レオ・フランコ

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本名 レオナルド・ネオレン・フランコ
Leonardo Neoren Franco
ラテン文字 LEO FRANCO
生年月日 (1977-05-20) 1977年5月20日(47歳)
レオ・フランコ
名前
本名 レオナルド・ネオレン・フランコ
Leonardo Neoren Franco
ラテン文字 LEO FRANCO
基本情報
国籍 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
イタリアの旗 イタリア
スペインの旗 スペイン
生年月日 (1977-05-20) 1977年5月20日(47歳)
出身地 サン・ニコラススペイン語版
身長 188cm
体重 83kg
選手情報
ポジション GK
利き足 右足
ユース
アルゼンチンの旗 インデペンディエンテ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1995-1997 アルゼンチンの旗 インデペンディエンテ 2 (0)
1997-1998 スペインの旗 メリダ 0 (0)
1998-1999 スペインの旗 マジョルカB 23 (0)
1999-2004 スペインの旗 マジョルカB 148 (0)
2004-2009 スペインの旗 アトレティコ・マドリード 153 (0)
2009-2010 トルコの旗 ガラタサライ 26 (0)
2010-2014 スペインの旗 サラゴサ 67 (0)
2014-2015 アルゼンチンの旗 サン・ロレンソ 3 (0)
2015-2016 スペインの旗 ウエスカ 28 (0)
通算 450 (0)
代表歴
1997 アルゼンチンの旗 アルゼンチン U-20 6 (0)
2004-2006 アルゼンチンの旗 アルゼンチン 4 (0)
監督歴
2018 スペインの旗 ウエスカ
1. 国内リーグ戦に限る。2018年5月28日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

レオ・フランコ (Leo Franco) こと、レオナルド・ネオレン・フランコ(Leonardo Neoren Franco, 1977年5月20日 - )は、アルゼンチンブエノスアイレス州出身の元サッカー選手。元アルゼンチン代表。サッカー指導者。ポジションはゴールキーパー

1997年にプリメーラ・ディビシオンCPメリダに移籍したが、コロンビア代表カルロス・モントーヤの牙城を崩せなかった。CPメリダが1997-98シーズン限りでセグンダ・ディビシオン(2部)に降格したため、1998年夏にRCDマヨルカに移籍した。1998-99シーズンはリザーブチームで過ごし、セグンダ・ディビシオンB(3部)への降格を経験したが、その後トップチームに昇格すると同胞のカルロス・ロアを差し置いてレギュラーポジションを獲得し、2000-01シーズンには27試合に出場してクラブ史上最高位の3位躍進に貢献した。2002-03シーズンにはコパ・デル・レイ優勝を果たした。

2004年ヘルマン・ブルゴスの後継者を探していたアトレティコ・マドリードと5年契約を交わし[1]、すぐにレギュラーポジションを獲得した。アトレティコではPKストッパーとして名をはせ、2006年3月23日セビージャFC戦での2度のPKストップや12月2日レアル・ベティス戦の2度のPKストップなど、2006-07シーズン終了までに7度のPKストップを記録している[2][3]。2007年夏にはACミランから元イタリア代表クリスティアン・アッビアーティがレンタルで加入し、2008年夏にはオリンピック・リヨンから元フランス代表のベテランGKグレゴリー・クーペが加入したが、鋭い反応と豊富な経験でポジションを死守した。2007-08シーズンはリーグ戦で4位に躍進し、2008-09シーズンに出場したUEFAチャンピオンズリーグではベスト16入りに貢献した。

2009年7月1日、契約満了にともなってアトレティコに別れを告げ、トルコガラタサライSKに移籍した[4]モルガン・デ・サンクティスの後釜としてリーグ戦26試合に出場したが、シーズン終了後に双方合意の元契約を解除した[5]

2010年7月17日に移籍金ゼロでレアル・サラゴサに2年契約で加入。スペインに舞い戻った[6]8月29日デポルティーボ・ラ・コルーニャ戦でデビューし、その試合を無失点に抑えた。その後はトニ・ドブラススペイン語版とのポジション争いが続き、最終的には23試合に出場した。2011-12シーズンになるとドブラスは移籍してロベルト・ヒメネスが加入し、彼が正GKに据えられた。結局、このシーズンはロベルトが全38試合に出場したため、控えに甘んじた。

代表経歴

1997年にはU-20アルゼンチン代表としてマレーシアで開催されたFIFAワールドユース選手権に出場し、優勝を果たした。

2004年にアルゼンチンA代表デビューした。2006年5月6日、U-20アルゼンチン代表時代の恩師ホセ・ペケルマン監督によって2006 FIFAワールドカップに出場するアルゼンチン代表メンバーに招集された。本大会ではロベルト・アボンダンシェリの控えを務めていたが、準々決勝のドイツ戦でのアボンダンシェリの負傷を受けて後半途中から急遽出場し、PK戦の末に敗れた[7]。リーグ戦ではPKストップに自信を見せていたが、このドイツ戦では一本もPKを止めることができなかった。

監督経歴

2018年7月より、SDウエスカの監督に就任した。

個人成績

2018年5月29日時点
クラブ シーズン リーグ カップ 欧州カップ 通算
出場得点出場得点出場得点出場得点
インデペンディエンテ 1995-96 10----10
1996-97 10----10
通算 20000020
メリダ 1997-98 00----00
通算 00000000
マヨルカB 1998-99 230----230
通算 2300000230
マヨルカ 1999-00 3002070390
2000-01 27050320
2001-02 2201070300
2002-03 36060420
2003-04 3302030380
通算 14801601701810
Aマドリード 2004-05 3707050490
2005-06 34020360
2006-07 32020340
2007-08 18030210
2008-09 3201080410
通算 15301201601810
ガラタサライ 2009-10 26000110370
通算 26000110370
サラゴサ 2010-11 2300000230
2011-12 00000000
2012-13406000100
2013-144000000400
通算6706000730
サン・ロレンソ2014001010
2015301040
通算30200050
ウエスカ2015-1628010290
通算28010290
総通算45003704405310

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 4試合 0得点(2004年-2006年)[8]
アルゼンチン代表国際Aマッチ
出場得点
200410
200520
200610
通算40

監督成績

脚注

外部リンク

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