフランス革命暦(共和暦)を採用
- 10月10日 : 革命政府宣言[注 22]
- 10月14日:ファーブル・デグランチーヌが「外国人の陰謀」事件を政府委員会に告発
- 10月16日:フランス軍がワッチーニでオーストリア軍に勝利。マリ=アントワネット処刑
- 10月17日:共和国軍がショレでヴァンデ軍に勝利。ヴァンデ軍はこの後、迷走状態になる
- 10月22日:食糧委員会が作られ、公安委員会の管轄下におかれる
- 10月24日:公安委員会は、非キリスト強化運動にともなう文化財の破壊を禁止する
- 10月31日 : パリでジロンド派議員21名が処刑
- 11月7日 : パリ大司教ゴベルが国民公会で「還俗」の儀式を行う。オルレアン公が処刑される
- 11月10日:ノートルダム聖堂で理性の祭典
- 11月16日:カリエと革命委員会がナントで最初の溺死刑を執行
- 11月17日:ダントン派のシャボ、バジルがインド会社清算に関する汚職事件で逮捕される
- 11月21日:ロベスピエールが国民公会で礼拝の自由に関する演説を行う
- 12月4日:革命政府の組織に関する法令(フリメール14日法)が国民公会で採択される
- 12月5日:デムーラン、『ヴィエイユ・コルドリエ』紙を創刊
- 12月6日:礼拝の自由を認める法令が国民公会で採択される
- 12月12日:ヴァンデ軍がルマンで壊滅的な敗北を喫する(~12月13日)
- 12月19日 : 共和国軍がナポレオンの活躍によりトゥーロンを奪還する。同日、初等教育に関する法令(ブキエ法)が採択される
- 12月23日:ヴァンデ軍の残党がサヴネで完敗。以後、反抗はゲリラ活動に拠るようになる
- 12月25日:ロベスピエールが「革命政府の諸原理に関する報告」を国民公会で行う
1794年
- 1月:テュロ将軍が地獄部隊を組織し、ヴァンデ弾圧に投入
- 1月23日 : トゥーロンで過酷な弾圧を行った派遣議員のバラスとフロレンがパリに召喚される
- 2月4日 : フランス領植民地における奴隷制を無償で廃止する法令が国民公会で採択される
- 2月5日:ロベスピエールが国民公会で「国民公会を導くべき政治的道徳の諸原理」について演説
- 2月26日 : ヴァントーズ法採択[注 23]
- 3月13日:エベール派が逮捕される、同月24日に処刑
- 3月30日:ダントン派が逮捕される、翌月5日に処刑
- 3月13日〜14日:エベール派一斉逮捕
- 4月1日 : 執行会議が廃止され、12の執行委員会がそれに替わる。同日、公安委員会に警察局が設置される
- 4月19日:派遣先で過酷な弾圧を行った議員21名がパリに召喚される
- 5月8日 : 地方の臨時裁判所のほとんどが廃止され、後に恐怖政治と呼ばれるものがパリに集中される
- 5月23日:ロベスピエール暗殺未遂事件が起きる。翌日にも同様の事件が生じる
- 6月1日:ウェッサン島沖の海戦を機に、アメリカからの食糧がフランスに到着
- 6月8日 : シャン・ド・マルスで最高存在の祭典、ロベスピエールが主催
- 6月10日 : プレリアル22日法制定(=大恐怖政治法)が国民公会で可決される
- 6月26日:フルーリュスの戦いでオーストリア軍に勝利。フランス国土が再び解放される
- 7月8日:フランス軍がブリュッセルに進出
- 7月13日:フランス軍がカイザースラウテルンを占領、プロイセン軍をライン川の東に追いやる
- 7月27日 : テルミドール9日のクーデター[注 24]でロベスピエール派が倒される。ロベスピエール派はパリ市役所に立てこもるが、28日未明に逮捕され、同日夕刻に処刑される
テルミドール反動
軍隊の台頭









- 7月29日:パリの蜂起コミューンが廃止される(1792年8月9日~)。政府委員会のメンバーは毎月4分の1ずつ改選されることが決まる
- 8月1日:プレリアル22日の法令が廃止される
- 8月29日:パリでミュスカダン(洒落者)など反革命派の若者が初めて示威活動を行う
- 8月31日:グレゴワールが国民公会でヴァンダリズムを批判する最初の演説を行う
- 9月17日:フランス軍がオランダに進出
- 10月29日:国民公会がいかなる宗派にも維持費用を支給しないことを決定
- 11月1日:オッシュ将軍が西部方面軍司令官となり、ヴァンデ軍との和平交渉にとりかかる
