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ハビエル・サネッティ

アルゼンチンのサッカー選手 From Wikipedia, the free encyclopedia

ハビエル・アデマール・サネッティJavier Adelmar Zanetti, 1973年8月10日 - )は、アルゼンチンブエノスアイレス出身の元サッカー選手。元アルゼンチン代表。ポジションはディフェンダーおよびミッドフィールダー。曾祖父母がイタリア北部のフリウーリ地方出身であり、イタリアの国籍も有するイタリア系アルゼンチン人である。現役引退後にインテル・ミラノでの背番号4番は永久欠番となり、現在はインテル・ミラノの副会長を務めている[4]

本名 ハビエル・アデマール・サネッティ
Javier Adelmar Zanetti
愛称 El Pupi (男の子)
Il Tractore
El Tractor (トラクター)
Il Capitano (キャプテンの中のキャプテン)
ラテン文字 Javier ZANETTI
概要 ハビエル・サネッティ, 名前 ...
ハビエル・サネッティ
インテル・ミラノでのサネッティ(2009年)
名前
本名 ハビエル・アデマール・サネッティ
Javier Adelmar Zanetti
愛称 El Pupi (男の子)
Il Tractore
El Tractor (トラクター)
Il Capitano (キャプテンの中のキャプテン)
ラテン文字 Javier ZANETTI
基本情報
国籍 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1973-08-10) 1973年8月10日(53歳)
出身地 ブエノスアイレス
身長 178cm[1]
体重 75kg
選手情報
ポジション DF (SB) / MF (SH, DH, CH)
利き足 右足
ユース
1991 アルゼンチンの旗 タジェレス
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1991-1992 アルゼンチンの旗 タジェレス-RE 33 (1)
1992-1995 アルゼンチンの旗 バンフィエルド 66 (4)
1995-2014 イタリアの旗 インテル・ミラノ 618 (12)
通算 717 (17)
代表歴
1996-1997  アルゼンチン U-23 7 (0)
1996  アルゼンチン・オリンピック 6 (0)
1994-2011 アルゼンチンの旗 アルゼンチン [2] 145[3] (5)
獲得メダル
アルゼンチンの旗 アルゼンチン
男子 サッカー
オリンピック
1996 アトランタサッカー
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj
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1995年からインテル・ミラノに在籍し、1999年8月29日からキャプテンを務めた。2009-10シーズンにはセリエAコッパ・イタリアUEFAチャンピオンズリーグの3冠を達成。2005-06シーズンから2009-10シーズンまでセリエA5連覇全てにキャプテンとして貢献し、イル・カピターノ(Il Capitano、キャプテンの中のキャプテン)というニックネームを授かった。2010年10月20日、UEFAチャンピオンズリーグトッテナム・ホットスパー戦では同大会の最年長得点記録を更新した。イタリアのクラブでプレーするイタリア国外出身選手としては最多となる公式戦出場記録(857試合)を保持している。アルゼンチン代表としてはアトランタオリンピック、2度のFIFAワールドカップ、4度のコパ・アメリカに出場している。アルゼンチン代表最多出場記録を保持していたことがある。

アルゼンチンではエル・プピ (El Pupi) というニックネームで呼ばれ、その屈強さ、弾力性、スタミナ、右サイドバックを務めた時の攻撃性能などから、イタリアではイル・トラクトーレ(Il Tractore=トラクター、スペイン語でEl Tractor エル・トラクトルとも)と呼ばれる。ユーティリティ性で知られており、左右両サイドのディフェンダー・ミッドフィールダーとしてプレーすることができた。本来のポジションは守備的ミッドフィールダーやセントラル・ミッドフィールダーであるが、晩年は右サイドハーフでプレーすることが多かった[5]。アルゼンチン代表では右サイドバックを務め、攻撃と守備の双方で活躍した。2015-16シーズンは、UEFA ヨーロッパリーグ決勝アンバサダーを務めた。

クラブ経歴

インテルでキャプテンとしてプレーするサネッティ

アルゼンチン時代

ブエノスアイレスに生まれ、港湾区域のドック・スド地区で育った。兄の影響でサッカーを始め、13歳の時にCAインデペンディエンテの下部組織に入団したが、実力不足の評価を受けて退団。学校に行きながら煉瓦工の父親の仕事を手伝い、さらに牛乳配達や従兄弟の食料雑貨店の店番として働いたが、サッカーへの情熱も忘れなかった。1991年、当時はプリメーラB・ナシオナル(2部)のクラブだったCAタジェレススペイン語版と契約し、33試合に出場して1得点した。1993年にプリメーラ・ディビシオン(1部)のCAバンフィエルドに移籍。同年には後にインテルでチームメイトとなるフリオ・クルスもバンフィエルドに加入している。20歳のサネッティは1993年9月12日のCAリーベル・プレート戦で移籍後初出場し、17日後のニューウェルズ・オールドボーイズ戦 (1-1) で移籍後初得点を挙げた。傑出した活躍でサポーターの人気を得て、アルゼンチン代表にも初招集された。リーベルとボカ・ジュニアーズが獲得を狙ったが、サネッティはバンフィエルドに残留し、バンフィエルドでは通算66試合出場4得点の記録を残した。

