五十嵐淳子

日本の女優 (1952-2026) From Wikipedia, the free encyclopedia

五十嵐 淳子(いがらし じゅんこ、1952年昭和27年〉9月20日 - 2026年令和8年〉4月28日[1][2])は、日本女優。本名、中村 淳子(なかむら じゅんこ)。血液型A型。埼玉県浦和市(現さいたま市)出身[3]。身長163cm(1972年3月)[4]

本名 中村 淳子(なかむら じゅんこ)
(旧姓:五十嵐)
別名義 五十嵐 じゅん (旧芸名)
生年月日 (1952-09-20) 1952年9月20日
没年月日 (2026-04-28) 2026年4月28日(73歳没)
概要 いがらし じゅんこ 五十嵐 淳子, 本名 ...
いがらし じゅんこ
五十嵐 淳子
本名 中村 淳子(なかむら じゅんこ)
(旧姓:五十嵐)
別名義 五十嵐 じゅん (旧芸名)
生年月日 (1952-09-20) 1952年9月20日
没年月日 (2026-04-28) 2026年4月28日(73歳没)
出生地 日本の旗 日本埼玉県浦和市
身長 163cm
血液型 A
職業 女優歌手
活動期間 1970年 - 1973年
1975年 - 2026年
配偶者 中村雅俊(1977年 - 2026年)
著名な家族 長男(中村俊太
長女、二女、三女(中村里砂
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人物

夫は中村雅俊。夫との間に1男3女がおり、長男は中村俊太、三女は中村里砂

東京・渋谷区千駄ヶ谷に自らのフラワーショップ『パストーン』を主宰。フラワーアレンジメントスクール講師も務めており、好評で各種イベントなどにも参加していたが、2020年に閉店した。

略歴

  • 1970年 - 川村高等学校在学中にモデル・クラブジャパンファッションモデルセンター」に合格しモデル業を始め、芸能活動厳禁である同校を中退後にTBS日曜8時、笑っていただきます』に「五十嵐じゅん」の芸名で芸能界デビュー(後述「エピソード」項参照)。同番組でお茶の間ファンのアイドルとなる[4]
  • 1971年に入ると芸能各誌のグラビアなどでひっぱりだことなり清純な美貌のアイドルとして人気を博す。
  • 1975年 - 映画『阿寒に果つ』で主演。その後芸名を本名の「五十嵐淳子」に改名。
  • 1977年2月1日 - 日本テレビ『俺たちの勲章』での共演を機に中村雅俊と結婚。
  • 1988年 - ドラマ『教師びんびん物語』で6年ぶりの女優業復帰。
  • 1999年 - 夫・中村が歌う曲『哀しい人』プロモーションビデオで23年ぶりの夫婦共演を果たす。ほぼ同時期、渋谷区千駄ヶ谷に子どもの頃からの夢だったフラワーショップ『パストーン』をオープンさせる。
  • 2004年 - 「銀婚旅行」のイメージにふさわしい夫婦として「JAL銀婚旅行ベストカップル2004」に選ばれる。 
  • 2026年4月28日 - 急病のため死去。73歳没[5]

エピソード

  • デビュー当初は、五十嵐じゅんとして清純派ムードが愛され、男子を中心に人気を博していたが[3][4][6][7][8]週刊誌銀座の高級クラブホステスとして働いていた過去を暴かれ[6][7][9][10][11][12]、1973年4月、正式に芸能界を引退した[13][14]。以降2年間マスメディアから消えていたが[3][6][7][13]渡辺淳一の『阿寒に果つ』を読んで感銘を受け、1974年秋に東宝同作品の映画化が決定したことから、同作の田中収東宝プロデューサーに売り込みをかけ[13][14][15][16]、1975年1月17日、『阿寒に果つ』のヒロインに決定し、芸能界の復帰が決まった[13][14][15][16][17][18]。五十嵐は「芸能界には友達もなく、もうこのまま引退でいいと思っていたけど、原作を読んで初めて仕事をやりたいと思いました。これを機会に本物の役者になりたいんです」と話した[14]。『阿寒に果つ』のヒロインに決まっていなければ、芸能界に復帰しなかったかもしれない[13]。また『スタア』(平凡出版)1976年4月号で自身の過去を正直に話すとし[6]、生い立ちと芸能界入りの経緯について、浦和生まれや父は電器店やレコード販売の経営などは、それまで伝えられた通りだったが、キネマ旬報社刊行『日本映画俳優全集 女優編』59頁に書かれた「高校在学中、雑誌のモデルをしているところをスカウトされ…」の件は事実でなく[3]、「川村高校2年17歳の夏に家出し、高校は中退した。銀座のクラブ『徳大寺』で1週間だけアルバイトをした。このとき、上条英男さんに会ったが、すぐに芸能界入りしなかった。芸能界入りの直接のきっかけは18歳の誕生日の後、1970年の秋に東映東京撮影所に遊びに行ったときに上条さんに再び会って芸能界入りした」などと話した[6]。『週刊セブンティーン』1972年3月14日号の「アイドル名鑑」には「東映ニューフェースとしてデビューして芸能界入り」と書かれている[4]。東映の看板俳優の一人だった梅宮辰夫の実弟は当時銀座のナンバーワンスカウトと言われた人物で五十嵐を『徳大寺』に紹介したとされている[19](梅宮も自身が贔屓にしている銀座のホステスをタレントとしてスカウトし、自身の主演映画に出演させている[20][21][22])。梅宮が五十嵐を気に入り友人の上条の事務所「ジュエム・カンパニー」(後に「サンズ・カンパニー」)に所属するよう勧めた[7][20]。梅宮が出演する映画は"不良性感度映画"ばかりのため[20]、既存の女優は出演を躊躇する者が多かったが、五十嵐は臆することなく「ずべ公番長 夢は夜ひらく」(1970年)、「経験」(1970年)と2作続けて出演している[20]
  • 西城秀樹は「僕のサインは、同じ事務所にいた五十嵐淳子さんが考えたんです」と述べている[23]。 

