五十嵐淳子
日本の女優 (1952-2026)
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人物
略歴
- 1970年 - 川村高等学校在学中にモデル・クラブ「ジャパンファッションモデルセンター」に合格しモデル業を始め、芸能活動厳禁である同校を中退後にTBS『日曜8時、笑っていただきます』に「五十嵐じゅん」の芸名で芸能界デビュー(後述「エピソード」項参照)。同番組でお茶の間ファンのアイドルとなる[4]。
- 翌1971年に入ると芸能各誌のグラビアなどでひっぱりだことなり清純な美貌のアイドルとして人気を博す。
- 1975年 - 映画『阿寒に果つ』で主演。その後芸名を本名の「五十嵐淳子」に改名。
- 1977年2月1日 - 日本テレビ『俺たちの勲章』での共演を機に中村雅俊と結婚。
- 1988年 - ドラマ『教師びんびん物語』で6年ぶりの女優業復帰。
- 1999年 - 夫・中村が歌う曲『哀しい人』プロモーションビデオで23年ぶりの夫婦共演を果たす。ほぼ同時期、渋谷区千駄ヶ谷に子どもの頃からの夢だったフラワーショップ『パストーン』をオープンさせる。
- 2004年 - 「銀婚旅行」のイメージにふさわしい夫婦として「JAL銀婚旅行ベストカップル2004」に選ばれる。
- 2026年4月28日 - 急病のため死去。73歳没[5]。
エピソード
- デビュー当初は、五十嵐じゅんとして清純派ムードが愛され、男子を中心に人気を博していたが[3][4][6][7][8]、週刊誌に銀座の高級クラブでホステスとして働いていた過去を暴かれ[6][7][9][10][11][12]、1973年4月、正式に芸能界を引退した[13][14]。以降2年間マスメディアから消えていたが[3][6][7][13]、渡辺淳一の『阿寒に果つ』を読んで感銘を受け、1974年秋に東宝で同作品の映画化が決定したことから、同作の田中収東宝プロデューサーに売り込みをかけ[13][14][15][16]、1975年1月17日、『阿寒に果つ』のヒロインに決定し、芸能界の復帰が決まった[13][14][15][16][17][18]。五十嵐は「芸能界には友達もなく、もうこのまま引退でいいと思っていたけど、原作を読んで初めて仕事をやりたいと思いました。これを機会に本物の役者になりたいんです」と話した[14]。『阿寒に果つ』のヒロインに決まっていなければ、芸能界に復帰しなかったかもしれない[13]。また『スタア』(平凡出版)1976年4月号で自身の過去を正直に話すとし[6]、生い立ちと芸能界入りの経緯について、浦和生まれや父は電器店やレコード販売の経営などは、それまで伝えられた通りだったが、キネマ旬報社刊行『日本映画俳優全集 女優編』59頁に書かれた「高校在学中、雑誌のモデルをしているところをスカウトされ…」の件は事実でなく[3]、「川村高校2年17歳の夏に家出し、高校は中退した。銀座のクラブ『徳大寺』で1週間だけアルバイトをした。このとき、上条英男さんに会ったが、すぐに芸能界入りしなかった。芸能界入りの直接のきっかけは18歳の誕生日の後、1970年の秋に東映東京撮影所に遊びに行ったときに上条さんに再び会って芸能界入りした」などと話した[6]。『週刊セブンティーン』1972年3月14日号の「アイドル名鑑」には「東映ニューフェースとしてデビューして芸能界入り」と書かれている[4]。東映の看板俳優の一人だった梅宮辰夫の実弟は当時銀座のナンバーワンスカウトと言われた人物で五十嵐を『徳大寺』に紹介したとされている[19](梅宮も自身が贔屓にしている銀座のホステスをタレントとしてスカウトし、自身の主演映画に出演させている[20][21][22])。梅宮が五十嵐を気に入り友人の上条の事務所「ジュエム・カンパニー」(後に「サンズ・カンパニー」)に所属するよう勧めた[7][20]。梅宮が出演する映画は"不良性感度映画"ばかりのため[20]、既存の女優は出演を躊躇する者が多かったが、五十嵐は臆することなく「ずべ公番長 夢は夜ひらく」(1970年)、「経験」(1970年)と2作続けて出演している[20]。
- 西城秀樹は「僕のサインは、同じ事務所にいた五十嵐淳子さんが考えたんです」と述べている[23]。
出演
テレビドラマ
- 木下恵介アワー 「二人の世界」第16話(1970年、TBS) - 昭子
- 大河ドラマ(NHK総合)
- 一心太助 第15話「花ある絶縁状」(1972年、CX・国際放映) - お菊 ※五十嵐じゅん名義
- 夏姿花の忠臣蔵(1972年6月4日、TBS)