インテル

1995年にイタリア・セリエAインテルに移籍した。同年に就任したマッシモ・モラッティ会長が獲得した最初の選手となり、同時にセバスティアン・ランベルもインデペンディエンテからインテルに移籍している。8月27日、スタディオ・ジュゼッペ・メアッツァで行われたヴィチェンツァ・カルチョ戦でデビュー。2011-12シーズン終了時点で16個のタイトルを獲得しているが、このうちの15個はキャプテンとして獲得したものである。獲得したタイトルは1個のUEFAカップ (1997-98) 、4個のコッパ・イタリア(2004-05・2005-06・2009-10・2010-11)、4個のスーペルコッパ・イタリアーナ(2005・2006・2008・2010)、5個のセリエA(2005-062006-072007-082008-092009-10)、1個のUEFAチャンピオンズリーグ (2009-10) 、1個のFIFAクラブワールドカップ (2010) である。2009-10シーズンにはイタリアのクラブとして初めて3冠(セリエA、コッパ・イタリア、UEFAチャンピオンズリーグ)を達成した。

1997-98シーズンにはUEFAカップで優勝。決勝のSSラツィオ戦ではペナルティエリア外からのシュートでチームの2点目を記録した。この際にラツィオに所属していたロベルト・マンチーニは後にインテルの指揮を執っている。1999年にはジュゼッペ・ベルゴミが現役引退し、サネッティがキャプテンを引き継いだ。2000年にはリーガ・エスパニョーラレアル・マドリードへの移籍を考えたが、モラッティ会長と話し合ってインテル残留を決めた[6]。2004年、国際サッカー連盟 (FIFA) 100周年を記念してペレが選出したFIFA 100(偉大なサッカー選手125人)に選出された。2004-05シーズンにはコッパ・イタリアで優勝。リーグ王者のユヴェントスFCを破ってスーペルコッパ・イタリアーナのタイトルを獲得した。

2005年8月28日のトレヴィーゾFC戦で右足の筋肉を断裂し、3ヶ月の欠場を余儀なくされたが、2005-06シーズンにはコッパ・イタリアで2連覇を達成。カルチョ・スキャンダルによってユヴェントスのスクデットが剥奪され、インテルが繰り上がりでリーグタイトルを獲得した。スーペルコッパでは延長戦の末にASローマを下して2連覇を達成した。2006年9月4日には、インテルの元キャプテンであり元会長でもあったジャチント・ファッケッティが死去。その直後に行われた2006-07シーズンのセリエA開幕戦では、「貴方は人としてあるべき姿だった。いなくなって寂しいよ...さようなら ジャチント」と刺繍を施したキャプテンマークを巻いて出場した。2002年11月6日のエンポリFC戦以降は約4年に渡って得点がなかったが、2006年11月5日のアスコリ・カルチョ戦で久々に得点した[7]。同年夏にマイコンが加入すると、それまで主に右サイドバックを務めていたサネッティはサイドハーフにコンバートされたが、見事に適応してレギュラーを張り続けた[5]。9月27日、バイエルン・ミュンヘン戦でインテルでの公式戦通算500試合出場を達成した[8]。2006年11月22日、スポルティングCP戦で欧州サッカー連盟 (UEFA) 主催大会通算100試合出場を達成した[9]。2006-07シーズンにはリーグ戦で2連覇を達成。

