中村竹弥
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父は7代目市川中車門弟の市川百太郎(のちの松本麗三郎)。旧・今戸高等小学校(現・台東区立桜橋中学校)卒業後、歌舞伎役者の中村竹三郎に弟子入り。1933年、15歳のとき宮戸座で初舞台を踏む。
尾上菊五郎劇団、松竹移動国民劇で長い下積み生活を送っていたが、1953年のテレビ開局に伴い、テレビ時代劇に進出、KRテレビ(現・TBSテレビ)の専属俳優となった。 『江戸の影法師』(1955年)で主役を得ると、無名の存在から一躍茶の間の人気者となり[1]、以後『半七捕物帳』(1956年)、『右門捕物帖』(1957年)、『旗本退屈男』(1959年)、『新選組始末記』(近藤勇役 1961年)、『丹下左膳』(1965年)など同社の人気ドラマに次々と主演し、草創期のテレビ時代劇を代表する俳優となった。歌舞伎出身で、テレビが生んだ時代劇スターの第1号といわれる。
1966年以降はTBSテレビの専属を離れ、時代劇を中心に存在感のある脇役として活動した。東京12チャンネル(現・テレビ東京)で1970年にスタートした「大江戸捜査網」の御前こと旗本寄合席隠密支配・「内藤勘解由」はあたり役となり、「内藤のお殿様」と呼ばれるほどの人気を博し、1981年まで演じた。「大岡越前」では鳶職の親方で町火消の頭、「伊三郎」を長く演じ、「水戸黄門」では家老といった重厚感のある脇役を多く演じていた。
名古屋市中区の御園座の「細川たかし公演」に出演中の1990年1月に体調を崩し降板、その後、体調はさらに悪化し同年5月20日に国立国際医療研究センター病院に入院するが、5月28日午前10時52分に心不全のため帰らぬ人となった(満71歳)[2]。