中山信彬 From Wikipedia, the free encyclopedia 中山信彬 中山 信彬(なかやま のぶよし[1] / のぶあき[2]、1842年11月17日(天保13年10月15日) - 1884年(明治17年)2月17日[3])は、幕末の佐賀藩士、明治期の官僚・実業家。官選兵庫県知事。 王政復古後、堺県大参事に就任[2]。明治3年閏10月8日(1870年11月30日)、兵庫県知事に転任[2]。明治4年10月23日(1871年12月5日)に知事を退任[2]。翌月、岩倉使節団・岩倉具視大使随行として日本を出発し、アメリカ合衆国、ヨーロッパを歴訪[1]。 帰国後、外務省五等出仕となる。以後、外務権大丞、兼二等法制官を務めた。退官後、1878年7月19日、大阪株式取引所頭取に就任した[3]。明治17年2月17日卒去。 墓所は青山霊園管理事務所横にあったが、2000年に東京都より無縁墳墓の官報が告示されたが、親族の連絡が付かず2005年無縁撤去され、小平霊園の無縁塔に合葬された。その跡地には墓じまい専用の合葬墓である立体埋蔵施設が築かれた。 脚注 1 2 『海を越えた日本人名事典』新訂増補、511頁。 1 2 3 4 『新編日本の歴代知事』694頁。 1 2 『明治過去帳』新訂初版、186頁。 参考文献 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。 富田仁編『海を越えた日本人名事典』新訂増補、日外アソシエーツ、2005年。 大植四郎編『明治過去帳』新訂初版、東京美術、1971年(原著私家版1935年)。 ビジネス 先代寺西成器 壬午銀行頭取1882年 - 1884年 次代牟田口元学 先代(新設) 大阪株式取引所頭取1878年 - 1881年 次代吉田千足 表話編歴 兵庫県知事(官選第6代:1870年 - 1871年)官選 県知事 伊藤博文 久我通城 未赴任 中島錫胤 陸奥宗光 税所篤 権知事 中山信彬 県令 神田孝平 森岡昌純 権令→県令 内海忠勝 県知事 内海忠勝 林董 周布公平 大森鍾一 服部一三 清野長太郎 有吉忠一 折原巳一郎 平塚広義 山県治郎 長延連 高橋守雄 岡正雄 小柳牧衛 白根竹介 湯沢三千男 岡田周造 関屋延之助 坂千秋 成田一郎 藤岡長敏 持永義夫 齋藤亮 岸田幸雄 遠藤直人 公選 岸田幸雄 阪本勝 金井元彦 坂井時忠 貝原俊民 井戸敏三 斎藤元彦 カテゴリ Related Articles