中山晶量
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中山 晶量(なかやま てるかず、1999年2月8日 - )は、徳島県徳島市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。NPBでは育成選手であった。2026年より、関西独立リーグ(さわかみ関西独立リーグ)の堺シュライクスに所属。
| 堺シュライクス #11 | |
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2023年4月8日 ファイターズ鎌ケ谷スタジアム | |
| 基本情報 | |
| 国籍 |
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| 出身地 | 徳島県徳島市 |
| 生年月日 | 1999年2月8日(27歳) |
| 身長 体重 |
188 cm 90 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | NPB / 2022年 育成選手ドラフト2位 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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経歴
プロ入り前
徳島文理小3年時から野球を始める。生光学園中学時代には硬式野球部に入部していた[1]。
鳴門高等学校に進学。1年夏から甲子園出場を果たし、3年連続甲子園出場を経験した。本来の投手だけではなく外野手としても出場し、3年夏の3回戦・盛岡大学附属高等学校との試合では2点本塁打を放ち、8強進出に大きく貢献した。同級生のエースには2019年NPBドラフト会議で日本ハムからドラフト1位指名された河野竜生(後にプロでチームメイトとなる)がいた[1][2]。
明治大学に進学すると再び投手に専念[2]。しかし、同大学の1学年上には森下暢仁、伊勢大夢、同級生には入江大生と好投手が揃う中で、度重なる故障にも悩まされ、東京六大学野球リーグでは、大学4年間で6イニング、1勝と目立った活躍をすることはできなかった[2][3]。プロ志望届を大学野球連盟に提出するが、ドラフトではどの球団からも指名されずに指名漏れとなった[2]。その後、プロ野球独立リーグに属する四国アイランドリーグplusの徳島インディゴソックスに入団。
四国IL・徳島時代
2021年は、肩の故障などがあり本来の投球ができずにいたものの、積極起用された[1]。1年目のシーズンは14試合(2先発)に登板し、1完投1勝1敗、防御率4.10とまずまずの成績を残した。オフはプロに入ったつもりで必死に鍛え直したという[1]。
2022年は、開幕投手に抜擢され、シーズン通して先発、中継ぎでフル回転した。シーズン成績は、22試合(9先発)に登板し、4勝4敗、防御率2.73と好成績を残した[1]。シーズン終了後、2022年NPBドラフト会議で北海道日本ハムファイターズから育成選手ドラフト2位で指名され入団した。契約金は300万円、年俸は260万円で背番号は126[4]。四国IL・徳島から日本ハムに指名されたのは2009年の荒張裕司以来となる[1][5]。11月26日に行われた新入団選手発表会では「早期に支配下登録選手になり、一軍でプレーできるよう頑張ります。」と目標を語った[6][7]。
日本ハム時代

2023年はイースタン・リーグで13試合に登板。0勝1敗1セーブ、14.2イニングを投げて防御率3.68を記録した[8]。
2024年はイースタン・リーグで20試合に登板し、6勝2敗、34.0投球回で防御率3.18を記録し[9]、救援登板時の防御率は1点台だった[10]。
2025年はイースタン・リーグ19試合に登板し、2勝1敗、43.0イニングで防御率1.88を記録した[11]。10月28日、球団から戦力外通告が発表された[12]。現役続行を希望し、海外でのプレーも視野に入ると語っていた[13]。
KDL・堺時代
11月5日、くふうハヤテベンチャーズ静岡のトライアウト2次試験に参加した[14]。同月12日には日本プロ野球選手会主催の12球団合同トライアウトに参加し[15]、打者3人に対して与死球1、無安打の内容だった[16]。
12月10日、関西独立リーグ(さわかみ関西独立リーグ)の堺シュライクスが、特別合格選手として入団することを発表した[17]。
選手としての特徴
人物
小学校5年生ごろまでは母親の意向で多くの習い事をしており、水泳やテニス、ヴァイオリン、器械体操を行い、絵画教室にも通っていた[20]。また、母胎にいる頃から「七田式教育」という右脳開発教育を受けており、そのため、小さい頃の記憶が鮮明であるという[20]。
中学時代は『ムシキング』や『恐竜キング』の影響で、化石に興味を持っていた[20]。
祖父は清掃会社を経営し、大学野球経験者の父はその会社の専務を務める。その会社の本社1階ガレージには、少年時代に作られた中山専用の練習スペースがあり、バッティングマシーンや専用のトレーニング器具がある。実家暮らしだった徳島時代までは家族のサポートを手厚く受け、祖父は中山の野球にかかる様々な費用をサポートし、祖母と母は食事や中山の体調管理を徹底していた[21]。