ヴィンケルハイト
From Wikipedia, the free encyclopedia
| 紋章 | 地図 (郡の位置) |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 連邦州: | バイエルン州 |
| 行政管区: | ミッテルフランケン行政管区 |
| 郡: | ニュルンベルガー・ラント郡 |
| 緯度経度: | 北緯49度23分15秒 東経11度18分11秒 / 北緯49.38750度 東経11.30306度座標: 北緯49度23分15秒 東経11度18分11秒 / 北緯49.38750度 東経11.30306度 |
| 標高: | 海抜 427 m |
| 面積: | 6.45 km2 |
| 人口: |
4,184人(2024年12月31日現在) [1] |
| 人口密度: | 649 人/km2 |
| 郵便番号: | 90610 |
| 市外局番: | 09187 |
| ナンバープレート: | LAU, ESB, HEB, N, PEG |
| 自治体コード: |
09 5 74 164 |
| 行政庁舎の住所: | Penzenhofener Straße 1 90610 Winkelhaid |
| ウェブサイト: | www.winkelhaid.de |
| 首長: | ミヒャエル・シュミット (Michael Schmidt) |
| 郡内の位置 | |
| 地図 | |
| |
ヴィンケルハイト (ドイツ語: Winkelhaid) は、ドイツ連邦共和国バイエルン州ミッテルフランケン行政管区のニュルンベルガー・ラント郡に属する町村(以下、本項では便宜上「町」と記述する)である。
位置
この町は、ニュルンベルクの南東約 18 km、ローレンツァー・ライヒスヴァルトの東端、ミッテルフランケン盆地からミッテル・フランケンアルプへの移行部に位置している。
自治体の構成
この町は、4つのゲマインデタイル(地区)からなる[2][3]。
町域は、ペンツェンホーフとヴィンケルハイトの2つのゲマルクング(登記上の土地区分)に分けられる。ゲマルクング・ヴィンケルハイトの面積は 23.108 km2 である。このゲマルクングは 2,895 のフルールシュテュック(地所)に細分され、その平均面積は 7982.14 m2 である[4]。このゲマルクングには同名の地区の他にリヒトハウゼン、ウンゲルシュテッテンと自治体に属さない地区ヴィンケルハイトが含まれる[5]。
隣接する市町村
この町は、北から時計回りに以下の市町村と境を接している: アルトドルフ・バイ・ニュルンベルク、シュヴァルツェンブルック、フォイヒト。
河川
町域内を、以下の3本の川が流れている。
- エーベンバッハ川: 水源はヴァインホーフの西にあり、ペンツェンホーフェンの南東にある多くの池の連なりを流れた後、ハーンホーフの西でヘナーツミュールグラーベンに合流する前にガウフスバッハ川となる。この川は、レストバッハ川と同様に、夏には部分的に、あるいは全体が干上がる。エーベンバッハ川とレストバッハ川の流域は、主にライアス層(黒色ジュラ、ジュラ紀前期の岩層)と Feuerletten(赤色粘土層)で形成されている。エーベンバッハ川およびレストバッハ川の生物群集に基づく水域タイプは、「コイパー層(三畳紀後半の岩層)に由来する炭酸塩性で細粒から粗粒の物質に富む中低山地河川」のカテゴリーに相当する[6]。
- レストバッハ川(またはレスト川): 水源はヴィンケルハイト東側の農地の中にある。この川は東西に流れている。この小川は、町の中心部で堰き止められ、町役場前の池を形成している。レストバッハ川はヴィンケルハイトの西、ライヒスヴァルトの中でエーベンバッハ川に注いでいる。レストバッハ川は、町内では全域にわたって水量制御がなされ、人工的に改修されている。
- レーテンバッハ川: この川はウンゲルシュテッテンの西から流れ、全長は 21 km 強である。生物群集に基づく水域タイプは、「コイパー層に由来する細粒から粗粒の物質に富む中低山地河川」のカテゴリーに相当する[6]