- 11月9日:パリの金ぴか青年団がジャコバン・クラブを襲撃
- 11月12日 : 上記の事件を受けて国民公会、ジャコバン・クラブの閉鎖を命じる
- 11月17日:国民公会はラカナルの報告に基づき、初等教育の再編を命じる
- 11月23日:国民公会は、ナントで虐殺を行った派遣議員カリエの告発を決める(~11月24日)
- 12日8日:国民公会は、追放されていたジロンド派議員の復帰を認める
- 12月16日 :カリエの処刑
- 12月24日 : 最高価格令を撤廃[注 25]
- 12月27日:国民公会は、公安委員会の委員だったバレール、コロー・デルボワ、ビヨー=ヴァレンヌ、保安委員会のヴァディエを恐怖政治の責任者として告発
1795年
- 1月19日:歌曲「民衆の目覚め」が初演され、以後ミュスカダンなど反革命派の青年の愛唱歌となる
- 1月19日:北部方面軍がアムステルダムに進入。オランダの愛国派は各地で革命委員会を結成する。オランダ州総督オラニエ大公はイギリスに亡命(~1月20日)
- 2月:いくつかの県で激しい白色テロが始まり、以後、各地で白色テロが起きる
- 2月3日:バタヴィア共和国が作られる。フランスの姉妹共和国対策の開始となる
- 2月8日:死後10年を経たない者のパンテオン入りが禁止され、マラーがパンテオンから出される
- 2月9日:トスカーナ大公フェルディナンド三世がフランスとの和平に調印する。対仏同盟解消の最初のきっかけとなる
- 2月17日:ラ・ジョネの和約が締結される。ヴァンデへの和平政策の始まりとなる
- 2月19日:人口5000人未満の市町村での革命委員会が廃止される
- 2月21日:宗教を国家と公共社会から切り離すことを決める法令が採択される
- 2月25日:ラカナルの報告に基づき、中央学校の設立が決まる
- 3月:アッシニア紙幣の価値が額面の10%以下に下落
- 4月1日 : パリのサン=キュロットが暴動を起こす(ジェルミナルの蜂起)。同日、国民公会はバレール、コロー・デルボワ、ビヨー=ヴァレンヌおよびヴァディエのギュイアンヌ流刑を決める
- 4月5日:バーゼルの和約。フランスとプロイセンがバーゼルの講和条約に調印(国民公会は同月14日に批准)。同時にプロイセンはフランス共和国を承認する
- 4月10日:テロリストの武装解除を命じる法令が施行され、白色テロが活性化する
- 5月2日:和平条約に調印していなかった最後のヴァンデの首領ストフレが条約に調印
- 5月6日:国民公会は1793年憲法を施行し得ないと認め、新憲法の準備に取りかかる
- 5月7日:革命裁判所の検事だったフーキエ=タンヴィル処刑
- 5月16日:ハーグ条約により、バタヴィア共和国が正式に成立
- 5月20日 :パリのサン=キュロットが蜂起( プレリアル蜂起[8])。パリの民衆蜂起はこれが最後
- 6月8日:ルイ16世の息子(王党派にはルイ17世)がタンプル塔で没。翌日、王弟プロヴァンス伯は亡命先のヴェローナでルイ18世を名乗る
- 6月10日:国民公会で、1793年5月31日以降に亡命した者の帰国を許す法令が採択される
- 6月17日:プレリアルの蜂起の際、蜂起した民衆に同情的だったことから死刑宣告を受けたジャコバン派議員6名が自殺をはかり、3名は死亡、残りの3名はギロチンで処刑される。彼らはプレリアルの殉教者と呼ばれる
- 6月23日:ボワシ・タングラが新憲法案を国民公会で発表
- 6月24日:ルイ18世がヴェローナ宣言を発する。王政復古の政策を示したものだが、基本的にはアンシャン・レジームへの復帰を基盤とする
- 6月25日:イギリス海軍の支援のもと、4000名の亡命貴族がブルターニュに上陸し、地元のシュアンと合流してキプロン要塞に立てこもる
- 7月:国民公会で新憲法案について議論され、シエイエスはこの草案に批判的。また、アッシニア紙幣の価値は額面の5%に下落する
- 7月21日:フランス共和国軍がキブロンで亡命貴族とシュアンに全面勝利
- 7月22日:バーゼルでフランスとスペインが講和条約に調印(第二次バーゼルの和約)
- 8月15日:新通貨単位フランを導入
- 8月18日:新憲法下での議員の3分の2は現職議員から選ばれることを定めた法令が決まる
- 8月22日 : 共和暦3年憲法(1795年憲法)の採択
