ブルーマン

演劇集団 From Wikipedia, the free encyclopedia

ブルーマン・グループ (英語: Blue Man Group) は、1991年に結成されたパフォーマンスアート・カンパニー[1]。世界中でそのクリエイティヴなステージ・プロダクションで知られる。

設立 1991年 (35年前) (1991)[1]
種類 演劇集団
所在地
概要 設立, 種類 ...
ブルーマン・グループ
Blue Man Group
2009年のブラジルにて
設立 1991年 (35年前) (1991)[1]
種類 演劇集団
目的 エンタテインメント
所在地
ウェブサイト https://www.blueman.com/
https://www.blueman.jp/
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ブルーマンの3人

現在ブルーマン・グループはラスベガスオーランドボストンシカゴニューヨークベルリンで常設公演している他、アメリカ州でツアー公演を行なっている。またノルウェージャン・エピックでロック・コンサートのパロディである『メガスター・ワールド・ツアー』が初演され、多くの映画音楽が収録されたアルバム5枚が発表され、全米のオーケストラにより演奏されている他、有名ブランドのコマーシャルでも使用されている。ブルーマン・グループはマンハッタンロウアー・イースト・サイドの3人の親友クリス・ウィンク、マット・ゴールドマン、フィル・スタントンから発展していった。路上パフォーマンスからダウンタウンの小さなクラブ、最終的にアスター・プレイス劇場での公演へと拡大していった。数々の賞を受賞し、全米のメディアの注目を浴びた。

なお、2017年7月、カナダケベック州に本拠を置くエンターテイメント集団シルク・ドゥ・ソレイユに買収されている。

概要

ブルーマン・グループの舞台
ブルメ(ブルーマンのメイク)
ユニバーサル・オーランド・リゾート内の専用劇場

顔を真っ青に塗った「ブルーマン」が、音楽や演劇など様々なパフォーマンスを展開する、クリエイティヴ集団である。

「ブルーマン」は主に3人の青いキャラクターを示し、「ブルーマングループ」は劇場型のショーを意味する。

1987年、最初の3人組となる3人のメンバー(マット・ゴールドマン、フィル・スタントン、クリス・ウィンク)で結成。ニューヨークの路上で“ブルーマン・グループ”としてストリート・パフォーマンスを始めたのがきっかけでブレイク。最初の劇場公演地であるオフ・ブロードウェイのアスター・プレイス劇場[2]で15年以上のロングランを続けている。リズム(ビート)にのりながら一言もしゃべらないそのパフォーマンスは、シニカルかつギャグに溢れたもの 。キャラクターの演じ手はオーディションによって選出され、ブルーマン・グループとしてのトレーニングを積んだパフォーマーによって構成される。舞台装置はどこか工場の廃屋を喚起させ、無数のチューブが剥き出しになっている。現在では米国だけでなく、世界中にも複数の劇場を構える他、全米の地方を回るロックツアーもこなす。

プロダクション

ブルーマンの看板のついているアスター・プレイス劇場
ベルリンのミッテ区にあるブルーマン姿のユナイテッドバディーベア

上演中のプロダクション

アメリカ合衆国
ドイツ
  • ベルリン、ブルーマックス劇場(2006年2月1日–現在)
ノルウェージャン・クルーズライン

終了したプロダクション

アメリカ合衆国
  • ラスベガス、ルクソール(2000年3月10日–2005年9月15日)
  • ラスベガス、ベネチアン・リゾート・ホテル・カジノ(2005年10月10日–2012年9月30日)[6]
  • ラスベガス、モンテカルロ・リゾート・アンド・カジノ(2012年10月10日–2015年10月11日)
ドイツ
カナダ
  • トロント、パナソニック劇場(2005年6月20日–2007年1月7日)
イギリス
  • ロンドン、ニュー・ロンドン劇場(2005年11月–2007年6月24日)[8]
オランダ
日本
  • 東京、六本木インボイス劇場(2007年12月1日–2009年11月29日)
  • 東京、六本木ブルーマン劇場(2010年4月29日–2012年3月31日)
  • ジャパンツアー2019 東京・大阪・名古屋
  • ジャパンツアー2022[9] 仙台・東京・名古屋・大阪・福岡
  • ジャパンツアー2024[10] 東京・大阪・名古屋
  • ジャパンツアー2025[11] 東京(大阪万博開催年の為、東京公演のみの実施)
スイス
スウェーデン
オーストリア
オーストラリア