出演

テレビドラマ

映画

情報・バラエティ番組

CM

歌手活動

「五十嵐じゅん」として活動していた1971年にユニオンレコードテイチクのレーベル名)よりレコードデビュー。自作の詩がレコードに収録されたこともある。

シングルレコード

  1. 幸せの行方 / あなたは魔法(US-710)71.06
  2. ちいさな初恋 / 美しい時間(US-721)71.10
    • ちいさな初恋
      • 作詞:林春生/作曲:鈴木邦彦/編曲:鈴木邦彦
    • 美しい時間
      • 作詞:わだじゅんこ/作曲:鈴木邦彦/編曲:鈴木邦彦
  3. 愛のシーズン / あふれる愛に(US-738)72.05
    • 愛のシーズン
    • あふれる愛に
      • 作詞:橋本淳/作曲:筒美京平/編曲:高田弘
  4. ひみつのお別れ / その時あなたは(US-757)72.09
    • ひみつのお別れ
    • その時あなたは
      • 作詞:落合恵子/作曲:森田公一/編曲:森田公一
  5. 垣根の向う / 帰り道(US-780)72

ミニアルバム

  • ひとりぼっちの詩(JUW-501)
    • ※4曲入りコンパクト盤仕様。じゅんのカラーフォト・ストーリー 12Pブックレット付き。両面の「ひとりぼっちの詩」は自作詩の朗読。
      • A1.ひとりぼっちの詩(その一)
        • 作詞:五十嵐じゅん/作曲:鈴木邦彦/編曲:鈴木邦彦
      • A2.ちいさな初恋
        • 作詞:林春生/作曲:鈴木邦彦/編曲:鈴木邦彦
      • B1.幸せの行方
        • 作詞:わだじゅんこ/作曲:鈴木邦彦/編曲:鈴木邦彦
      • B2.ひとりぼっちの詩(その二)
        • 作詞:五十嵐じゅん/作曲:鈴木邦彦/編曲:鈴木邦彦

アルバム

  • ファースト・アルバム(1972年、ULP-2010)
    • 垣根の向う
      • 作詞:千家和也/作曲:宮内國郎/編曲:竜崎孝路
    • 帰り道
      • 作詞:千家和也/作曲:田山雅充/編曲:竜崎孝路
    • 愛の時間
      • 作詞:千家和也/作曲:宮内國郎/編曲:竜崎孝路
    • 私も女の子
    • ひみつのお別れ
      • 作詞:落合恵子/作曲:森田公一/編曲:森田公一
    • 合歓の花
    • 秘密の出来事
      • 作詞:千家和也/作曲:森田公一/編曲:竜崎孝路
    • 初恋のひと
    • 小指の想い出
      • 作詞:有馬三恵子/作曲:鈴木淳/編曲:竜崎孝路
    • 雲にのりたい
      • 作詞:大石良蔵/補作詞:なかにし礼/作曲:鈴木邦彦/編曲:竜崎孝路
      • 作詞:吉田拓郎/作曲:吉田拓郎/編曲:竜崎孝路
    • ちいさな初恋
      • 作詞:林春生/作曲:鈴木邦彦/編曲:竜崎孝路

脚注

関連項目

外部リンク

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