2007年11月24日、ジュゼッペ・メアッツァで開催されたアタランタBC戦で、セリエA通算400試合出場を達成。「400」と大書されたキャプテンマークを巻いて試合に出場した。2008年9月、昇格組のUSレッチェ戦 (1-0) でインテルでの公式戦出場600試合を達成。試合後、副キャプテンのイバン・コルドバに記念皿をプレゼントされた[10]。2008年2月に行われた2位ローマとの直接対決 (1-1) では、88分に同点ゴールを決めて引き分けに持ち込んだ。最終節までもつれた優勝争いを制して3連覇を達成。2007-08シーズンはチームで唯一全38試合に出場したが、イエローカードは1枚も受けなかった。2008年8月24日、ジュゼッペ・メアッツァで開催されたスーペルコッパのローマ戦はPK戦までもつれたが、最後はサネッティがPKを決め、インテルが2-2 (PK 6-5) で勝利した。これはクラブ・代表通じて自身初のPKであったが、「多分、誰も知らないだろうけど、僕がPKを蹴るのは人生で初めてのことだったんだ。幸いにも、上手くいったよ」と語った。9月24日のUSレッチェ戦でインテルでの公式戦出場600試合を達成。サネッティはディフェンダーに分類されることが多いが、2008-09シーズン前半戦はエステバン・カンビアッソサリー・ムンタリなど中盤の選手に負傷者が続出したため、ジョゼ・モウリーニョ監督は10月のジェノアCFC戦やACFフィオレンティーナ戦などで、サネッティを再び中盤で起用した。これ以来、モウリーニョ監督はマイコン、ルシオワルテル・サムエルクリスティアン・キヴを4バックのレギュラーに据え、サネッティは主に中盤で起用された。同シーズンには4連覇を達成。2シーズン連続でリーグ戦全38試合に出場した。

2009-10シーズンは自身もクラブも好調なスタートを切り、特にミラノダービーではライバルのACミランを4-0で粉砕した。10月17日のジェノアCFC戦 (5-0) では相手のボールを奪ってカウンターの起点となり、チームの2点目に貢献[11]。同シーズンのセリエAで初めて5点差の勝利を挙げた10月24日のカルチョ・カターニア戦 (2-1) はセリエA通算476試合目の出場となり、クラブ歴代2位のジャチント・ファッケッティの記録に並んだ。サネッティはまた、公式戦149試合連続出場のクラブ記録も保持している[12]。2010年3月27日、ローマ戦でイエローカードを貰い、累積警告で翌節のボローニャFC戦は出場停止となったため、リーグ戦連続出場が137試合で途絶えた[13]。4月16日、ユベントスとのイタリアダービーに出場し、インテルでのリーグ戦出場500試合を達成した[14]。セリエA最終節、スタディオ・アルテミオ・フランキで行われたACシエーナ戦では、得意のドリブルからペナルティエリア内のディエゴ・ミリートへパスし、ミリートの得点が決勝点となって優勝が決定。セリエAでは5連覇を達成し、コッパ・イタリアでも優勝した。UEFAチャンピオンズリーグでも順調に勝ち上がり、決勝ではバイエルン・ミュンヘン(ドイツ)を2-0で破って45年ぶりの優勝を果たした。決勝はインテルでの700試合目という節目の試合だった。キャプテンとしてビッグイヤーを掲げ、3冠を達成。

2010年夏、インテルとの契約を2013年まで延長した。37歳71日だった2010年10月20日、サン・シーロで行われたUEFAチャンピオンズリーグのトッテナム・ホットスパーFC戦 (4-3) で先制点を挙げ、同大会での最年長得点記録を塗り替えた[15]。なお、この記録は後にACミランのフィリッポ・インザーギマンチェスター・ユナイテッドFCライアン・ギグスによって塗り替えられている。サネッティは同大会で2点しか挙げておらず、最初の得点は1998年12月のSKシュトゥルム・グラーツ戦 (2-0) で挙げたものだった。12月には日本で開催されたFIFAクラブワールドカップ2010に出場し、準決勝の城南一和天馬戦では同大会史上最年長(37歳4ヶ月)で得点を挙げた。2011年1月19日のACチェゼーナ戦でセリエAでの出場試合数を520試合とし、ベルゴミが保持する歴代最多出場記録(519試合)を塗り替えた。5月11日、コッパ・イタリア準決勝のローマ戦セカンドレグで、プロ通算1000試合出場を達成した。2011-12シーズン、セリエAの20クラブでイタリア人以外がキャプテンを務めたのはインテルのみであった。11月20日のノヴァーラ・カルチョ戦で、ベルゴミが保持していた公式戦最多出場記録を更新した。12月3日のウディネーゼ・カルチョ戦でキャリア2度目の退場処分を受けたが、キャリア初の退場は1999年2月17日、コッパ・イタリアのパルマAC戦であり、12年以上も退場処分を受けなかった。2011-12シーズン終了時点で、17人もの監督の下でプレーしている。2012年8月23日、UEFAヨーロッパリーグ予選プレーオフ、FCヴァスルイ戦でインテルでの公式戦出場800試合を達成した。