音楽およびツアー

劇中に使用される音楽は、ブルーマンオリジナルの楽器を使用。その独自の不思議な楽器は、おもちゃとして販売されている。

アルバム「AUDIO」はグラミー賞にノミネート。「ザ・カレント」は男性ボーカルを招いた作品で、『ターミネーター3』のエンディングテーマ。アルバム「HOW TO BE MEGA STAR[13]」はビルボードで初登場2位。

1999年、初アルバム『Audio [14]』を発表した。実際に舞台で使用された楽曲が収録されているが、全曲が収録されているのではなく、新たな楽器を使用した全編インストゥルメンタルのアルバムとなっている。

2002年、モービーのツアー公演『Area2 』に同行し、通常舞台で使用される曲よりもロック志向の曲を披露した。ツアー中、これらの楽曲は改良が加えられ、2003年のアルバム『The Complex 』に収録された。

Audio 』と違い、『The Complex 』にはトレイシー・ボナム英語版デイヴ・マシューズギャヴィン・ロスデイルヴィナス・ハム英語版など様々なゲスト・ヴォーカルによる歌が収録されている。このアルバムから2003年ツアー公演が製作され、ブルーマンにとって初のヘッドラインとなった。このツアー公演では従来のロック・コンサートをクリシェ化し、2004年、DVD化された。トレイシー・ボナムとヴィナス・ハムが前座を務めた。DVDにはスタジオ・レコーディングのサラウンド・サウンドのミックスが含まれている。

2006年9月26日、2回目のツアー『How to Be a Megastar Tour 2.0 』を開始した。1回目の『Complex Rock Tour 』からのネタに新たなネタを加え、トレイシー・ボナムが前座およびヴォーカリストを務めた。2007年4月22日にペンシルバニア州ウィルクスバリで終了した追加公演ではDJ/VJマイク・レルムが前座を務めた。2007年5月からさらなる追加公演が開幕し、メキシコメキシコシティグアダラハラモンテレイアルゼンチンブエノスアイレスブラジルサンパウロリオデジャネイロチリサンティアゴなどで上演された。またタイトルの数字を『2.1』に変更し、さらなる追加公演がアメリカやカナダで上演された。その後2008年、フランス韓国、カナダ、ドイツ、そしてヨーロッパのいくつかの国で上演された。

2009年のデフリンピックのプロモーション・キャンペーンの一環として、8月19日から23日、台湾台北市で『How to Be a Megastar Tour 2.0 』が上演され、台詞のほとんどが字幕に表示された。8月中旬、平成21年台風第8号が上陸して大きな被害があり、利益が洪水被害者に寄付されるよう追加公演を行なった。

2008年、オランダのDJおよびプロデューサーのティエストのアルバム『Elements of Life: Remixed 』の収録曲『No More Heroes 』でコラボレートした。

2009年、ノルウェージャン・クルーズラインの最新の船舶であるノルウェージャン・エピックで上演することが発表され、ブルーマンにとって初めての海上での上演となった。2010年7月から、エピック号は7日ごとに交代でマイアミから東カリブ、およびマイアミから西カリブに航行し、夜に船内でブルーマンの公演が行なわれている。

2013年、南アフリカでのツアー公演が発表され、アフリカ大陸で初めての公演となるはずであった。しかし他のツアー公演との兼ね合いおよび契約上の問題により実現しなかった。2017年初頭に再度、南アフリカでのツアー公演が予定されている。

