リーステ
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| 紋章 | 地図 (郡の位置) |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 連邦州: | ニーダーザクセン州 |
| 郡: | オスナブリュック郡 |
| ザムトゲマインデ: | ザムトゲマインデ・ベルゼンブリュック |
| 緯度経度: | 北緯52度29分06秒 東経08度00分43秒 / 北緯52.48500度 東経8.01194度座標: 北緯52度29分06秒 東経08度00分43秒 / 北緯52.48500度 東経8.01194度 |
| 標高: | 海抜 39 m |
| 面積: | 30.59 km2 |
| 人口: |
3,701人(2023年12月31日現在) [1] |
| 人口密度: | 121 人/km2 |
| 郵便番号: | 49597 |
| 市外局番: | 05464 |
| ナンバープレート: | OS, BSB, MEL, WTL |
| 自治体コード: |
03 4 59 031 |
| 行政庁舎の住所: | Bahnhofstraße 23 49597 Rieste |
| ウェブサイト: | www.rieste.de |
| 首長: | クリスティアン・ショリューケ (Christian Scholüke) |
| 郡内の位置 | |
| 地図 | |
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リーステ (ドイツ語: Rieste) は、ドイツ連邦共和国ニーダーザクセン州オスナブリュック郡北部のザムトゲマインデ・ベルゼンブリュックを構成する町村(以下、本項では便宜上「町」と記述する)である。
位置
歴史
住民
行政
議会
リーステの町議会は15議席で構成されている[4]。
この町の町長は、2011年からゼバスティアン・ヒューデポール (CDU) が務めている。
紋章
リーステの町の紋章は、赤地に銀でラーガー門が描かれている。8本の突起がある十字は聖ヨハネ・マルタ騎士団を表している。人々は西側からこの門を通って巡礼地に入った。ラーガー門は1697年に建設されたかつての大きな門の遺構である。この建物は1864年に理由は不明だが解体された。この町は主に観光やマーケティング目的でロゴの使用も行っている。これは青と緑の波の上に様式化された「R」の文字が描かれたものである。これは、何世紀も前からこの町を支配する要素である水と、町の緑を表現している。
文化と見所
建築
巡礼地とラーゲ・コマンドリー

1245年から1810年まで聖ヨハネ・マルタ騎士団はラーゲ・コマンドリーの重要な支部を置いていた。現在の騎士修道会の建築群は三十年戦争の後に建設されたものである。その後、私的な経済的利用がなされた後、1999年に、リーステをその教区下に置くローマ=カトリックのオスナブリュック司教が騎士修道会の建物を買い取り、クラウゼン/モーゼルのドミニコ会修道院「マーテル・ドロローサ」(悲しみの聖母)の修道女にこれを委託した。これ以降、ラーゲ・コマンドリーの建物はドミニコ会女子修道院「ツーム・ゲクロイツィクテン・エアレーザー」(十字架に掛けられた救い主)となった。

修道院のほかに、現在のカトリック教区教会であり巡礼教会となっている1426年建造の洗礼者聖ヨハネ教会がある。その教会塔は1902年から1904年に建設された。この教会は3つのバロック祭壇や1733年に造られたゴシック様式のヴォールトなど豊かな調度を有している。この教会の最も重要な調度品は1300年頃に製作され、14世紀から崇拝されている等身大の「ラーゲの聖十字架像」である。信者らは重さ 134 kg のこの中世の十字架を現在も教会の周りで担ぎ、病人や死者のために祈りを捧げる。十字架に掛けられたキリストの頭には聖地の小石や記念品と言った様々な聖遺物が掛けられている。これらは包まれ、古いラベルがつけられている。さらに使徒アンドレアスやバルトロメウスの聖遺物が保管されているほか、殉教者聖ゲオルク、聖ペトロニラ、聖レギーナ、聖バルバラ、聖ゼバスティアン、聖マルガリタ、カンタベリー大司教トマス・ベケット、聖コルドュラの聖遺物がある。1987年の修復作業の際に、福者マリア・オイティミアの遺品の十字架が奉献された。
1995年からオスナブリュック司教区とその教会区では、毎年十字架挙栄祭の祝日(9月14日)またはその後の日曜日に、司教区の巡礼「病者とともに病者のために」を行うため人々が集まってくる。オスナブリュック司教または補佐司教が教会広場でミサを執り行う。礼拝の後、司教、司祭、助祭たちはそれぞれねぎらいの祝福を贈る。
福音主義ルター派のエマオ礼拝堂
リーステは昔からブラームシェ教会区 (Kirchspiel) に属していた。福音主義ルター派の信者は礼拝に参加するためにブラームシェにある教会までかなり長い道程を往復しなければならなかった。1900年、牧師のヴェプキングはこのことを不憫に想い、リーステに礼拝堂を建設したいと願った。1912年5月18日に定礎がなされ、翌1913年4月8日に礼拝堂が完成した。建設したのは、ハノーファーの教会建築マイスターのルドルフ・エーバーハルト・ヒレブラントであった。礼拝堂はエッフェルンの荒石で造られた壁で囲まれた。内部にはユーゲントシュティール様式の壁画を有している。この礼拝堂の名前の由来は、祭壇裏の窓に設えられたエマオの場面である。この窓は、フランクフルト・アム・マインのリンネマン工房によって設計と製作がなされた。


