ルキウス2世 (ローマ教皇)
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イタリアのボローニャ出身。最初はルッカで教会法学者として活躍した。1124年に教皇ホノリウス2世により司祭枢機卿に叙任され、1125年から1126年までドイツの教皇使節を務めた後は教皇庁に勤務、インノケンティウス2世のもとで侍従・司書に叙任された。1144年3月に先代のケレスティヌス2世が死去したため、跡を継いだ[1][2][3]。
ところが、ローマで勢力を拡大していた政治集団・コミューン(代弁者は対立教皇アナクレトゥス2世の兄弟ジョルダーノ・ピエルレオーニ)と対立し、ドイツ王コンラート3世やオートヴィル朝のシチリア王ルッジェーロ2世に支援を要請するも失敗。結局、自らの軍隊でコミューンの拠点だったカピトリウム襲撃を指揮したが、敵の投石で重傷を負って間もなく死去した[1][2][3][4]。
自ら軍を指揮したことから「軍人教皇」といわれている[3]。
脚注
参考文献
- 『キリスト教人名辞典』日本基督教団出版局、1986年。
- P.G.マックスウェル・スチュアート著、月森左知・菅沼裕乃訳、高橋正男監修『ローマ教皇歴代誌』創元社、1999年。
- マシュー・バンソン著、長崎恵子・長崎麻子訳『ローマ教皇事典』三交社、2000年。
- 学校法人 上智学院 新カトリック大事典編纂委員会編『新カトリック大事典 第4巻』研究社、2009年。
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