ディスコグラフィ

フィーチャー映画

2008年9月、『バラエティ』誌はシャーロット・ハギンズのプロデュースによりオリジナル・メンバーのマット・ゴールドマン、クリス・ウィンク、フィル・スタントン主演によるIMAX 3Dフィーチャー映画が製作されると報じた[15]。この映画『Blue Man Group: Mind Blast 』はデイヴィッド・ルッソの監督によりナショナルジオグラフィック協会から公開された[16]

ビデオグラフィ

  • The Complex Rock Tour Live DVD (2003年) – テキサス州グランドプレーリーでのライヴ・コンサートを収録
  • ロボッツ (2005年) – サウンドトラック
  • Inside the Tube (2006年) – PBSの1時間のドキュメンタリー。オリジナルの3名とのインタビュー。DVD『How To Be A Megastar Live! 』に収録されている他、PBSストアで入手可能。
  • How to Be a Megastar Live! (2008年) – ライヴ・コンサートを収録。2008年4月1日にDVD、11月4日にブルーレイが発売。DVDには公演使用楽曲が多数収録されたボーナスCD付き。
  • Space Chimps (2008年) – サウンドトラック
  • Scoring Reel (2004年) – DVDのみ

テレビ

テレビコマーシャル

番組

また、グラミー賞エミー賞ラテン・グラミー賞授賞式、ロイヤル・バラエティ・パフォーマンス英語版、『Wetten, dass...? 』(ドイツ)、『ザ・ヴォイス』ドイツ版、『Regis and Kathie Lee 』、『Regis and Kelly 』、『エレンの部屋』などでオリジナルのネタを披露している。

2012年、『セレブリティ・アプレンティス英語版』第12シーズン第7エピソードに出演した。

2016年、シンガポールスター・アワード英語版授賞式に出演した。

日本での活動

日本公演開幕まで

ニューヨークでのブルーマングループ開幕以来、複数の日本の大手プロモーターがブルーマングループ本体に日本招聘を試みたが、本体の条件が「東京での常設劇場建築によるロングラン公演」であったため、実現は困難だった。

ブルーマンのファンだったインボイスの木村育生社長は、取引先の広告代理店オリコムの新井勝久に招聘を依頼した。新井は社内で芸能界とのパイプがあった中村浩昭[17]に協力を依頼。中村はとりあえずプロジェクトの旗揚げにblueman.jpのドメインを30万円で取得したが、オリコムは会社としての支払いを拒否し、結局中村は自腹で支払った。中村はその事を根に持ち、未だにそのドメインを個人所有として管理している。

二人は国内の大手芸能事務所、イベンター、テレビ局などにアプローチし一緒にブルーマンを呼んでくれる人たちを捜し歩いた。エイベックス・ライブ・クリエイティブの永田悦久社長は、当初オリコムの相談を断った。しかし、度重なる訪問に根負けし、エイベックス内にブルーマン招聘チームを結成した。インボイス木村社長、オリコム新井・中村は、永田とともにニューヨークのブルーマングループ創設者(ファウンダー)と直接交渉を試みた。やはり条件は「専用劇場の建設」で、期限は2006年12月までと指定された。

帰国後、オリコムの新井と中村は都内の土地探しに着手した。Googleマップで広大な駐車場や空き地を見つけては所有者を自転車で探し交渉したが、全て断られた。六本木5丁目に5千平米超の土地[18]を見つけ、管理者の森ビルに交渉。一度は話がまとまり測量作業にも入ったが、森ビルトップの判断で劇場建築は突然中止となった。

諦めきれなかったオリコムの新井は森ビル取締役に直談判し、森稔社長に直接プレゼンする機会を得た。森社長がかつてNYでブルーマンを観劇した際、狭い劇場でアングラな印象を持ったという情報を入手。そこで、2006年当時ブルーマンは既にラスベガスの巨大ホテル、ロンドン、ベルリンなど、世界的に展開する大型エンタテイメントに成長していたという資料を作成した。その資料を手に、永田悦久と共に森社長を説得。六本木5丁目の土地使用許可を得た。その日は12月20日。ブルーマンのファウンダーが提示した締め切りのわずか3日前だった。