地質学
この町の町域は、地質学的には主にライアス層(黒色ジュラ)により形成されている。ウンゲルシュテッテン周辺では、コイパー層およびライアス層の堆積物の上に第四紀の風成砂の層が見られる。ウンゲルシュテッテンの北東の一部では、コイパー層からFeuerletten(赤色粘土層)が露出している。トロッシンゲン層(コイパー層を細分化した区分で中部から上部よりの岩層)の Feuerletten の小規模な分布が、ヴィンケルハイト東方のエーベンバッハ川およびレスト川流域にも存在する。レーテンバッハ川沿いには、流水によって運ばれた砂を含む第四紀の谷底堆積物が見られる。
気候
ヴィンケルハイトは、冷温帯の湿潤な気候に位置している。この町は、湿潤な大西洋気候から乾燥した大陸性気候への移行部にある。ケッペン=ガイガーの気候区分によれば、ヴィンケルハイトを含むフランケン地方は、西岸海洋性気候 (Cfb) に区分される。この区分では、最も温かい月の平均気温は 22 ℃ 以下、最も寒い月の平均気温は -3 ℃ 以上である。
| ヴィンケルハイトの気候 | |||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
| 平均最高気温 °C (°F) | 2.7 (36.9) |
4.3 (39.7) |
9.0 (48.2) |
14.4 (57.9) |
18.4 (65.1) |
21.8 (71.2) |
23.6 (74.5) |
23.3 (73.9) |
18.8 (65.8) |
13.7 (56.7) |
7.6 (45.7) |
3.6 (38.5) |
13.43 (56.18) |
| 日平均気温 °C (°F) | 0.0 (32) |
0.7 (33.3) |
4.6 (40.3) |
9.6 (49.3) |
13.9 (57) |
17.4 (63.3) |
19.2 (66.6) |
18.8 (65.8) |
14.6 (58.3) |
9.9 (49.8) |
4.7 (40.5) |
1.3 (34.3) |
9.56 (49.21) |
| 平均最低気温 °C (°F) | −2.4 (27.7) |
−2.5 (27.5) |
0.7 (33.3) |
4.7 (40.5) |
9.1 (48.4) |
12.6 (54.7) |
14.4 (57.9) |
14.3 (57.7) |
10.5 (50.9) |
6.6 (43.9) |
2.4 (36.3) |
−0.8 (30.6) |
5.8 (42.45) |
| 降水量 mm (inch) | 77 (3.03) |
60 (2.36) |
71 (2.8) |
57 (2.24) |
78 (3.07) |
81 (3.19) |
84 (3.31) |
75 (2.95) |
68 (2.68) |
69 (2.72) |
76 (2.99) |
83 (3.27) |
879 (34.61) |
| 平均降雨日数 (≥1.0mm) | 10 | 8 | 10 | 9 | 9 | 9 | 10 | 9 | 8 | 9 | 9 | 11 | 111 |
| 平均日照時間 | 2.8 | 4.2 | 5.7 | 8.4 | 9.5 | 10.8 | 10.9 | 10.0 | 7.0 | 4.9 | 3.2 | 2.7 | 6.68 |
| 出典:Climate-Data[7] | |||||||||||||
土地利用
| 土地利用区分 | 面積 (ha)[8] |
|---|---|
| 住宅地 | 1021.05 |
| 農業用地 | 3015.98 |
| 森林 | 1723.42 |
| 交通用地 | 553.60 |
| 合計 | 6483.38 |
土地利用表は、農業用地の割合が 46.5 % と比較的高いことを示している。ヴィンケルハイトは、豊かな森林資源に恵まれている。森林は、全面積の 26.6 % を占める。住宅地が占める割合は 15.7 %、交通用地は 8.5 % である(2023年6月30日現在)[8]。
