マット・ボナー
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サンアントニオ・スパーズでのボナー (2010年) | |
| 引退 | |
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| ポジション | PF/C |
| 役職 | サンアントニオ・スパーズ専属コメンテーター |
| シュート | 右手 |
| 基本情報 | |
| 愛称 | Red Rocket |
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1980年4月5日(45歳) |
| 出身地 |
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| 身長(現役時) | 208cm (6 ft 10 in) |
| 体重(現役時) | 112kg (247 lb) |
| ウィングスパン(現役時) | 205cm (6 ft 9 in) |
| キャリア情報 | |
| 出身 | フロリダ大学 |
| ドラフト | 2003年 2巡目 45位 CHI |
| 選手経歴 | |
| 2003-2004 2004-2006 2006-2016 |
トロント・ラプターズ サンアントニオ・スパーズ |
| 受賞歴 | |
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Stats NBA.com | |
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Stats Basketball-Reference.com | |
マシュー・ロバート・ボナー(Matthew Robert Bonner、1980年4月5日 - )はニューハンプシャー州コンコード出身の元バスケットボール選手。NBAのサンアントニオ・スパーズで2007年、2014年の優勝メンバーだった。ポジションはパワーフォワード/センター。
ハイスクール
ニューハンプシャー州コンコードで生まれ、コンコード高校に入学し、学業で優秀な成績を残すとともに、アスリートとしては、バスケットボールチームを3州チャンピオンに導く活躍をした[1]。
カレッジ
フロリダ大学在学中、ボナーは通算1,570得点、778リバウンドを記録し、165本のスリーポイントフィールドゴールを決めて6つのカテゴリーで大学歴代トップ10に入る活躍を見せた。学業においても非常に優秀でGPAは3.96。2002年と2003年のアカデミック・オールアメリカンチームに選出されている[2]。
プロ
イタリア
大学卒業後、2003年のNBAドラフトでシカゴ・ブルズより2巡目45位で指名されてNBA入り。ドラフト直後にトロント・ラプターズに交渉権が移動した。トロント首脳陣はボナーの才能を認めながらも、当時チームのロスター枠にボナーを入れられるゆとりはなく、イタリアリーグのシチリア・メッシーナに送りこんで若きボナーを育てることにした。シチリアではサルモネラ菌(のちにチームの掛り付け歯科医が感染源と判明した)に感染して40度を超える高熱を出したり、住居のアパートではお湯が出なかったり、チームが倒産して給与が支給されず、選手が次々とチームを離れていくなどの苦労の中で平均19.2得点、9.3リバウンドの大活躍を見せた。
トロント・ラプターズ
2004年、トロント・ラプターズと契約したボナーは控え選手として全82試合に出場。平均7.2得点をあげ、彼の頭髪の色と、トロント交通局の公共交通機関をよく利用していたことから、レッド・ロケットの愛称で呼ばれるようになった。
2005年は78試合に出場。平均7.5得点、3.6リバウンド、フィールドゴール成功率44.8%。3ポイント成功率はNBA全体で14位にランクされ、ラプターズの中でも3ポイントの名手として知られるようになった。
サンアントニオ・スパーズ
2006年6月21日、エリック・ウィリアムズ、ラドスラフ・ネステロヴィッチの2巡目指名権、現金とのトレードによりサンアントニオ・スパーズに移籍。2006-2007シーズンは56試合に出場し、平均プレイタイムは11.7分ながら4.9得点をマークし、スパーズのNBAファイナル優勝に貢献した。
2008年、チームはロバート・オーリーと契約更新せずファブリシオ・オベルトを怪我で欠き、更にマヌ・ジノビリやトニー・パーカーらのエースガードが相次いで戦線を離脱したことで、得点力のあるボナーに先発の座が回ってきた。シーズンを通しての3ポイント成功率.440はキャリア最高の成績であった。
2010-2011シーズンは66試合に出場。3ポイント成功率45.7%(105/230)はNBA全体で1位にランクされ、初の個人スタッツリーダーとなった。[3]
その後は、ティアゴ・スプリッターの成長や、ボリス・ディアウの加入などで出場時間が減少していたが、2013-2014シーズンは、プレーオフ自身最高の22試合に出場し、自身2度目のNBA優勝を経験した。
2015年7月1日、フリーエージェントとなり、15日に再契約を結んだ[4]。
現役引退へ
2016年夏、FAとなり、スパーズとの再契約を望んだボナーだったが、希望が叶わず、2017年1月6日、バスケットボール界からの引退を表明した[5]。
プレイスタイル
その他

- ニューバランス製のシューズを使用している。本人によると「今までコンバースをメインで使ってきたからコンバースと契約できればよかったが、オファーがなかった。その後ニューバランスに話をしたらすぐにシューズを用意してくれた。」とのこと。(なお、2010年12月18日のメンフィス・グリズリーズ戦では、試合中にシューズの底が剥がれるというアクシデントが発生している。)
- チームのウェブサイトに独自のコンテンツを公開することがある。各地のサンドウィッチをレポートした「サンドウィッチ・ハンター」[6]やジョークビデオクリップ「コーチB」[7]があり、その中で、ティム・ダンカンに自分の事をミディアム・ファンダメンタルと呼ばせている。
- ブログで、自分が他のチームメートより他チームファンから野次られるのが多い理由を、ニューバランスのシューズを履いている。名前が他の単語に似ている。髪が赤毛である。肌が白い。ジャンプ力がない。と語っている。[8] その中で、NBAへのスポンサーを降りたニューバランスのシューズが残り4~5足になっており、ニューバランスに追加供給を願い出たが断られたこと、ネットオークションで自分のサイズのものを見つけ非常に気に入ったが、紫色であったためグレッグ・ポポビッチに却下されたと語っている。
- 2014年1月24日にアディダスとシューズ契約を結んだ。同年2月26日の試合でチームメイトのエマニュエル・ジノビリのシューズ(ナイキ製)が壊れるハプニングがあった際には「僕の場合はプロトタイプだったから」と述べ、ジノビリに対して「アディダスにかえれば?」と伝えたという[9][名無しリンク]。