代表経歴

アルゼンチン代表でプレーするサネッティ

1994年にアメリカで開催された1994 FIFAワールドカップ後、右サイドバックの人材を求めていたダニエル・パサレラ監督によってアルゼンチン代表に招集され、1994年11月16日のチリ戦でデビューを飾った。なお、同じ試合でロベルト・アジャラも代表デビューを飾っている。1996年にはU-23アルゼンチン代表としてアトランタオリンピックに出場し、アルゼンチンの準優勝に大きく貢献。1998年には、フランスで開催された1998 FIFAワールドカップ本大会のメンバーに選出された。決勝トーナメント1回戦のイングランド戦では、前半終了間際にフアン・セバスティアン・ベロンのフリーキックから2-2となる同点ゴールを決め、アルゼンチンはPK戦 (4-3) の末にイングランドに勝利したが、準々決勝でオランダに敗れた。

2002年には日本と韓国で共催された2002 FIFAワールドカップに出場したが、マルセロ・ビエルサ監督のチームはグループ3位でグループリーグ敗退に終わった。2005年にはFIFAコンフェデレーションズカップ2005に出場し、準決勝のメキシコ戦で代表100キャップを達成。さらにこの試合ではマン・オブ・ザ・マッチに選出された[16][17]2006 FIFAワールドカップ・南米予選ではホセ・ペケルマン監督によって12試合に起用されたが、ドイツで開催された2006 FIFAワールドカップ本大会では、世代交代を理由にワルテル・サムエルとともに選外となったため、議論を呼んだ[18]。サネッティの代わりにはリオネル・スカローニがサプライズ選出されたが、この選出は多くのファンやメディアを困惑させた。

2006 FIFAワールドカップ後に就任したアルフィオ・バシーレ監督は、2007年2月7日のフランスとの親善試合にサネッティを招集。この代表復帰戦で見事な活躍を見せ、ハビエル・サビオラの決勝点をアシストしてバシーレ監督政権下初勝利に貢献した[19]。2007年のコパ・アメリカ2007では同大会4回目の出場を果たし、キャプテンのアジャラを補佐する副キャプテンとして準優勝に貢献。2007年4月、National Giuseppe Prisco Awardに出席した[20]。コパ・アメリカ2007終了後にアジャラが代表引退すると、キャプテンマークはサネッティに渡された。2007年11月17日に行われた2010 FIFAワールドカップ・南米予選ボリビア戦は116試合目の出場となり、アジャラが保持していたアルゼンチン代表最多出場記録(115試合)を塗り替えた[21]。2008年10月にディエゴ・マラドーナ監督が就任すると、マラドーナ監督の意向でハビエル・マスチェラーノがキャプテンに就任し[22]、サネッティではなくマンチェスター・シティFCパブロ・サバレタがレギュラーとして起用された。南アフリカで開催された2010 FIFAワールドカップ本大会ではエステバン・カンビアッソとともに選外となり、マラドーナ監督は南米だけでなくヨーロッパの識者からも強い批判を浴びた。サネッティの代わりに30歳のアリエル・ガルセがサプライズ選出されたが[23]、ガルセは過去5年間で2度しか代表に招集されたことがなく、本大会では出場機会なしに終わっている。

2010年8月20日、セルヒオ・バティスタ新監督は再びサネッティを招集し、9月7日のスペインとの親善試合で約1年ぶりの出場を果たし、世界王者相手に4-1で勝利した[24]。10月に日本の埼玉スタジアム2002で行われた日本との親善試合にも招集されたが、試合前に負傷離脱した[25]。2011年6月25日、母国開催となったコパ・アメリカ2011のメンバーに選出されたが、チームはグループリーグで苦戦。辛うじてグループリーグを突破したものの、準々決勝でウルグアイにPK戦の末敗れた。サネッティ自身は全4試合にフル出場している。

人物

敬虔なカトリックである。インテルでチームメイトだったヴェスレイ・スナイデルとは親友であり、スナイデルはサネッティの影響でカトリックに改宗した[26]。サッカー選手になっていなければ歌手になっているかも、と語るくらいには歌う事が好きなようで、2004年にAICがチャリティでリリースしたCD、"Un occhio di riguardo"内のインテル所属選手による楽曲"Balliamo sul mondo"(原曲:Ligabue)では、真剣且つ楽しげに歌うサネッティの姿を、当時レコーディング動画で見ることが出来た。また、毎年クラブ内で行われていたクリスマスパーティ等ではチームメイトとカラオケを楽しむ様子が、インテルの公式HPに掲載される事も度々あった。2007年、イタリア人歌手のミーナとコラボレートして「Parole parole」という曲をスペイン語でカバーし、彼女の「Todavía」というアルバムに収録された。2012年5月、サネッティとアンジェロ・パロンボはテレビの人気番組である「インドネシアン・アイドル」(Indonesian Idol) に出演し、エロス・ラマゾッティのPiù bella cosaという曲を生演奏した[27][28]。2003年、01~03シーズンまで共にプレーしていたネルソン・ビバスアンドレス・グリエルミンピエトロと3人でミラノのNavigli地区にエル・ガウチョ(El Gaucho、牧童)という名前のアルゼンチン料理のレストランをオープン。その後、エステバン・カンビアッソとブレラ地区に2軒目の共同経営となるレストラン、ボティネロ(Botinero、靴職人)をオープンした。2019年10月15日にはスタディオ ジュゼッペ メアッツァから2km程のホテル、シェラトン ミラノ サンシーロ内にエル・パティオ・デル・ガウチョ(El Patio Del Gaucho、ガウチョの中庭)をオープンし、現在3店舗のリストランテを経営している。

