ラリー・サットン
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| 基本情報 | |
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| 国籍 |
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| 出身地 | カリフォルニア州ウェストコビーナ |
| 生年月日 | 1970年5月14日(54歳) |
| 身長 体重 |
182 cm 82 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 左投左打 |
| ポジション | 一塁手、外野手 |
| プロ入り | 1992年 MLBドラフト21巡目でカンザスシティ・ロイヤルズから指名 |
| 初出場 |
MLB / 1997年8月17日 KBO / 2005年4月2日 |
| 最終出場 |
MLB / 2004年6月1日 KBO / 2007年5月19日 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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選手歴 | |
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コーチ・監督歴 | |
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この表について
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ラリー・ジェームズ・サットン(Larry James Sutton, 1970年5月14日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ウェストコビーナ出身の元プロ野球選手(外野手)、野球指導者。
プロ入りとロイヤルズ時代
1992年のMLBドラフトでカンザスシティ・ロイヤルズから21巡目(全体582位)で指名され入団[1]。
1994年、A+級ウィルミントン・ブルーロックスで129試合に出場。打率.306、26本塁打、94打点の好成績を残し、カロライナリーグのMVPに選出された。またチームはリーグ優勝を果たした[2]。
1997年にメジャー初昇格。1998年には自己最多の111試合に出場し、打率.245、5本塁打、42打点の成績を残した[1]。
1999年は43試合に出場、打率.225、2本塁打、15打点の成績の終わり、この年限りでロイヤルズを退団した[1]。
ロイヤルズ退団後
2000年から2001年まではセントルイス・カージナルス、2002年はオークランド・アスレチックス、2004年はフロリダ・マーリンズでプレーした。
メジャー通算成績は、252試合出場、572打数135安打、打率.236、12本塁打、78打点、4盗塁。
韓国球界時代
2005年にKBOリーグの現代ユニコーンズと契約。この年は129試合に出場して、打率.293、35本塁打、102打点の成績を残し、本塁打王と打点王を獲得した。またOPS(1.003)はその年のKBOリーグでトップとなり、ゴールデングラブ賞を受賞した。
ところが、翌2006年は開幕前に一緒に自主トレーニングを行ったアルバート・プホルスの打撃フォームを参考にしたことで不振に陥り、成績が急落。93試合で打率.266、18本塁打、61打点に終わり、シーズン終了後に解雇された。
2007年は起亜タイガースと契約。しかし故障のためわずか34試合の出場にとどまり、シーズン途中の5月に解雇されそのまま現役を引退した。
現役引退後
2012年にドミニカン・サマーリーグのドミニカン・サマーリーグ・パイレーツ2で監督を務めた。2014年からはパイレーツのマイナー巡回打撃コーディネーターを務める傍ら[3]、ドミニカ共和国アカデミーの責任者を務めた[4]。
2019年にカンザスシティ・ロイヤルズ傘下A+級ウィルミントン・ブルーロックスの打撃コーチに就任した[5]。
2019年10月、KBOリーグ・ロッテ・ジャイアンツの二軍監督に就任[3]。