乎非王
日本の皇族
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系譜
名前の由来
概要
乎非王は『釈日本紀』巻十三所引の「上宮記」逸文の系譜にその名が見えるのみで、事蹟は伝わっていない。系譜の直系のみを示せば、「凡牟都和希王 ― 若野毛二俣王 ― 大郎子(意富富等王) ― 乎非王 ― 汙斯王 ― 乎富等大公王」となり、それぞれ凡牟都和希(ほむたわけ)王は応神天皇、若野毛二俣(わかぬけふたまた)王は稚野毛二派皇子、大郎子は意富富杼王、汙斯(うし)王は彦主人王、乎富等(おおど)大公王は継体天皇に比定され得る。
以上の6代から、若野毛二俣王と大郎子を除いた系図「応神 ― 乎非 ― 汙斯 ― 継体」の形(川口勝康)が原型であると主張する者もいる。
なお、『水鏡』・『愚管抄』・『神皇正統記』・『紹運録』など、中世の史書 ・系譜類に継体の祖父として記されている「私斐王」に関しては、「私」字を借字に用いた例が他に無いことから、本来「弘斐王(おいのおおきみ)」の誤りで、乎非王を指すと考えられ、このような異表記が見られるということは、かつては「上宮記」以外にも継体の出自系譜を伝える史料が存在した可能性(例えば『日本書紀』の系図)を示唆している。