家族

兄のセルヒオ・サネッティもサッカー選手であり、ディフェンダーとしてプレーした。インテルで5シーズンの間チームメイトだったイタリア人のクリスティアーノ・ザネッティとは同姓であるが、血縁関係はない。

1999年12月23日、7年間交際した女性とアルゼンチンで結婚式を挙げた。ふたりの出会いはサネッティが19歳・妻が14歳の時であった。妻の父親は大学教師であり、妻自身はフォトグラファーとして働いている。ふたりはコモ湖の近くに住んでおり、2005年6月11日、第1子となる長女が誕生した。2008年には第2子となる長男が誕生し、2012年5月9日には第3子となる次男が誕生した。

22-23シーズンに於いて、スペイン テルセーラ・ディビシオン(5部相当)のラシン・ムルシアFCに所属するフェデリコ・ダミアン・サネッティ(FW)は甥である。

チャリティ活動

国際サッカー連盟 (FIFA) がアルゼンチンで行っているSOS子供の村の親善大使である[29]。2001年の経済危機後、サネッティ夫妻はアルゼンチンとラテンアメリカのストリートチルドレンを助けるためにPUPI財団を設立した。インテルでチームメイトのエステバン・カンビアッソとともに、「Leoni di Potrero」(空き地の獅子)という少年サッカースクールを企画運営している[30]

個人成績

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クラブ シーズン 背番号 国内リーグ 国内カップ 国際カップ1 その他2 通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
タジェレス 1992-93 - 33 1 33 1
通算 33 1 33 1
バンフィエルド 1993-94 11 37 1 37 1
1994-95 4 29 3 29 3
通算 66 4 66 4
インテル 1995-96 4 32 2 5 0 2 0 39 2
1996-97 33 3 5 1 12 0 50 4
1997-98 28 0 4 0 9 2 41 2
1998-99 34 3 5 0 9 1 2 0 50 4
1999-00 34 1 8 1 1 0 43 2
2000-01 29 0 1 0 4 0 34 0
2001-02 33 0 1 1 10 1 44 2
2002-03 34 1 1 0 18 0 53 1
2003-04 34 0 5 0 12 0 51 0
2004-05 35 0 3 0 11 0 49 0
2005-06 25 0 5 0 8 0 1 0 39 0
2006-07 37 1 4 0 8 0 1 0 50 1
2007-08 38 1 4 0 8 0 1 0 51 1
2008-09 38 0 4 0 8 0 1 0 51 0
2009-10 37 0 4 0 13 0 1 0 55 0
2010-11 35 0 5 0 8 1 4 1 52 2
2011-12 34 0 2 0 8 0 1 0 45 0
2012-13 33 0 4 0 11 0 0 0 48 0
2013-14 12 0 1 0 0 0 0 0 13 0
通算 615 12 71 3 159 5 13 1 858 21
キャリア通算 714 17 71 3 159 5 13 1 957 26
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1UEFAチャンピオンズリーグUEFAヨーロッパリーグ
2セリエAプレーオフ、スーペルコッパ・イタリアーナUEFAスーパーカップFIFAクラブワールドカップ

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 143試合 5得点(1994年-2011年)[31][32]
さらに見る アルゼンチン代表, 国際Aマッチ ...
アルゼンチン代表国際Aマッチ
出場得点
199420
1995151
199650
199740
199892
1999110
200070
200190
200260
200381
2004141
2005100
200600
2007150
2008110
200980
201020
201170
通算1435
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出場試合と得点

