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ボビー・ジャガーズ

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"ハングマン" ボビー・ジャガーズ("Hangman" Bobby Jaggers、本名:Robert F. Jeaudoin、1948年1月8日 - 2012年9月30日)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ワシントン州バンクーバー出身。

リングネーム "ハングマン" ボビー・ジャガーズ
"ダイナマイト" ボビー・ジャガーズ
ボビー・メイン
ミステリアス・アサシン
本名 Robert F. Jeaudoin
ニックネーム 金髪の荒獅子
身長 188cm
概要 ボビー・ジャガーズ, プロフィール ...
ボビー・ジャガーズ
ボビー・ジャガーズの画像
1982年
プロフィール
リングネーム "ハングマン" ボビー・ジャガーズ
"ダイナマイト" ボビー・ジャガーズ
ボビー・メイン
ミステリアス・アサシン
本名 Robert F. Jeaudoin
ニックネーム 金髪の荒獅子
身長 188cm
体重 122kg(全盛時)
誕生日 (1948-01-08) 1948年1月8日
死亡日 (2012-09-30) 2012年9月30日(64歳没)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ワシントン州の旗 ワシントン州
クラーク郡バンクーバー
トレーナー ティト・モンテス
クルト・フォン・スタイガー
デビュー 1972年
引退 1991年
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1970年代から1980年代にかけて、カウボーイ・ギミックのヒールとして活躍した[1]。1975年にスタン・ハンセンが初来日した際のタッグパートナーとしても知られる[2]。

来歴

1966年にアメリカ陸軍に入隊し、ベトナム戦争に従軍後、地元のワシントンやオレゴンをサーキット・エリアとするパシフィック・ノースウエスト・レスリング(PNW)のプロモーターだったサンディ・バー(ジェシー・バーの父親)にスカウトされ、1972年にアル・マドリルを相手にデビュー[3]。キャリア初期は "ムーンドッグ" ロニー・メインの弟と称し、ボビー・メイン(Bobby Mayne)のリングネームで活動していた[1]。

アリゾナやテネシー、カンザスシティのNWAセントラル・ステーツ地区などを経て、ボビー・ジャガーズ(Bobby Jaggers)と改名してテキサスのアマリロ地区に入り、1975年9月にドリー・ファンク・ジュニアのブッキングでスタン・ハンセンと共に全日本プロレスに初来日[2]。大型の若手カウボーイ・コンビとして、荒削りながらイキのいいラフファイトを展開した。ハンセンとは来日前からアマリロでタッグを組んでおり、ムース・モロウスキー&サイクロン・ネグロなどのチームから勝利を収めたという[2]。なお、この来日中の10月24日にジャイアント馬場とシングルマッチで対戦、馬場が前日に負った頭部の負傷部分を攻めたててフォール勝ちを収めた[4][5]。

1976年下期より中南部のNWAトライステート地区に進出して、12月2日にケン・パテラからブラスナックル王座を奪取[6]。以降も中西部や中南部を主戦場に、マイク・ジョージやポール・オーンドーフと抗争した[7][8]。1979年はジン・キニスキーらが運営していたカナダ・バンクーバーのNWAオールスター・レスリングや、ジム・バーネット主宰のジョージア・チャンピオンシップ・レスリングにて活動。バンクーバーではダッチ・サベージやアドリアン・アドニスと抗争し[9]、ジョージアではアマリロでの旧友ハンセンと対戦[10]、当時スターリング・ゴールデンと名乗っていた若手時代のハルク・ホーガンともタッグを組んでいる[3]。

1980年3月、覆面レスラーのミステリアス・アサシン(The Mysterious Assassin)に変身して全日本プロレスの第8回チャンピオン・カーニバルに出場[11]。開幕戦ではレイ・キャンディの乱入で馬場からリングアウト勝ちを拾い、実質馬場から2勝目を挙げた[12]。同大会ではアマリロやジョージアでライバル関係にあったキャンディと共にアブドーラ・ザ・ブッチャーを援護射撃し、テリー・ファンク、ディック・スレーター、テッド・デビアスのファンク・ファミリーと軍団抗争を繰り広げた(シリーズ中に覆面を剥がされ、終盤は素顔のボビー・ジャガーズとして出場している)[11][13]。

帰国後はR・T・タイラーとのカウボーイ・コネクション(The Cowboy Connection)でNWAフロリダ地区に登場。1980年12月2日、バリー・ウインダム&スコット・マギーを下してフロリダ・タッグ王座を獲得し、ダスティ・ローデスとアンドレ・ザ・ジャイアントの強力チームとも対戦した[14]。シングルでは同年10月11日にバグジー・マグローからフロリダ・ヘビー級王座を、1981年6月にジャック・グレイから南部ヘビー級王座をそれぞれ奪取している[15][16]。

