マリー・アントワネットを描いている自画像

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製作年1790年
寸法100 cm × 81 cm (39 in × 32 in)
マリー・アントワネットを描いている自画像
イタリア語: Autoritratto mentre dipinge Maria Antonietta
英語: Self-Portrait Painting Marie Antoinette
作者エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン
製作年1790年
素材キャンバス上に油彩
寸法100 cm × 81 cm (39 in × 32 in)
所蔵ウフィツィ美術館フィレンツェ

マリー・アントワネットを描いている自画像』(マリー・アントワネットをえがいているじがぞう、: Autoritratto mentre dipinge Maria Antonietta: Self-Portrait Painting Marie Antoinette)は、18世紀から19世紀にかけてのフランスの女性画家エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブランが1790年にキャンバス上に油彩で制作した絵画である。画家が1789年のフランス革命を避けてフランスから逃亡したローマで描かれた。赤い帯の付いた黒いのドレスを身に着け、輪郭を描いた肖像の前で絵筆を止めているヴィジェ=ルブランを表しており、ロココ的な優美さを新古典主義的な明快さと融合させている。ヴィジェ=ルブランは、フランス王妃マリー・アントワネットへの支持を表すためにこの絵画を構想した[1]。また、彼女は、トスカーナ大公が所有していた画家の自画像ギャラリーのために絵画を贈ることを意図していた[2]。作品は現在、フィレンツェウフィツィ美術館に所蔵されている[1][3]

アンゲリカ・カウフマン『自画像』 1770–1775年、ウフィツィ美術館

パリから逃げたヴィジェ=ルブランは、1789年11月にイタリアに到着した。彼女はウフィツィ美術館を訪れ、17世紀にレオポルド・デ・メディチが創設した自画像コレクションに魅惑された[4]。とりわけ、彼女が非常に才能を称賛したアンゲリカ・カウフマンの自画像に感化された。また、ヴィジェ=ルブランは、2人ともが成功した若き天才であり、彼女たちを経済的に破滅させた自由主義者たちと結婚したという点でカウフマンに共感を覚えていた[2]

ウフィツィ美術館の関係者は、ヴィジェ=ルブランに彼女の自画像を美術館のコレクションに加えるよう誘った[3][4]。彼女がこの申し出の際に覚えた名誉感と劣等感は、自画像コレクション中の当時の画家たちの作品と比較すると、彼女が自身の学識の欠如を本作において認めていることで明らかである[2]。ヴィジェ=ルブランは、1789年12月に在ローマ・フランス・アカデミーの本拠地であったローマのマンチーニ宮殿 (Palazzo Mancini) で作品に取り掛かった。「ローマに到着してすぐに、私はフィレンツェのギャラリーのための自画像を制作した。手にパレットを持ち、王妃を白いチョークでキャンバスに描いている自分の姿を描いた」と述べている[5]。この作品を仕上げるのには、1ヵ月半かかった[4]

1790年4月に、ヴィジェ=ルブランは、おそらく本作を携行してナポリに向かった。1791年には、ブリストル卿 (Lord Bristol) が彼女の自画像を依頼したが、その自画像ではマリー・アントワネットの代わりに彼女の娘ジュリーを描いた姿を表わすように要請した[4]。ふたたびローマに戻った後、ヴィジェ=ルブランは、この自画像をフィレンツェに送った[4]。絵画は熱烈に迎えられ、彼女はローマのサン・ルカ・アカデミーから称賛を受けている[1]。1792年4月に、彼女は自身の自画像を見るためにウフィツィ美術館を訪問したが、それがあまりに高い位置に掛けられていたこと、そして周りの絵画にあまりに接近していたことに落胆している[4]

作品

内容

ヴィジェ=ルブラン『ジュリーとの自画像』1786年、ルーヴル美術館パリ
レンブラント二つの円のある自画像』1665-1669年、ケンウッド・ハウスロンドン

ヴィジェ=ルブランは、自身を以前の彼女の自画像 (『ジュリーとの自画像』など) に特徴的な暖かで魅惑的な笑顔で提示している。彼女は鑑賞者を見つめ、優美な黒い絹のドレスを纏っている。ドレスは彼女の高くなった地位を表しており、その地位は腰に着けた鮮やかな赤い帯によってもいっそう強調されている。彼女の茶色の髪の毛の上にはターバンのような布の被り物が着けられ、レンブラントの自画像によく見られる頭部の被り物を想起させる[1]

簡素な黒いドレスは、ヴィジェ=ルブランの優美な首の曲線を強調するレースのカラーと対照的である[2](p82)。彼女は、白いチョークで輪郭を表したマリー・アントワネットが描かれたキャンバスの前に立っている。彼女は、かつてマリー・アントワネットの公式画家であった。左手で一束の絵筆とパレットを持つ一方、右手は絵筆をキャンバスに置く直前の状態で描かれている[4](p142)

様式

本作におけるヴィジェ=ルブランの様式は、イタリア絵画、とりわけ18世紀初めのボローニャ派にインスピレーションを得ている[4]。彼女は、ロココ様式と新古典主義様式の過渡期に絵画制作をし、両方の要素を取り入れている[2]

材料と技法

本作は、キャンバス上に油彩で描かれている。光と影の間のスムーズなグラデーションを生み出すために、アナグマの毛の絵筆が用いられている。ヴィジェ=ルブランは、レースやリネンの部分にはたっぷりと絵具を含んだ筆致を用い、より大きな三次元性を生むために絵具を厚塗りしている。限定された色彩が用いられ、画面中の光に照らされた部分を強調している[4]

解釈

故国フランスを逃亡する困難を経験した後に、ヴィジェ=ルブランは本作を委嘱されたが、彼女の唇に浮かぶ微かな笑みは清々しさと優美さのみを明らかにしている[2]。彼女は、後の『回顧録」でローマに到着した時の自身の感情を以下のように表した。

私は、もはや描けなかった。かくも恐ろしい経験で傷つけられ、壊れてしまった私の精神は、芸術に対して完全に閉ざされてしまった[5]

彼女が自身を描くのに選択した落ち着きは、彼女が認めた恐怖も絶望も示唆しておらず、むしろ静かな反抗心と自信を示唆している[2]。批評家たちは、ヴィジェ=ルブランの自画像はしばしば自負心を示しており、レンブラントの自画像に見られる内省的な面が欠如していると指摘している[2]

キャンバス上の薄い色のチョークによるマリー・アントワネットの輪郭は、ヴィジェ=ルブランが王妃の公式画家であることを想起させるものである。王妃を描いていることは、フランス革命の政治的混乱の中でヴィジェ=ルブランが王妃に対して変わらぬ忠誠心を持っていることを明確にしている[2]。王妃を描く自身の姿を表わすことで、画家はフランス王家とのつながりも再確認している[4]

脚注

参考文献

外部リンク

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