- いま炎のとき(1972年、TBS)
- あしたに駈けろ!(1972年、CX)
- 地獄の辰捕物控(1972年、NET)
- 北都物語 - 絵梨子のとき - 第1話〜第3話(1975年、YTV)
- 俺たちの勲章 第14話「雨に消えた・・・」(1975年、NTV・東宝) - 石島かおり
- 東芝日曜劇場(TBS系)
- 第967回「みどりもふかき」(1975年6月22日、RKB)
- 第1043回「霧の日の童話」(1976年12月5日、RKB)
- 太陽にほえろ! 第156話「刑事狂乱」(1975年、NTV・東宝)倉橋律子
- 敬礼!さわやかさん 第18話(1975年、NET)
- マチャアキの森の石松 第10話(1975年、NET)
- 事件ファイル110 甘ったれるな(1976年、TBS) - 吉川圭子
- 男たちの旅路(1976年、NHK総合) - 浜宮聖子
- 泣かせるあいつ 第11話(1976年、NTV)
- 江戸の旋風Ⅱ 第9話「夜烏を追え!」(1976年、CX)
- 早春物語(1976年、TBS)
- 江戸特捜指令(1976年、MBS)
- 火曜日のあいつ 第17話「悲恋!トラック一座また会う日まで」(1976年、TBS・東宝) - 中村右菊衛門の娘、さつき
- 伝七捕物帳 第136話 「孝心 涙の力石」(1977年、NTV・ユニオン映画) - おぎん
- 浮浪雲 第4話(1978年、ANB) - 久
- 日曜恐怖シリーズ「すすり泣く湖」(1978年8月6日、KTV)
- 江戸の激斗 第2話「闇にひそむ牙」(1979年、CX・東宝) - お涼
- 西部警察 第27話「傷だらけの白衣」(1980年、ANB・石原プロ) - 相川かずみ
- 旅がらす事件帖 第4話「俺もお前もはぐれ鳥」(1980年、KTV・国際放映) - さだ
- 森繁久彌のおやじは熟年 第5話「春爛漫夫婦だんご」(1981年、ANB) - 千鶴子
- あっけらかん(1982年、NTV) - 長井和江
- 火曜サスペンス劇場 「水の魔法陣」(1982年9月7日、NTV)
- 教師びんびん物語(1988年、CX) - 国立響子
- 教師びんびん物語スペシャル 〜ありがとう、君たちを忘れない〜(1989年10月4日、CX)
- 面影橋・夢いちりん(1988年、ANB)
- 新春ドラマスペシャル「サラリーマン忠臣蔵 華麗なる復讐」(1989年1月1日、ANB)
- パパとなっちゃん(1991年、TBS) - 静江
- 誰かが彼女を愛してる(1992年、CX) - 黒沢千恵子
- いつも心に太陽を(1994年、TBS) - 木下君枝
- 聖龍伝説(1996年、NTV) - 聖華
映画
情報・バラエティ番組
- 日曜8時、笑っていただきます(1970年、TBS)
- ベスト30歌謡曲(1972年 - 1973年、NET) - 愛川欽也とのコンビで司会を担当
- クイズこれはウマい!(1988年、TBS)
CM
歌手活動
「五十嵐じゅん」として活動していた1971年にユニオンレコード(テイチクのレーベル名)よりレコードデビュー。自作の詩がレコードに収録されたこともある。
シングルレコード
- 幸せの行方 / あなたは魔法(US-710)71.06
- ちいさな初恋 / 美しい時間(US-721)71.10
- ちいさな初恋
- 作詞:林春生/作曲:鈴木邦彦/編曲:鈴木邦彦
- 美しい時間
- 作詞:わだじゅんこ/作曲:鈴木邦彦/編曲:鈴木邦彦
- ちいさな初恋
- 愛のシーズン / あふれる愛に(US-738)72.05
- ひみつのお別れ / その時あなたは(US-757)72.09
- 垣根の向う / 帰り道(US-780)72
ミニアルバム
- ひとりぼっちの詩(JUW-501)
- ※4曲入りコンパクト盤仕様。じゅんのカラーフォト・ストーリー 12Pブックレット付き。両面の「ひとりぼっちの詩」は自作詩の朗読。
- A1.ひとりぼっちの詩(その一)
- 作詞:五十嵐じゅん/作曲:鈴木邦彦/編曲:鈴木邦彦
- A2.ちいさな初恋
- 作詞:林春生/作曲:鈴木邦彦/編曲:鈴木邦彦
- B1.幸せの行方
- 作詞:わだじゅんこ/作曲:鈴木邦彦/編曲:鈴木邦彦
- B2.ひとりぼっちの詩(その二)
- 作詞:五十嵐じゅん/作曲:鈴木邦彦/編曲:鈴木邦彦
- A1.ひとりぼっちの詩(その一)
- ※4曲入りコンパクト盤仕様。じゅんのカラーフォト・ストーリー 12Pブックレット付き。両面の「ひとりぼっちの詩」は自作詩の朗読。
アルバム
- ファースト・アルバム(1972年、ULP-2010)