- 8月29日:フランスはスウェーデンとの和平条約に調印
- 10月1日 : ベルギーを併合
- 10月5日 : ヴァンデミエール13日のクーデター。「3分の2法令」を不満とする王党派がパリで反乱。バラスはナポレオンを鎮圧に用いる
- 10月26日:国民公会が解散
- 10月31日:バラス、ラ=レヴェリエール、ルトゥルヌール、ルベル、シエイエスの5人が総裁に選出される。シエイエスは着任を断り、数日後にカルノーと交代
- 11月16日:旧ジャコバン派がパリにパンテオン・クラブを設立。バブーフが主な弁士
- 11月30日:バブーフの「護民官」紙に「平民宣言」が掲載される
- 12月5日:バブーフは逮捕を恐れて地下に潜伏
1796年
- 2月28日:パンテオン・クラブ閉鎖
- 3月10日:アッシニア廃止
- 3月18日:総裁政府、
地券 ()を発行[注 26] - 3月27日 : ボナパルト将軍、第一次イタリア遠征を開始
- 4月28日:ピエモンテとの間にケラスコ休戦条約
- 5月10日:バブーフの陰謀(平等主義者の陰謀)が発覚[注 27]
- 5月15日:ピエモンテと和平条約
- 6月23日:教皇ピウス6世とモデナ、ボナパルトと休戦条約
- 6月29日:トランスパダーナ共和国成立
- 7月:オッシュ将軍、ヴァンデの反乱を鎮圧
- 8月5日:カスティリオーネ会戦および第二次ロナト会戦
- 8月19日:第二次サン・イルデフォンソ条約[注 28](仏西同盟)
- 9月7日:バイエルン選帝侯カール・テオドール、フランスと休戦条約
- 10月5日:スペインがイギリスへ宣戦布告
- 11月17日:ロシアのエカチェリーナ2世が崩御。パーヴェル1世が即位
- 12月16日:オッシュ、アイルランド遠征に出発(21〜27日、暴風雨によりボタニー湾への上陸失敗)
- 12月31日:チスパダーナ共和国成立
1797年
- 1月14日:リヴォリ会戦
- 2月2日:マントヴァ要塞陥落
- 2月14日:サン・ビセンテ岬の海戦
- 2月19日:教皇と和平条約(トレンチノ条約[9])
- 4月4日:共和国5年の選挙(王党派躍進)
- 4月18日:ボナパルトがオーストリアとレオーベン仮条約を結ぶ(総裁政府は4月30日に承認)
- 5月12日:フランス軍に降伏し、ヴェネツィア共和国解体
- 5月27日:フランソワ・ノエル・バブーフ、ダルテ処刑
- 6月14日:ボナパルト、ジェノヴァ共和国を解体し、リグーリア共和国を建国
- 7月9日:ボナパルト、チスパダーナ共和国とトランスパダーナ共和国などを合併し、チザルピーナ共和国建国
- 9月4日:フリュクティドール18日のクーデター[注 29]
- 9月30日:財務大臣ラメル、「三分の二破産」政策始める
- 10月17日 : カンポ・フォルミオの和約締結。オーストリアと講和
- 11月16日:プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世死去。フリードリヒ・ヴィルヘルム3世即位
- 12月16日:ラシュタット会議始まる
革命の終焉
1798年
1799年
- 1月23日:シャンピオネ将軍、ナポリに侵攻し、パルテノペア共和国を建国
- 2月10日:ボナパルト、シリア遠征(〜5月17日)
- 3月12日:フランスがオーストリアへ再び宣戦布告。第二次対仏大同盟戦争
- 4月18日:共和国7年の選挙(ネオ・ジャコバン派躍進)
- 5月18日:シェイエスが総裁に選ばれる
- 6月18日 : プレリアール30日のクーデター
- 6月28日:強制公債割当法
- 7月5日:ジャコバン・クラブの再建
- 7月12日:人質法
- 7月19日:ロゼッタ・ストーンを発見
- 8月23日 : ボナパルト、軍を残してエジプトを脱出
- 8月27日:ヨーク公爵率いるイギリス・ロシア同盟軍、オランダに上陸(〜10月18日に撤退)
- 9月9日 : ボナパルト、フランスに帰国
- 9月25日〜30日:マッセナ将軍、第二次チューリッヒ会戦[11]に勝利
- 10月22日:ロシアのパーヴェル1世、対仏大同盟から脱退
- 11月9日 : ブリュメール18日のクーデター(総裁政府が倒れる)
- 11月10日:臨時統領政府(臨時執政政府)が成立
- 12月25日