アルゼンチンの得点を左側に示している

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代表での出場試合と得点
#日付場所対戦相手最終結果大会得点
1994年
111月16日サンティアゴチリの旗 チリ3-0親善試合
212月21日ブエノスアイレスルーマニアの旗 ルーマニア1-0親善試合
312月27日ブエノスアイレスユーゴスラビアの旗 ユーゴスラビア1-0親善試合
1995年
41月8日リヤド日本の旗 日本5-1キング・ファハド・カップ1995
51月10日リヤドナイジェリアの旗 ナイジェリア0-0キング・ファハド・カップ1995
61月13日リヤドデンマークの旗 デンマーク0-2キング・ファハド・カップ1995決勝
72月14日メンドーサブルガリアの旗 ブルガリア4-1親善試合
85月13日ヨハネスブルグ南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国1-1親善試合
95月31日コルドバペルーの旗 ペルー1-0親善試合
106月14日ロサリオパラグアイの旗 パラグアイ2-1親善試合
116月22日メンドーサスロバキアの旗 スロバキア6-0親善試合1
126月30日キルメスオーストラリアの旗 オーストラリア2-0親善試合
137月8日パイサンドゥボリビアの旗 ボリビア2-1コパ・アメリカ1995
147月11日パイサンドゥチリの旗 チリ4-0コパ・アメリカ1995
157月17日リベーラブラジルの旗 ブラジル2-2コパ・アメリカ1995
169月20日マドリードスペインの旗 スペイン1-2親善試合
1710月11日ブエノスアイレスコロンビアの旗 コロンビア0-0親善試合
1811月8日ブエノスアイレスブラジルの旗 ブラジル0-1親善試合
1996年
194月24日ブエノスアイレスボリビアの旗 ボリビア3-11998 FIFAワールドカップ・南米予選
206月2日キトエクアドルの旗 エクアドル0-21998 FIFAワールドカップ・南米予選
216月20日トゥクマンポーランドの旗 ポーランド2-0親善試合
227月7日リマペルーの旗 ペルー0-01998 FIFAワールドカップ・南米予選
239月1日ブエノスアイレスパラグアイの旗 パラグアイ1-11998 FIFAワールドカップ・南米予選
2412月15日ブエノスアイレスチリの旗 チリ1-11998 FIFAワールドカップ・南米予選
1997年
257月6日アスンシオンパラグアイの旗 パラグアイ2-11998 FIFAワールドカップ・南米予選
267月20日ブエノスアイレスベネズエラの旗 ベネズエラ2-01998 FIFAワールドカップ・南米予選
279月10日サンティアゴチリの旗 チリ2-11998 FIFAワールドカップ・南米予選
289月12日ブエノスアイレスウルグアイの旗 ウルグアイ0-01998 FIFAワールドカップ・南米予選
1998年
294月29日リオデジャネイロブラジルの旗 ブラジル1-0親善試合
305月14日コルドバボスニア・ヘルツェゴビナの旗 ボスニア・ヘルツェゴビナ5-0親善試合1
315月19日メンドーサチリの旗 チリ1-0親善試合
325月25日ブエノスアイレス南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国2-0親善試合
336月14日トゥールーズ日本の旗 日本1-01998 FIFAワールドカップ
346月21日パリジャマイカの旗 ジャマイカ5-01998 FIFAワールドカップ
356月26日ボルドークロアチアの旗 クロアチア1-01998 FIFAワールドカップ
366月30日サン=テティエンヌイングランドの旗 イングランド2-21998 FIFAワールドカップ1
377月4日マルセイユオランダの旗 オランダ1-21998 FIFAワールドカップ
1999年
383月31日アムステルダムオランダの旗 オランダ1-1親善試合
396月9日シカゴメキシコの旗 メキシコ2-2親善試合
406月13日ワシントンD.C.アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国0-1親善試合
416月26日ブエノスアイレスリトアニアの旗 リトアニア0-0親善試合
427月1日ルケエクアドルの旗 エクアドル3-1コパ・アメリカ1999
437月4日ルケコロンビアの旗 コロンビア0-3コパ・アメリカ1999
447月11日シウダー・デル・エステブラジルの旗 ブラジル1-2コパ・アメリカ1999
459月4日ブエノスアイレスブラジルの旗 ブラジル2-0親善試合
469月7日ポルト・アレグレブラジルの旗 ブラジル2-4親善試合
4710月13日コルドバコロンビアの旗 コロンビア2-1親善試合
4811月17日セビリアスペインの旗 スペイン2-0親善試合
2000年
492月23日ロンドンイングランドの旗 イングランド0-0親善試合
