Wikiwand AI

ブライアン・ラヘア

From Wikipedia, the free encyclopedia

ブライアン・アラン・ラヘア(Bryan Allan LaHair , 1982年11月5日 - )は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ウースター出身の元プロ野球選手(内野手)。

生年月日 (1982-11-05) 1982年11月5日(43歳)
身長
体重
6' 5" =約195.6 cm
245 lb =約111.1 kg
概要 基本情報, 国籍 ...
ブライアン・ラヘア
Bryan LaHair
福岡ソフトバンクホークスでの現役時代
(2013年3月31日、福岡ヤフオク!ドーム)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 マサチューセッツ州ウースター
生年月日 (1982-11-05) 1982年11月5日(43歳)
身長
体重
6' 5" =約195.6 cm
245 lb =約111.1 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 一塁手、外野手
プロ入り 2002年 MLBドラフト39巡目
初出場 MLB / 2008年7月18日
NPB / 2013年3月29日
最終出場 MLB / 2012年10月3日
NPB / 2013年9月10日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
閉じる

福岡ソフトバンクホークスに所属していた2013年の登録名はラヘア[1]。

経歴

プロ入りとマリナーズ時代

2002年のMLBドラフトでシアトル・マリナーズから39巡目(全体1180位)で指名を受け入団。

2005年はアドバンスドA級インランドで打率.310、22本塁打、OPS.876の成績を残し、アドバンスドA級のオールスターゲームに選出される。

2006年はAAA級タコマまで昇格。タコマでは54試合の出場で打率.324、10本塁打、OPS.918の成績を残し、マリナーズ傘下マイナー最優秀選手に選出される、11月にはメジャー40人枠に登録される。

2007年もAAA級タコマでシーズンを過ごした。

2008年7月18日のクリーブランド・インディアンス戦でメジャーデビュー。22日のボストン・レッドソックス戦で松坂大輔からメジャー初安打を記録。28日のテキサス・レンジャーズ戦ではスコット・フェルドマンから422フィート(約128メートル)の本塁打を放ち、翌日の試合でも2試合連続の本塁打を放った。しかし8月から調子を落とし、45試合の出場で打率.250、3本塁打、OPS.661の成績に終わった。

2009年はAAA級タコマでは121試合の出場で打率.281、26本塁打、OPS.881の成績を残すが、メジャー昇格の機会はなかった。

カブス時代

2010年1月9日にシカゴ・カブスとマイナー契約を結ぶ。この年はAAA級アイオワで125試合に出場。打率.308、リーグ10位の25本塁打、同7位のOPS.942を残す。

2011年はAAA級アイオワでは129試合の出場で打率.331、リーグトップの38本塁打、同じくOPS1.070を記録。パシフィックコーストリーグの最優秀選手とジョー・ボウマン賞を受賞した他[2]、ベースボール・アメリカ誌のマイナーリーグ・オールスターにも指名打者で選出された[3]。9月にセプテンバーコールアップでメジャー昇格し20試合に出場。オフにはベネズエラのウィンターリーグに参加。

カブス時代(2012年3月10日)

2012年は4月に打率.390、5本塁打、OPS1.251と活躍し、4月30日のフィラデルフィア・フィリーズ戦から3試合連続本塁打を放ち、5月11日まで28試合連続出塁も記録。前半戦で打率.286、14本塁打、OPS.883の成績を残し、自身初めてオールスターゲームに選出された。しかし、後半戦は打率.202、2本塁打、OPS.572と失速し、アンソニー・リゾの昇格も重なりスタメンを外されることも多くなった。シーズン通算では自己最高の成績を残すが、48打数3安打27三振と例年以上に左投手を打てなかった。11月20日にDFAとなる。

ソフトバンク時代

AAA級で本塁打・打点の二冠王に輝いた2011年から東北楽天ゴールデンイーグルス[4]や読売ジャイアンツ[5]が獲得に動いていたが、2012年11月22日(日本時間)に、福岡ソフトバンクホークスと契約を結んだことを発表[1]。前年にMLBで本格デビューとMLBオールスターゲーム出場を果たしたばかりの選手が、NPBの球団へ移籍するのは異例であった[6]。背番号は35[1]。