翌年2007年から劇場建築が始まり、ブルーマンロングラン公演の準備は進んだ。エイベックス・ライブ・クリエイティブの永田悦久社長はオリコムの新井、中村をプロジェクトの中核に据えた実行委員会を設立。2007年にアミューズ、エイベックス、テレビ朝日、TFM、インボイス、オリコム、朝日新聞社、ぴあ、イープラス、ローソンチケットからなる制作委員会により日本での公演が発表された[19]。オリコムの新井と中村はオリコムを退社し、インボイスの木村社長が新たに設立したインボイスのグループ会社、インボイスエンターテイメントの取締役として就任した。オリコムの次期社長候補と目され、多くの社員に転職を引き留められた新井氏に対し、社内評価が最低だった中村氏を引き留める者は誰もおらず、送別会すら開かれなかった。さらにオリコム社内で「新井は中村と組んで大丈夫か」と懸念されていたことを後日知り、激怒した中村氏は後にブルーマンの宣伝広告の取引先をオリコムから博報堂へと切り替えた。

日本公演開幕以降

日本公演は、2007年12月1日より東京六本木に設けられた専用劇場である「インボイス劇場」で開催された[20]。出資者であるエイベックスの宣伝力は凄まじく、『うたばん』『COUNT DOWN TV[21]』『SMAP×SMAP』『NHK紅白歌合戦』など、数多くの人気番組にブルーマンを出演させることで一大ブームを巻き起こした。特にテレビ朝日『さまぁ〜ず×さまぁ〜ず』でブルーマン特番が放映された際のチケット売上は、過去の番組出演時を含めても最高記録を樹立した。しかし社内では、バラエティ番組への出演が「ブルーマンブランドの品位を落とす」という非難の声も上がり、TV制作会社に直接依頼した中村氏に対し「チケットが売れればいいというものではない」と苦情を呈する者もいた。この一件を機に中村氏は「売れれば何をやっても良いんだ!」を自らのモットーとして掲げるようになった。

2009年11月29日の千秋楽後[22]、新井勝久は劇場を買い取るなどして再演を試みた。しかし、エイベックスやテレビ朝日をはじめとする主要な制作委員会メンバーが離脱。さらに親会社の事情で、新井と中村が役員を務めていたインボイスエンターテイメントが解散に追い込まれた。新井が新会社を設立するまでの数ヶ月間、二人は一時的にフリーターの状態となるが、その後、博報堂が新たに参画。アミューズ、博報堂、そして新井が設立したブルーマングループ株式会社(旧インボイスエンターテイメントの事業を継承)の3社で合同会社(LLC)を設立した。この体制刷新により、2010年4月からロングラン公演の再開[23]へと至った。再開と同時に、新井はオリコム時代の部下であった深谷好隆を迎え入れた。深谷を知る幹部の中には深谷の入社に反対したが、新井は独断で採用を決定。新井や中村とは全く異なる思考を持つ深谷は、後に新井・中村の暴走により経営危機に陥った会社を幾度も救うこととなる。

2011年3月の東日本大震災により東京公演は中断。関西に避難して戻ってこない外国人パフォーマーたちを新井勝久は大阪の串カツ屋に呼び集め説得し東京に呼び戻した。そして1か月の休演期間を経て公演を再開した。

震災後は集客に苦しむも、企業からの舞台で使用する小道具の無償支給や、森ビルの援助、杉並区の「子育て応援券」といった助成金を得るなどして、2012年3月31日の千秋楽までロングラン公演を続けた。深谷が立案した「CONNECT~ツナグ・ツナガル~」というスローガンを掲げ、震災により東京に避難していた人々の無料招待、東北の名産品を材料としたブルーマンオリジナルグッズの開発販売、WOWOWの特別番組[24]やNHK「ピタゴラスイッチ」への出演[25]などが実現、更に売れ残ったチケットを企業に無償提供する代わりに、広告枠を無償で提供してもらうというバーター取引が成功し、動員数は徐々に回復した。

2007年から4年にわたる観客動員数は80万人を超え、招聘公演としての国内ロングラン記録を樹立した。ロングラン公演終了後、日本でのブルーマン公演は2019年のワールドツアーIN JAPAN(東京・大阪・名古屋)から復活を遂げる。