503月29日ブエノスアイレスチリの旗 チリ4-12002 FIFAワールドカップ・南米予選
514月26日マラカイボベネズエラの旗 ベネズエラ4-02002 FIFAワールドカップ・南米予選
526月4日ブエノスアイレスボリビアの旗 ボリビア1-02002 FIFAワールドカップ・南米予選
536月29日ボゴタコロンビアの旗 コロンビア3-12002 FIFAワールドカップ・南米予選
547月19日ブエノスアイレスエクアドルの旗 エクアドル2-02002 FIFAワールドカップ・南米予選
557月26日サンパウロブラジルの旗 ブラジル1-32002 FIFAワールドカップ・南米予選
2001年
562月28日ローマイタリアの旗 イタリア2-1親善試合
573月28日ブエノスアイレスベネズエラの旗 ベネズエラ5-02002 FIFAワールドカップ・南米予選
584月25日ラパスボリビアの旗 ボリビア3-32002 FIFAワールドカップ・南米予選
596月3日ブエノスアイレスコロンビアの旗 コロンビア3-02002 FIFAワールドカップ・南米予選
608月15日キトエクアドルの旗 エクアドル2-02002 FIFAワールドカップ・南米予選
619月5日ブエノスアイレスブラジルの旗 ブラジル2-12002 FIFAワールドカップ・南米予選
6210月7日アスンシオンパラグアイの旗 パラグアイ2-22002 FIFAワールドカップ・南米予選
6311月8日ブエノスアイレスペルーの旗 ペルー2-02002 FIFAワールドカップ・南米予選
6411月14日モンテビデオウルグアイの旗 ウルグアイ1-12002 FIFAワールドカップ・南米予選
2002年
653月27日ジュネーヴカメルーンの旗 カメルーン2-2親善試合
664月17日シュトゥットガルトドイツの旗 ドイツ1-0親善試合
676月2日カシマスタジアムナイジェリアの旗 ナイジェリア1-02002 FIFAワールドカップ
686月7日札幌ドームイングランドの旗 イングランド0-12002 FIFAワールドカップ
696月12日宮城スタジアムスウェーデンの旗 スウェーデン1-12002 FIFAワールドカップ
7011月20日埼玉スタジアム2002日本の旗 日本2-0親善試合
2003年
712月12日アムステルダムオランダの旗 オランダ0-1親善試合
726月8日長居陸上競技場日本の旗 日本4-1親善試合1
736月11日ソウル大韓民国の旗 韓国1-1親善試合
747月16日ラ・プラタウルグアイの旗 ウルグアイ2-2親善試合
759月6日ブエノスアイレスチリの旗 チリ2-22006 FIFAワールドカップ・南米予選
769月9日カラカスベネズエラの旗 ベネズエラ3-02006 FIFAワールドカップ・南米予選
7711月15日ブエノスアイレスボリビアの旗 ボリビア3-02006 FIFAワールドカップ・南米予選
7811月19日バランキージャコロンビアの旗 コロンビア1-12006 FIFAワールドカップ・南米予選
2004年
794月28日カサブランカモロッコの旗 モロッコ1-0親善試合
806月2日ベロオリゾンテブラジルの旗 ブラジル1-32006 FIFAワールドカップ・南米予選
816月27日マイアミコロンビアの旗 コロンビア0-2親善試合
826月30日イーストラザフォードペルーの旗 ペルー2-1親善試合
837月7日チクラーヨエクアドルの旗 エクアドル6-1コパ・アメリカ2004
847月10日チクラーヨメキシコの旗 メキシコ0-1コパ・アメリカ2004
857月13日ピウラウルグアイの旗 ウルグアイ4-2コパ・アメリカ2004
867月17日チクラーヨペルーの旗 ペルー1-0コパ・アメリカ2004
877月20日リマコロンビアの旗 コロンビア3-0コパ・アメリカ2004
887月25日リマブラジルの旗 ブラジル2-2コパ・アメリカ2004決勝
899月4日リマペルーの旗 ペルー3-12006 FIFAワールドカップ・南米予選
9010月9日ブエノスアイレスウルグアイの旗 ウルグアイ4-22006 FIFAワールドカップ・南米予選1
9110月13日サンティアゴチリの旗 チリ0-02006 FIFAワールドカップ・南米予選
9211月17日ブエノスアイレスベネズエラの旗 ベネズエラ3-22006 FIFAワールドカップ・南米予選
2005年
932月9日デュッセルドルフドイツの旗 ドイツ2-2親善試合
943月30日ブエノスアイレスコロンビアの旗 コロンビア1-02006 FIFAワールドカップ・南米予選
956月4日キトエクアドルの旗 エクアドル0-22006 FIFAワールドカップ・南米予選
966月8日ブエノスアイレスブラジルの旗 ブラジル3-12006 FIFAワールドカップ・南米予選
976月15日ケルンチュニジアの旗 チュニジア2-1FIFAコンフェデレーションズカップ2005
986月18日ニュルンベルクオーストラリアの旗 オーストラリア4-2FIFAコンフェデレーションズカップ2005
