上川大樹

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ラテン文字 Daiki Kamikawa
原語表記 かみかわ だいき
国籍 日本の旗 日本
上川 大樹
基本情報
ラテン文字 Daiki Kamikawa
原語表記 かみかわ だいき
国籍 日本の旗 日本
出生地 山口県の旗山口県山口市
生年月日 (1989-11-09) 1989年11月9日(36歳)
身長 185cm
体重 156kg
選手情報
階級 男子100kg超級
段位 五段
獲得メダル
日本の旗 日本
柔道
世界柔道選手権
2010 東京無差別
世界団体
2014 チェリャビンスク90kg超級
ワールドマスターズ
2012 アルマトイ100kg超級
グランドスラム
2011 パリ100kg超級
2010 東京100kg超級
2015 東京100kg超級
アジア大会
2010 広州100kg超級
ユニバーシアード
2009 ベオグラード100kg超級
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上川 大樹(かみかわ だいき、1989年11月9日 - )は、山口県山口市出身の日本柔道家。階級は100kg超級。身長185cm、体重156kg。血液型B型組み手は右組み。段位は五段。得意技は足技[1]

5歳の時に松美柔道スポーツ少年団で柔道を始めた。山口市立良城小学校時代、2つ年下には後に73kg級の世界チャンピオンで2016年リオデジャネイロオリンピックの金メダリストとなる大野将平がいた[1][2]

山口市立鴻南中学校を経て崇徳高等学校に入学[3]、高校3年の時にインターハイ及びジュニアの体重別を制して将来性を高く評価された。明治大学進学後も一定の成績を残すものの、首脳陣が寄せる大きな期待に見合うだけの結果は必ずしも残せているとは言えなかった[1]

内股払腰など切れの良い技を持っているが、ムラがあるのが難点で[4]、全日本監督の篠原信一からは「技の切れは抜群だが、気持ちが弱い」と評されていた。また上川も「ネガティブな性格」、「みんな強いんで、試合前になると萎縮してしまう。力の差を考えてしまうんです」と述べるほどであった[5]

2010年体重別選手権では、決勝で鈴木桂治を豪快な内股で投げ飛ばすが、場外でポイントにならず、その後一本負けしたものの準優勝した。しかし、全日本選手権は予選で敗れて出場することもできなかった。7月には世界選手権の無差別代表に「ムラはあるが、一本を取れる技がある」との理由で追加選出された。また将来性を買われて起用された物でもある[1]

代表合宿では篠原監督から1番の「怒られ役」で、「上川君、帰っていいよ!」、「あいつ(上川)はグリコのおまけのおまけ」等と言われる程しごかれたという[6]。しかし全日本柔道連盟吉村和郎強化委員長は「アイツは篠原に何を言われても軽く聞き流す。甘ちゃんだけど大物」とも評した[7]

9月に東京で開催された世界選手権では準決勝で鈴木に一本勝ちすると、決勝では世界最強の男フランステディ・リネール支釣込足で何度も崩して判定勝ちで、優勝を果たした[8]

しかし、2011年2月のグランドスラム・パリでは決勝でリネールに合技で一本負けを喫した[1]。4月の体重別決勝では終了間際に鈴木から支釣込足で一本勝ちして初優勝を飾ったが、全日本選手権では2回戦で高井洋平に敗れた[1]。8月にパリで開催された世界選手権では個人戦では初戦で敗れ、団体戦でも準決勝のフランス戦で敗れてチームも3位にとどまった[1][9]

2012年1月にはワールドマスターズに出場して決勝まで勝ち上がるも、ブラジルのラファエル・シルバと対戦し延長戦で指導2を取られて敗れ、2位に終わった[10]

4月からは京葉ガスの所属となった[11]全日本選手権には優勝候補の一角として出場したものの、準々決勝で旭化成百瀬優に1-2の微妙な判定ながら敗れた[12]

5月の体重別では決勝で九州電力七戸龍大外刈で一本負けを喫して2位にとどまった。しかしながら、七戸がオリンピック出場資格を満たす世界ランキング22位以内に入っていなかったことや、オリンピック出場を競っていた鈴木桂治や高橋和彦らが初戦敗退を喫したこともあり、最重量級では史上初となる消去法という不本意な形でロンドンオリンピック代表に選出された[13]

迎えた8月のロンドンオリンピックでは、前日まで男子の金メダル獲得数が0という惨状の中で、最後の砦として出場したものの、2回戦でベラルーシのイハル・マカラウに有効で敗れてメダルも獲得することができずに終わった。これにより1964年の東京オリンピックから柔道が正式種目に採用されて以来、史上初となる男子全階級を通しての金メダル獲得数が0となった[14]

2013年の講道館杯では決勝で百瀬を破って優勝を飾った[1]

2014年2月のグランプリ・デュッセルドルフでは準々決勝でシルバを大外返で破るなど、オール一本勝ちで優勝を飾った[15]

4月の体重別では決勝で七戸から先に有効を奪われるも、終了間際に大外返で技ありを奪い逆転勝ちして、3年ぶり2度目の優勝を果たした[16]

続いて優勝候補筆頭として臨んだ全日本選手権では準決勝で旭化成西潟健太送足払で破るなど全て一本勝ちして決勝まで進むものの、東海大学4年の王子谷剛志大外刈で敗れて2位に終わった。しかし実績で世界選手権代表には選出された[17][18]。8月の世界選手権では3回戦で地元ロシアのレナート・サイドフに技ありで敗れた[19]。なお、世界団体では優勝メンバーの一員として名を連ねることになった[20]

2015年11月の講道館杯では決勝で西潟を有効で破って優勝した[21]。12月のグランドスラム・東京では準決勝でJRA原沢久喜に指導3で敗れて3位に終わった[22]

2016年4月の体重別では、準決勝で原沢に隅落で敗れて3位だった。全日本選手権では準決勝で原沢を3-0の判定で破るが、決勝では2年前に続く対戦となった王子谷に大外刈と支釣込足の合技で敗れて2位に終わり、今大会初優勝とはならなかった[23]

2017年4月の全日本選手権では準々決勝で東海大学4年のウルフ・アロンにGSに入ってから反則負けを喫して5位だった[24]。 8月の実業個人選手権では優勝した。10月のグランプリ・ザグレブでは準決勝でオーストリアのステファン・ヘギィと対戦してGSに入ってから反則負けを喫して3位だった[25]。講道館杯では準決勝まですべて一本勝ちするも、決勝で大学の7年後輩となる明治大学3年の小川雄勢大内刈で敗れて2位だった[26]。12月のグランドスラム・東京では準決勝で小川に崩上四方固で敗れると、3位決定戦ではブラジルのダビド・モウラに合技で敗れて5位に終わった[27]

2018年の全日本選手権では3回戦で100kg級の選手である国士舘大学2年の飯田健太郎に技ありで敗れた[28]

2019年には京葉ガスを退社して、広島刑務所刑務官を務めながら柔道を続けることになった[29]

10回目の出場となった2022年の全日本選手権では、初戦で天理大学3年の中野寛太に内股で敗れた[30]

戦績

(出典[1]、JudoInside.com)。  

有力選手との対戦成績

脚注

外部リンク

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