ラ・シャトル伯爵夫人
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| フランス語: Comtesse de la Châtre 英語: Comtesse de la Châtre | |
| 作者 | エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン |
|---|---|
| 製作年 | 1789年 |
| 素材 | キャンバス上に油彩 |
| 寸法 | 114.3 cm × 87.6 cm (45.0 in × 34.5 in) |
| 所蔵 | メトロポリタン美術館、ニューヨーク |
『ラ・シャトル伯爵夫人』(ラ・シャトルはくしゃくふじん、仏: Comtesse de la Châtre、英: Comtesse de la Châtre)は、18世紀から19世紀にかけてのフランスの女性画家エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブランが1789年にキャンバス上に油彩で制作した肖像画である。1954年にジェシー・ウルワース・ドナヒュー (Jessie Woolworth Donahue) から寄贈されて以来[1]、ニューヨークのメトロポリタン美術館に所蔵されている[1][2]。
ヴィジェ=ルブランは、最初パステル画家であった父から絵画を習った。その後、風景画家クロード・ジョセフ・ヴェルネの強い推薦もあり、パリの王立絵画彫刻アカデミーに入会を許された数少ない女性画家の1人となる。彼女は肖像画を得意としたが、肖像画は、社会的に女性にふさわしいとされていた[3]。
まもなく影響力のあるパトロンたちの眼に留まったヴィジェ=ルブランの才能は、フランス、ロシア、オーストリア、イタリアの王室に知られるようになる。中でも、フランス王妃マリー・アントワネットは、彼女がお気に入りであった。700点ほどの肖像画を描いた彼女は当時、数少ない女性職業画家として自立した生活を送ることができた[3]が、その最も華やかな時期はフランス革命以前のアンシャン・レジーム (旧体制) 時代最後の時期である[4]。
作品
本作は、フランス革命が起きたためにヴィジェ=ルブランがフランスから逃亡した1879年に描かれた。モデルの女性は、ルイ・ラ・シャルトル伯爵の妻、ボンタン家出身のマリー・シャルロット・ルイーズ・ペレット・アグラエ (Marie Charlotte Louise Perrette Aglaé) である[2][5]。ラ・シャトル伯爵は1792年に亡命し、翌年アグラエと離婚した。その後、アグラエは長年の恋人で会ったフランソワ・アルナイユ・ド・ジョクール (後のド・ジョクール侯爵) と結婚したが、本作は彼のために描かれたものと推測される[2]。
ラ・シャトル伯爵夫人は美しく着飾っており、その衣服から富裕階級の女性であることがわかる[2]。彼女は当時流行したドレスを纏っているが、その繊細な生地には1783年ごろにフランス王妃マリー・アントワネットが広めた小枝模様の白いモスリンが用いられている[1][2]。特にリボンで縁取りされた大きなつばのある麦わら帽子と組み合わせたものは、イギリス流の着こなしであった。このような帽子は、ジョシュア・レノルズやジョージ・ロムニーといったイギリスの画家たちの絵画に好んで描かれている[2]。
伯爵夫人は身体をやや傾けながら、物憂げな風情で鑑賞者の方に眼差しを向けている。手にしている本、レースの袖口、ビロードの豪華なクッションの上に置かれた手入れの行き届いた手は、優美な静物画のように仕上げられている[2]。