700形の自重が38t~41tと比較的重いにもかかわらず各主電動機の定格出力が低く、高速運転が必要とされる本線では性能的に厳しかった[4]ため、もっぱら千里山線(現・千里線)で運用された[1]。
1952年10月、751が東洋電機製造製カルダン駆動装置の試験車として電装された[1]。
これは751の装着する2台のKS-33L台車それぞれにWNドライブと中空軸平行カルダンの2種の駆動装置を装着し、同一のギア比[5]と同一の主電動機[6]で比較試験が実施され、少し遅れて直角カルダンとWNドライブ装備で製造された神宝線610系620・630と共に、以後の1000番台高性能車の開発に貴重な運用データを提供した。
なお、この751に限っては制御器としてP-6の更新時に導入された電動カム軸式制御器であるES-553-Aと同系のES-553-Bが搭載されている。
千里山線の乗客増加に対応すべく、1956年から1957年にかけて750形752 - 755も電装の上、先にカルダン駆動式で電装されていた751とともに、706 - 710として700形に編入された[7]。
これにより新京阪線時代の1943年に製造された京阪1200型と類似した半流線型スタイルの制御車1300形[8]を付随車化改造の上[9]、新たに750形として中間に組み込み、3両編成化が実現された。一方、706(旧・751)のカルダン駆動装置は1971年に撤去され、Tc化された。
保存されている701の側面(1984.1.2宝塚ファミリーランド電車館にて撮影)
千里線が長編成化されると、700形は最長6両編成となり、1970年の大阪万国博覧会の観客輸送では、準急列車としても使用された。一方、半端となる3両編成1本(705-755-710)は、長らく嵐山線で運用された。その後も暫く千里線[10]と嵐山線で使用されたが、老朽化と冷房化推進等の事情により、1975年から廃車が始まり、翌1976年6月に全廃となった(702Fの最終運用は1975年9月30日、701Fの最終運用は1976年4月30日)[1]。
なお、701の側面の一部(車番・社紋がある箇所の幕板から車体裾まで)のみ残されており、電車館で長らく展示ののち、現在は正雀工場内の阪急ミュージアムで保管されている。