996月21日ニュルンベルクドイツの旗 ドイツ2-2FIFAコンフェデレーションズカップ2005
1006月26日ハノーファーメキシコの旗 メキシコ1-1FIFAコンフェデレーションズカップ2005
1016月29日フランクフルトブラジルの旗 ブラジル1-4FIFAコンフェデレーションズカップ2005決勝
10211月12日ジュネーヴイングランドの旗 イングランド2-3親善試合
2007年
1032月7日パリフランスの旗 フランス1-0親善試合
1046月2日バーゼルスイスの旗 スイス1-1親善試合
1056月5日バルセロナアルジェリアの旗 アルジェリア4-3親善試合
1066月28日マラカイボアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国4-1コパ・アメリカ2007
1077月2日マラカイボコロンビアの旗 コロンビア4-2コパ・アメリカ2007
1087月5日バルキシメトパラグアイの旗 パラグアイ1-0コパ・アメリカ2007
1097月8日バルキシメトペルーの旗 ペルー4-0コパ・アメリカ2007
1107月11日プエルト・オルダスメキシコの旗 メキシコ3-0コパ・アメリカ2007
1117月15日マラカイボブラジルの旗 ブラジル0-3コパ・アメリカ2007決勝
1128月22日オスロノルウェーの旗 ノルウェー1-2親善試合
1139月11日メルボルンオーストラリアの旗 オーストラリア1-0親善試合
11410月13日ブエノスアイレスチリの旗 チリ2-02010 FIFAワールドカップ・南米予選
11510月16日マラカイボベネズエラの旗 ベネズエラ2-02010 FIFAワールドカップ・南米予選
11611月17日ブエノスアイレスボリビアの旗 ボリビア3-02010 FIFAワールドカップ・南米予選
11711月20日ボゴタコロンビアの旗 コロンビア1-22010 FIFAワールドカップ・南米予選
2008年
1183月26日カイロエジプトの旗 エジプト2-0親善試合
1196月4日サンディエゴメキシコの旗 メキシコ4-1親善試合
1206月8日イーストラザフォードアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国0-0親善試合
1216月15日ブエノスアイレスエクアドルの旗 エクアドル1-12010 FIFAワールドカップ・南米予選
1226月18日ベロオリゾンテブラジルの旗 ブラジル0-02010 FIFAワールドカップ・南米予選
1238月20日ミンスクベラルーシの旗 ベラルーシ0-0親善試合
1249月6日ブエノスアイレスパラグアイの旗 パラグアイ1-12010 FIFAワールドカップ・南米予選
1259月10日リマペルーの旗 ペルー1-12010 FIFAワールドカップ・南米予選
12610月11日ブエノスアイレスウルグアイの旗 ウルグアイ2-12010 FIFAワールドカップ・南米予選
12710月15日サンティアゴチリの旗 チリ0-12010 FIFAワールドカップ・南米予選
12811月19日グラスゴースコットランドの旗 スコットランド1-0親善試合
2009年
1292月11日マルセイユフランスの旗 フランス2-0親善試合
1303月28日ブエノスアイレスベネズエラの旗 ベネズエラ4-02010 FIFAワールドカップ・南米予選
1314月1日ラパスボリビアの旗 ボリビア1-62010 FIFAワールドカップ・南米予選
1326月6日ブエノスアイレスコロンビアの旗 コロンビア1-02010 FIFAワールドカップ・南米予選
1336月10日キトエクアドルの旗 エクアドル0-22010 FIFAワールドカップ・南米予選
1348月12日モスクワロシアの旗 ロシア3-2親善試合
1359月5日ロサリオブラジルの旗 ブラジル1-32010 FIFAワールドカップ・南米予選
1369月9日アスンシオンパラグアイの旗 パラグアイ0-12010 FIFAワールドカップ・南米予選
2010年
1379月7日ブエノスアイレススペインの旗 スペイン4-1親善試合
13811月17日ドーハブラジルの旗 ブラジル1-0親善試合
2011年
1392月9日ジュネーヴポルトガルの旗 ポルトガル2-1親善試合
1403月26日イーストラザフォードアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国1-1親善試合
1416月20日ブエノスアイレスアルバニアの旗 アルバニア4-0親善試合
1427月1日ラ・プラタボリビアの旗 ボリビア1-1コパ・アメリカ2011
1437月6日サンタフェコロンビアの旗 コロンビア0-0コパ・アメリカ2011
1447月11日コルドバコスタリカの旗 コスタリカ3-0コパ・アメリカ2011
1457月16日サンタフェウルグアイの旗 ウルグアイ1-1コパ・アメリカ2011
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