歴史
先史時代
約10か所の先史時代の遺跡が、20世紀末以降数十年間の先史時代研究の進展を物語っている。最も古い集落跡は、紀元前5千年紀前半の新石器時代中期にバイエルン南東部から移住した者による、ペンツェンホーフェン東の遺跡である[9]。ヴァインケルハイトの土地には青銅器時代から紀元前後の時代までヒトが繰り返し定住したようだが、出土品が少ないため、慎重な推論しかできない。ケルト時代後期には、おそらく2つの小さな集落が存在していたが、その後数世紀にわたって痕跡は途絶えた。
中世初期
最も古い集落はリヒトハウゼン集落である。その「Riuthusen」村は、おそらく9世紀にカール大帝の後継者の時代に建設され、12世紀に村の東端(現在のREWEの位置)に陶器の工房が設けられ、近世初期まで存続していたと考えられる[10]。
最初の記録
フォイヒト - アルトドルフ間の重要な街道沿いの教会の村ペンツェンホーフェンは、初めから最も重要な集落であった。この集落は、1129年のアイヒシュテットの文書で歴史の中に登場し、当時は帝国の廷臣トゥーリンハルトおよびハルトマン・フォン・ペンツェンホーフェンの所領であった[11]。
町域内で最初の定住活動は、考古学的出土品により、西暦1040年から1050年の間であったことが判っている。ヴィンケルハイトの最初の記述は1274年になされた[12]。
中世後期
ヴィンケルハイト村とリヒトハウゼン村は、古くから王領ホーフマルクト・アルトドルフに属し、1360年にナッサウ伯からニュルンベルク城伯に売却された[13]。この所領は、1393年にポンメルン公からプファルツ選帝侯の支配下に移った。選帝侯は、村や所領の支配権を有していたが、すべての農場を掌握していたわけではなかった[14]。1499年には、プファルツ選帝侯高権下のルーダースハイム管区に属するウンゲルシュテッテンに7つ、ペンツェンホーフェンに4つの地所をニュルンベルクの市民と修道院が所有していた[15]。
近世・近代
1504年のランツフート継承戦争が大きな変化をもたらした。この戦争で帝国都市ニュルンベルクは隣接するプファルツ選帝侯領のアムト・アルトドルフを占領し、支配した。これ以後ヴィンケルハイトのすべての集落とその主な権利は、新設されたニュルンベルガー・ラントに属することとなった。16世紀の初めには、ヴィンケルハイトに50軒の家があった。18世紀末のこの集落の人口は約380人であった。鉄道ニュルンベルク - フォイヒト - ヴィンケルハイト - アルトドルフ線の開通(1878年)によって、多くのヴィンケルハイト住民がニュルンベルクで職場を見つける新たなチャンスが得られた。
町村合併
バイエルン州の地域再編に伴い、1972年1月1日に廃止された自治体ペンツェンホーフェンの首邑部分がこの町に合併した[16]。
住民
行政

議会
この町の町議会は、16人の議員と第1町長で構成されている[18]。
首長
2008年5月からミヒャエル・シュミット (CSU) が第1町長を務めている。前任者は1978年から町長を務めたディートマール・トラウトマン(CSU、ニュルンベルガー・ラント郡の郡議会議員も務めた[19])である。
紋章
図柄: 赤地。緑の土地の上に金色の蜂籠。その上に銀色の十字架杖と銀色の曲尺が斜め十字に組み合わされている[20]。
解説: 曲尺 (ドイツ語: Winkel) は、「ハイデ・イム・ヴィンケル」(隅の荒れ地)に由来する町名を象徴している。蜂籠は、歴史的な養蜂業者の所領とそれに伴う養蜂業を示している。ライヒスヴァルトの環境は、そのための好適な条件を備えていた。十字架杖は、ペンツェンホーフェンの教会を献堂された聖ヨハネのアトリビュートである[20]。
姉妹自治体
文化と見どころ
建築文化財

ヨハニス教会
ペンツェンホーフェンのヨハニス教会は、1400年頃にゴシック様式で建設された。