2013年には、開幕当初こそ6番打者として出場していたが、4月3日の埼玉西武ライオンズ戦でウィリー・モー・ペーニャに代わってNPB初の4番打者に起用。その試合の第2打席でNPB初本塁打を記録[7]と、一時4番打者に定着した。セ・パ交流戦期間中の5月31日には、セントラル・リーグ公式戦の開幕から21試合連続無失点を記録していた広島東洋カープの左腕投手・河内貴哉から2点本塁打を放って、記録の更新を阻止した[8]。もっとも、打撃面では、アメリカ時代からの傾向である左投手への極端な弱さ(#選手としての特徴を参照)を次第に露呈。交流戦の終盤からは、左投手の先発が予告されている試合で、ペーニャが再び4番に座るようになった[9]。シーズン終盤の9月21日には、左手背部痛の検査を理由にアメリカへ帰国[10]。その検査で左手関節軟骨の障害が判明したため、日本に戻らず手術を受けた[11]。シーズン通算では一軍公式戦111試合で16本塁打を記録したが、右投手から15本塁打を放ったのに対して、左投手からは河内からの1本にとどまった。

2014年1月23日に退団が発表された[12]。退団の理由として、球団の海外兼中長期戦略担当部長であった小林至は、前年末からの大型補強で支配下登録の外国人選手が8名(野手3名・投手5名)にまで増えたことを挙げ『(同時に登録できる外国人選手が最大で4名と定められている一軍での)出番は厳しいだろう』という結論に達した」と説明している[13]。

ソフトバンク退団後

2014年2月5日にクリーブランド・インディアンスとマイナー契約を結んだ[14]。

2015年1月30日にボストン・レッドソックスとマイナー契約を結ぶが、4月4日に解雇となる。

2016年2月16日に独立リーグであるアトランティックリーグのサマセット・ペイトリオッツと契約し、2017年まで所属した。この年限りで現役を引退。

現役引退後

2018年にシンシナティ・レッズ傘下アドバンスドA級のビリングス・マスタングス(英語版)の打撃コーチに就任。2019年に監督に昇格。2021年は傘下ルーキー級アリゾナ・コンプレックスリーグ・レッズ(英語版)の監督を務め、2022年は傘下A+級デイトン・ドラゴンズの監督[15]。

選手としての特徴

コンパクトなスイングで広角にライナーを放つタイプで[16]、ヒットゾーンは狭いが[17]、マイナー時代に25本塁打以上を3度記録した長打力を持ち味とする[18]。右投手に対してはメジャー通算の打率.289、OPS.835と得意とするが、左投手に対しては同打率.098、OPS.380と極端に左投手を苦手とし、シカゴの地元紙から「左投手が相手先発の時は起用すべきではない」と意見されたこともあった[19]。ソフトバンク時代の2013年にも、対右投手で打率.224、OPS.746、対左投手で打率.254、OPS.573を喫した。

守備走塁面は共に平均以下で[16]、守備では主に一塁手として起用され、メジャー通算のDRS-5、UZR0.2を記録している。2012年にはアンソニー・リゾの昇格に伴い右翼手で起用されたこともあり、マイナーでは左翼手でも起用されたこともある。

詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球団 ...
年

度
球

団
試

合
打

席
打

数
得

点
安

打
二
塁
打
三
塁
打
本
塁
打
塁

打
打

点
盗

塁
盗
塁
死
犠

打
犠

飛
四

球
敬

遠
死

球
三

振
併
殺
打
打

率
出
塁
率
長
打
率
O
P
S
2008 SEA 451501361534403471001101310404.250.315.346.661
2011 CHC 2069599175123060001900181.288.377.508.885
2012 13038034042881701615340420139301248.259.334.450.784
2013 ソフトバンク 11138934838801911614957210239001217.230.306.428.734
MLB通算:3年 1955995356613926121230564312614018213.260.334.430.764
NPB通算:1年 11138934838801911614957210239001217.230.306.428.734
閉じる

記録

MLB
NPB

背番号

  • 39 (2008年)
  • 6 (2011年 - 2012年)
  • 35 (2013年)

脚注

関連項目

外部リンク

Related Articles

Timelines

Top Qs

Fact Checks