上からマニー・フェルナンデス、ブッチ・ミラー、ジャガーズ(1984年)

1982年末よりテキサス州サンアントニオのサウスウエスト・チャンピオンシップ・レスリングに参戦して、正義派カウボーイのスコット・ケーシーと抗争を展開[17]。1983年6月、負傷欠場中のジョナサン・ボイドに代わってルーク・ウィリアムスのパートナーとなり、ボイドが保持していたサウスウエスト・タッグ王座を継承するが、7月4日のボブ・スウィータン&スウィート・ブラウン・シュガー戦の試合後にウィリアムスと仲間割れしてベビーフェイスに転向[18]。以降、マニー・フェルナンデスと組んでウィリアムス&ブッチ・ミラーのザ・シープハーダーズとデスマッチの連戦を繰り広げた[19]。1984年6月16日にはキラー・ブルックスを破り、サウスウエスト・ヘビー級王座も獲得している[20]。

1984年秋より古巣のPNWに定着。初期はベビーフェイスとしてリップ・オリバーやカール・スタイナー、マイク・ミラー、後にヒールに戻ってリッキー・ヴォーンやトム・ジンク、ビリー・ジャック・ヘインズらとパシフィック・ノースウエスト・ヘビー級王座を争い、PNWのフラッグシップ・タイトルだった同王座を通算4回獲得した[21]。1985年4月にはザ・ダルズ、セイラム、ユージーンにおいて、リック・フレアーの保持していたNWA世界ヘビー級王座に連続挑戦している[22]。

1986年下期から1987年にかけては、晩年のホームタウンとなった中西部のセントラル・ステーツ地区に出場しつつ、ベビーフェイスのポジションでジム・クロケット・ジュニア主宰のNWAミッドアトランティック地区にも参戦。同じくカウボーイをギミックとしていたダッチ・マンテルとカンザス・ジェイホークス(The Kansas Jayhawks)[23]を結成して、ジム・コルネット率いるミッドナイト・エクスプレス(ボビー・イートン&デニス・コンドリー)と抗争した[24]。1986年11月27日の『スターケード』アトランタ大会では、ザ・ラシアンズ(イワン・コロフ&クラッシャー・クルスチェフ)が保持していたUSタッグ王座に挑戦している[25][26]。

1988年はプエルトリコのWWCにて、"ダンディ" ダン・クロファットと組んでジェイホークスをヒール・バージョンで再編。カンザスシティ・ジェイホークス(The Kansas City Jayhawks)の新チーム名のもと、マーク&クリス・ヤングブラッドのレネゲード・ウォリアーズとのカウボーイ対インディアンの抗争を展開した。同年7月17日のブルーザー・ブロディ刺殺事件の際は、同じ控室に居合わせている[3]。1989年にはフロリダでブラック・バートを新パートナーにナスティ・ボーイズとタッグ王座を争った[14]。

キャリア末期はWWFのカンザスでの興行に単発出場して、ジム・ナイドハートやザ・ロッカーズ(マーティ・ジャネッティ&ショーン・マイケルズ)のジョバーを務めた[27]。1991年の引退後も、かつての主戦場だったカンザスに居住。2004年2月には、カンザスのインディー団体 "Bad Boys of Wrestling" のコミッショナー役としてプロレスファンの前に久々に登場した[1]。

2012年9月30日、64歳で死去[3]。

得意技

獲得タイトル

NWAミッドアメリカ
  • NWA南部タッグ王座(ミッドアメリカ版):1回(w / チャーリー・フルトン)[28] ※ボビー・メイン名義での戴冠
NWAウエスタン・ステーツ・スポーツ
NWAトライステート
NWAオールスター・レスリング
チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ
サウスウエスト・チャンピオンシップ・レスリング
パシフィック・ノースウエスト・レスリング
  • NWAパシフィック・ノースウエスト・ヘビー級王座:4回[21]
  • NWAパシフィック・ノースウエスト・タッグ王座:2回(w / リップ・オリバー、デビッド・シェラ)[34]
セントラル・ステーツ・レスリング
  • NWAセントラル・ステーツTV王座:1回[35]
  • NWAセントラル・ステーツ・タッグ王座:1回(w / ムーンドッグ・モレッティ)[36]
ワールド・レスリング・カウンシル

脚注

外部リンク

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