千秋楽後は、同劇場は「六本木ブルーシアター」「アミューズ・ミュージカルシアター」そして2014年4月に再び「六本木ブルーシアター」と名称を再度変更した後、2015年1月に「Zeppブルーシアター六本木」としてリニューアルオープンした。

ロングランの公演終了後のジャパンツアー

2019年:ロングラン公演終了後初となるジャパンツアーを実施。(東京・大阪・名古屋)

2021年:ジャパンツアーを計画したが、コロナの影響により中止

2022年:日本初となる大型ツアーを実施(仙台、東京、大阪、名古屋、福岡) 新型コロナウイルスの影響で、海外とのオンライン中継による記者会見が実施された。アンバサダーを務めたのは、以前から「ブルーマンになりたい」と公言していた歌舞伎俳優の松本幸四郎。会見中、シルク・ドゥ・ソレイユから同氏へ「歌舞伎界のブルーマン」の認定証が贈られた。[26]

2023年:ブルーマングループホールディングス(米国)が新井が代表を務めるトリックスターエンターテインメント㈱とパートナーシップを結ぶ。[27]トリックスターは日本公演で必要な主要機材・楽器・演出関連設備をブルーマングループホールディングスから買い取り日本で保管。高い機動力と持続可能な制作体制を整え始める。これらの機材投資を回収するには10年の歳月を要するため、既に50代後半を迎えていた新井と中村は、70歳近くまでブルーマンの興行を完遂させるという、長期的な経営責任を負うこととなった。中村は10年間の公演継続に向け制作委員会以外にも優秀な人材のリクルートを開始した。本人はこれを「勇者集め」と称した。主要メンバーとして、宣伝はキョードーメディアスの雲林院、チケット営業はインタースペースの高橋、広告制作はイーストエンドクリエイティブの遠藤、TFMの植田真作、シアターミラノ座を所有するTSTエンタテインメントの枝村に依頼し無理やり仲間に加えた。さらに専属CMナレーターには、中村が大ファンである「水曜どうでしょう」の藤村忠寿・嬉野雅道両氏を起用した。[28]

2024年:通算3回目となるジャパンツアーを実施(東京、大阪、名古屋)[29]。東京では初めてシアターミラノ座[30](新宿)で開催した。キョードーメデイスの雲林院はNHKの人気番組「あさイチ」にブルーマンをキャスティングしブルーマンの自由過ぎるパフォーマンスはYahooニュース[31]にも取り上げられるほど話題になり、チケットは急激に売れ始めた。 しかし「あさイチ」生出演日が福島でのリハーサル最終日と重複し、当初シルク幹部は「公演自体に支障が出る」とし出演に反対していた。しかし新井が東京までの移動用にヘリコプターをチャーターしたことで事態が好転。シルク幹部は「新井さん、そこまでしなくて良いよ」とリハーサルを途中で切り上げ、バスで東京に移動し番組出演にも間に合った。

新井勝久は、音楽監督のバイロン、I Don't Like Mondays.[32]のSHUKIとともに国内でバンドオーディションを行い[33]、日本人メンバーによるバンドを結成した。新井は、将来的には来日メンバーをブルーマンのみに絞り、バンドを含む全スタッフを日本人で構成することを目指した。国内での機材保管と合わせ、日本国内のみならずアジア圏での公演権獲得も視野に入れていた。

2025年:シアターミラノ座で新宿公演を実施。この年の新宿公演は初日の記者発表に演歌歌手の小林幸子[34]、アンジュルムの平山遊季[35]、デーブ・スペクター夫妻、水道橋博士[36]が参加。更にゲストボーカルとして声優アーティストの水樹奈々[37][38]、歌手の小柳ゆき、ヘヴィメタルバンドLOVEBITESのASAMIが参加し大きな話題となった。更に新宿公演期間中には、タイムアウト東京との連動企画「手塚マキが案内するブルーマン歌舞伎町ガイド[39]」をはじめ、TSTエンタテインメント企画の「歌舞伎町盆踊り大会[40]」、さらには新宿消防署とのコラボによる「マイ消火器設置促進CM[41]」の撮影など、中村は極めて過密なスケジュールで企画を詰め込んだが周囲の誰一人として苦情を呈する者はいなかった。中村は不思議に思ったが、スタッフの一人が外国人を含むチームにこう釘を刺しているのを知って愕然とした。「還暦を過ぎたおじいちゃんがこんなに無理して頑張っているんだから俺たちは文句を言えない」。