この福音主義ルター派教会は、長方形でやや奥まった内陣を持つホール建築と尖頭を戴く印象的な西塔を特徴とする。1690年から1691年にこの建物の大規模な修復工事がなされた。塔の最上階と木組みは1948年に改修された[21]。
この教会は、アルトドルフ大学神学部の学生礼拝堂として利用されていた。神学を志す者達が、ここで最初の説教を行った[20]。
公園

ゼーダンスゲルトライン
「ゼーダンスゲルトライン」と呼ばれる緑地は、ヴィンケルハイトの中心部、ペンツェンホーファー通りとリヒトハウゼナー通りの間にある。この三角形の小さな庭園には、1648年のヴェストファーレン条約締結や1871年のドイツ帝国建国を記念した、いわゆる「記念の木」や「平和の木」が植えられている。景観を決定づける2本のハンノキと1本のオークがこの公園の中心的要素である。木立の中心に1922年に建立された戦没者慰霊碑がある。ゼーダンスゲルトラインは1910年から1995年まで自然保護区に指定されていた。
この庭園施設はバイエルン州文化財保護局により建造文化財 (D-5-74-164-30) に指定されている。
自然保護区
ヴィンケルハイトの北側にフレヒテン=キーデルンヴェルダー・ジュートリヒ・ラインブルク(ラインブルク南部の地衣類とアカマツの森)がある。北東には、自然文化財でジオトープのレーテンバッハクラム(レーテンバッハ峡谷)がある。
ヴィンケルハイトの住宅地の西側には EU-鳥類保護区「ニュルンベルガー・ライヒスヴァルト」がある[22][23]。ここでは、コケモモやセイヨウスノキを下草とする、ミズゴケ属に覆われたアカマツの森が支配的である。苔、ヒース、ごく小さな地衣類の群生が地表の植生を形成している。町域の南東部、州道2239号線沿いにオークの古木が茂る古い牧草地がある。この「ペンツェンホーフェン近郊のオークの林」は、その文化史的意義から保護景観要素に指定されている[24]。
多世代広場
2020年、町の郊外にコミュニケーションの交流の場をコンセプトとする XXL-シュピールプラッツがオープンした。
経済と社会資本
交通
ヴィンケルハイトは、北東部でアウトバーン3号線と接している。インターチェンジはアルトドルフ近郊にある。州道2239号線がパンツェンホーフェン地区とフォイヒトおよびアルトドルフとを結んでいる。
ヴィンケルハイトは、北外れの単線の駅でニュルンベルクSバーンと接続している。19.6営業キロメートル離れたニュルンベルク中央駅まで23分で運行している。
| 路線番号 | 行程 | 運行間隔 |
|---|---|---|
| ロート - ビューヒェンバッハ - レドニッツヘムバッハ - シュヴァーバッハ=リムバッハ - カッツヴァング - ライヒェルスドルファー・ケラー - ニュルンベルク=ライヒェルスドルフ - ニュルンベルク=アイバッハ - ニュルンベルク=ザントロイト - ニュルンベルク=シュタインビュール - ニュルンベルク中央駅 - ニュルンベルク=デュレンホーフ - ニュルンベルク=グライスハンマー - ニュルンベルク=ドゥッツェントタイヒ - ニュルンベルク・フランケンシュターディオン - フィッシュバッハ (ニュルンベルク) - フォイヒト - フォイヒト=モースバッハ - ヴィンケルハイト - ルーダースハイム - アルトドルフ西 - アルトドルフ 2025年12月の時刻表に基づく。 | 20/40分(ロート - シュヴァーバッハ) 20分(シュヴァーバッハ - ニュルンベルク中央駅) 20/40分(ニュルンベルク中央駅 - アルトドルフ) |
週末にはニュルンベルクから(フォイヒトで乗り換え)の夜行バスが運行している。
教育
1年生から4年生までのヴィンケルハイト/ペンツェンホーフェン基礎課程学校はヴィンケルハイトとペンツェンホーフェンに校舎があった。1957年に建設されたヴィンケルハイトの校舎は、2016年5月に取り壊された。
上級の5年生から9年生までの本課程学校はフォイヒトとアルトドルフにある。最寄りの実科学校はフォイヒトに、最寄りのギムナジウムはアルトドルフにある。
シュヴァルツァハタール市民大学の運営部がヴィンケルハイト町役場内に入居している。
