中島彰一
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取手第二高校では捕手としてプレーし、高校3年生の時に1984年の夏の甲子園に出場し、決勝でPL学園の桑田真澄から決勝3ランを放ち、チームの全国制覇に貢献した[1]。同年の高校日本代表の韓国遠征のメンバーにも選ばれた。
東洋大学では3年秋に優勝を経験、4年次は主将を務めるが秋の入替戦で敗れた。黒須隆の入学後は控えとなった。1学年先輩に山下徳人がいた。社会人野球の住友金属鹿島のチームで主将も務めた。
引退後はコーチを経て、2002年から2008年まで、2015年から再度、日本製鉄鹿島の監督を務めている[2]。
また、社会人野球日本代表のコーチも務めた[3]。著書に『野球想像力を育てる捕手ドリル 差がつく練習法』がある。
脚注
[脚注の使い方]
- ↑ “日本製鉄鹿島・中島監督惜敗も「木内イズム」見せた”. 日刊スポーツ. (2020年11月25日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/202011250000414.html 2022年4月19日閲覧。
- ↑ <お知らせ> « 日本製鉄鹿島硬式野球部後援会
- ↑ 中島 彰一|侍ジャパン選手プロフィール|野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト
- ↑ “社会人野球 日鉄鹿島監督に藤沢コーチ昇格 /茨城”. 毎日新聞. (2024年12月6日). https://mainichi.jp/articles/20241206/ddl/k08/050/047000c 2024年12月14日閲覧。