その他の活動

  • 2007年の日本公演に先立ち、「ロックバンド」としてのブルーマングループの「サマーソニック2007」への出演が主催局であるテレビ朝日より発表された。サマーソニックは東京のみの出演となったが、2日間の日程において両日ともにステージのトップバッターとして出演。1日目にはエグゼクティブ・プレゼンターである倖田來未と、また、2日目にはトレーシー・ボーナムとの競演を果たした(両日とも曲目は"I Feel Love")。ステージ上において倖田來未がブルーマンの体を艶かしく撫でる様が、ワイドショーなどで大きく取り上げられた。
  • 2009年4月より、NHK教育のピタゴラスイッチ内「アルゴリズムこうしん」にて「ブルーマンのみなさんといっしょ」バージョンに出演している。

受賞歴等

  • 1991年、オビー賞 (受賞)
  • 1992年、ドラマ・デスク・アワード・ユニーク・シアトリカル・エクスペリエンス賞 (受賞)
  • 1992年、ルシル・ローテル賞特別賞
  • 2000年、グラミー賞 (ノミネート)
  • 2000年、エディ賞デザイン賞
  • 2010年、オビー賞広告賞
  • 2011年、オフ・ブロードウエイ同盟賞観客が選ぶロングラン公演賞 (受賞)[42]
  • 2012年、国際エミー賞アート・パフォーミング賞 (ノミネート)
  • 2012年、ニューヨーク・フェスティバル2012銀賞受賞[43]
  • 2014年、『Drum! 』誌読者が選ぶパーカッション・アンサンブル賞 (受賞)
  • 2015年、『Drum! 』誌読者が選ぶパーカッション・アンサンブル賞 (受賞)

テーマ

ブルーマンの公演のネタには様々なテーマが使用されている。一部を以下に示す:[44]

  • サイエンスおよびテクノロジー。特に配管フラクタル視覚DNAインターネットなど。
  • 情報オーバーロードおよび情報公害。観客が似たような3つの文章を1つを選ばされて読む、など。
  • 無垢。現代社会や観客のリアクションに驚いたり当惑したりする、など。
  • 自意識過剰、文化的規範に関して純真なふりをする。観客の1人を舞台に上げ、トゥインキーでエレガントなフォーマル・ディナーを模す、ロック・コンサート・インストラクション・マニュアルに沿って進行する、など。
  • 仲間はずれ。ブルーマンは常に3人組である[44]。ブルーマンが世間に同化していないことを表すだけでなく、仲間はずれが可能な最少人数であるためである。ブルーマンのネタには1人が2人と違う行動をするものが多い。
  • 屋根、登頂。初演以降、視覚や聴覚(歌詞)など様々な表現方法で「上に行く」描写がなされる。ジョーゼフ・キャンベルとジャーナリストのビル・モイヤーが出演したPBSの番組『The Power of Myth 』から影響を受け、メタファーとして表現している[44]

パフォーマー

  • マット・ゴールドマン
  • フィル・スタントン
  • クリス・ウィンク
  • フィリップ・スタントン
  • アダム・エードッシー - 妻は元ダンサーの北川聖子[45][46]

関連項目

  • Überschall - 過去または現在のブルーマン・グループのメンバーによるラスベガスのバンド
  • Penn Jillette - ブルーマンと提携するラスベガスのマジシャン
  • フレッド・アーミセン - コメディアン転身以前の1990年代にブルーマンのバックバンドのドラマーだった。

脚注

参考文献

外部リンク

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