ブライアン・テイラー
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| 引退 | |
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| ポジション | PG |
| 基本情報 | |
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1951年6月9日(73歳) |
| 出身地 | ニュージャージー州パースアンボイ |
| 身長(現役時) | 188cm (6 ft 2 in) |
| 体重(現役時) | 84kg (185 lb) |
| キャリア情報 | |
| 出身 | プリンストン大学 |
| ドラフト | 1972年 23位 |
| 選手経歴 | |
| 1972-1976 1976-1977 1977-1978 1978-1982 |
ニューヨーク・ネッツ カンザスシティ・キングス デンバー・ナゲッツ サンディエゴ・クリッパーズ |
| 受賞歴 | |
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Stats Basketball-Reference.com | |
ブライアン・ドワイト・テイラー (Brian Dwight Taylor, 1951年6月9日 - ) は、1970年代のアメリカ合衆国プロリーグで活躍した元バスケットボール選手。ニュージャージー州パースアンボイ出身、プリンストン大学卒業。ポジションはポイントガード。身長188cm、体重84kg。
プリンストン大学では2年間のみプレイし、4年生のシーズンを待たずしてプロの世界に入ったが、現役引退後に再び大学に戻り、1983年に卒業している。在学中は通算1,239得点を記録し、1971年のアイビー・リーグ新人王[1]、2年それぞれでオール・アイビーの1stチーム入りをしている。
1972年のドラフトではABAのニューヨーク・ネッツとNBAのシアトル・スーパーソニックスから同時に指名を受けたが、テイラーはネッツと契約した。テイラーは1年目からチームの主要得点源の一人として活躍し、平均15.3得点をあげて新人王を受賞する[1]。翌1973-74シーズンにはジュリアス・アービングがネッツに入団し、大きく戦力アップしたネッツはこの年のファイナルを連覇。テイラーは70年代中盤に全盛期を迎え、1974-75シーズンには初のオールスター出場を果たし、1975-76シーズンにはキャリアハイとなる平均18.8得点を記録。ネッツはこの年も優勝を果たし、テイラーはネッツ在籍中に2度のABA優勝を経験した[1]。また優秀なディフェンダーでもあったテイラーは2年連続でオールディフェンシブ1stチームに選ばれている。
このシーズン終了後にABAはNBAに吸収合併される形で消滅し、テイラーはネッツからカンザスシティ・キングスに移籍し、さらにデンバー・ナゲッツにトレードされた。1979-80シーズンから4シーズンサンディエゴ・クリッパーズでプレイ。ネッツ時代は主にスコアラーとしてプレイしたテイラーだがクリッパーズではプレイメーカーとしても活躍し、最後の2シーズンはいずれも平均6アシスト以上をあげた。1982年に現役から引退。ABA/NBA10シーズンの成績は、通算7,868得点2,478アシスト、平均13.1得点4.1アシストだった。現役引退後はロサンゼルス市内の高校の校長となった。
